ジョセフ・ショールズと言うと鵜飼のおばさんと一緒にNHKの英会話で英語を喋る外人である。
見た感じマイロン・ショールズに似ているので、もしかしたら?と思っているのですが、どーでしょー?
このジョセフと言うとアメリカ人が思い出すのがジョセフ・ケネディーである。
アイルランドのジャガイモ凶作でアメリカに来た、当時一番貧しかったアメリカ人である。そのお陰で根性が徹底的に悪くなった。
JFK(ジョン・フィッツジェラルド・ケネディー)は「愛される人柄」が取り柄だったが、その彼が相当に怖がったのが父・ジョセフである。
この父ジョセフは株の相場で巨万の財を手にして、それをアメリカ株式大暴落を3ヶ月前にして全額売り抜けた大した慧眼の持ち主だった。
しかし後に彼を株式取引監視委員会に推薦した財務長官の言葉が彼の人柄を示す「泥棒は泥棒に見晴らせるのが一番だ。」これと同じ事を言ったのが「徳川家康」で当事江戸で古着屋は鬼平犯科帳で言う所の「密偵」だったのだ。その総元締めが当事の泥棒の親玉だったわけだ。
ジョセフはイギリス大使の肩書きを金で買った事でも有名で「がめつく気性が荒く独善の人」として有名だった。
その一方でアメリカの株式市場で「逆張りの名人」として有名だったのがジェシー・バリモアだった。彼は20歳で破産したのを皮切りに5回破産した(だったかな?)
ただ当事破産は珍しい事ではない。ケインズ自身が大学の教授をやりながら投機に走り破産した事で有名である。もう一人を上げると、中国の斉の小伯宰相管仲か越のハンレイ(字が無い)ぐらいか?投機は2000年以上も前からあったのだ。
ジェシー・バリモアは1929年の株式大暴落以降も逆張りの取引で短期的に利益を上げたが1934年に破産、1940年にピストル自殺をする。
大体逆張りは利益を上げると言うが経済全体が回復して初めて成果を手に入れられる。この辺が金の亡者と富を欲しいものとの違いである。
ジェシー・バリモアの得意技は、全体の価値が下がっている時には毒となるものであり、結果破産となったわけだ。
実際1929年の株価に戻るのは1954年である。この時のアメリカの威勢を考えると大恐慌からの復興とは随分と時間がかかったわけだ。
最近はアメリカのドルの値下がりが喧伝されるがアメリカは1ドルはハンバーガー1個の価格と言う事を半世紀以上維持していた。その意味でも近年の通貨下落は本当に隔世の感がある。
このドルの安定性があったから、株式市場を切り上げたジョセフ・ケネディーは金融資産価値を維持できた。と言うか金がなくなるとデフレで通貨価値が高いので金持ち優位は続いた。
最もアメリカ株式大暴落時証券関係者が買い支えるオプションを取ったがケネディーは全く関わらなかった。結局彼は自分の立場を有利にする事に固執したようである。実際、後の世で金の力をフルに使っていた。JFKが大統領になったのもジョセフの資金力無しにはありえない。
では今はどうなのか?アメリカは1929年以降もどん底に陥ったと言うが、それでも他の国よりは活動性を維持していた。それからすれば、まだまだましだったようだ。
これまた何処のレポートか忘れたが当事国際協調はやっていなかった為世界の片隅の経済危機が広まるスピードは実に遅く、数年はかかったとのレポートがある。この時期の話としては丁度「紅の豚」の頃に当たる。
映画で「見れくれは良いが、どこもカツカツなのさ…」というポルコの言葉があったが、当時アメリカの株式大暴落は経済混乱に慣れているイタリア人からすれば「騒ぎすぎ」と言う程度のものだったらしい。おおらかと言うか、感覚の違いがあったのだろう。
ただ、やはり物々交換で流通は出来ず、流通には価値の見切りが重要視されていたようだ。
その昔話をしていると今の人間は随分と「通貨」や「評価」と言うものに振り回されているように見える。
ヘッジファンドが攻撃する度に債券の評価はヘアカットで減る一方なのに、相変わらず「目先の利益」を追っていたのが「飽きて」「止めたようだ」
金融は進化していると吹聴しているようだが、ギリシアの「Sovereign債」が公然と五割引で陰では七割引されている現状は1990年の南米の様子を彷彿とする。
ヘッジファンドは通貨攻撃や株式攻撃をやる事から世界を荒らし始めたが先頃の国債攻撃でそろそろネタ切れだろう。コモディティーを当て込んだ事も無い。その流れで言えば今は「資金を溜めている」のか「崩壊の途上」なのか分からない。
1995年の金融再生法案審議中の日本の銀行各行の出す史上最高益で「こんな好調な銀行に何故金融支援が必要なのか?」との政治家の言葉が合って次の四半期には史上最大の赤字となった。事ほど左様に「金の亡者」の「錬金術」はとても真面目な人間には分からない。
慶応の教授が放送大学「社会と銀行」(10)その記録を恥ずかしげも無くグラフで出していた。やっぱり慶応らしく突っ込みどころ満載の嘘の論旨に辟易するやら馬鹿馬鹿しいやらで本当に空しくなったものだった。
フィナンシャルタイムズではギリシアの離脱は「ほぼ既定のこと」になっている論調である。もう駄目な奴を凄い奴が救う方式では儲けられない事を誰も誤魔化せない常態になりつつある。
だがリセットは何処でやるのか?まだ話は始まっていない。ファンロンパイがやってきて、今度は私が基金を設立とどこまで本気なのだろうか?
大体2005年末からサブプライム証券への引当金を用意すると言う事から始まって、2008年の5月までの竹中平蔵の「引当金を当てたからサブプライム問題は過去のものです」以降、どれもこれもグローバル経済の関係者の言う事は最初「経済の専門家」を吹聴し反対派を「経済を知らない」と議論を拒否する姿勢を崩さなかった。
そのグローバル経済=マネタリー経済の牙城である通貨そのものの問題そして、極めて通貨と問題を一にする国債問題が破綻の際まで来ている。実際アメリカ国債の格下げの時に運転資金を確保するためのアメリカ国民の動きを、もう「自称経済の専門家・事情通」は忘れたのだろうか?
竹中平蔵と言い、日経・産経新聞と言い、前言を簡単に撤回するどころか、昨日と反対の事を堂々と言い、昔からそういう態度と吹聴する。記憶力が無い。恥を知らない。これが無いと慶応ではないようだ。竹中平蔵がまた一つ更に一つと「世界が呆れる事」を自信満々で言う。その度に「日本はどんな国なのだろう?」と言われている。
その論理から言うと、私は経済音痴となる。竹中平蔵から、そういわれるなら「勲章」となるだろう。
見た感じマイロン・ショールズに似ているので、もしかしたら?と思っているのですが、どーでしょー?
このジョセフと言うとアメリカ人が思い出すのがジョセフ・ケネディーである。
アイルランドのジャガイモ凶作でアメリカに来た、当時一番貧しかったアメリカ人である。そのお陰で根性が徹底的に悪くなった。
JFK(ジョン・フィッツジェラルド・ケネディー)は「愛される人柄」が取り柄だったが、その彼が相当に怖がったのが父・ジョセフである。
この父ジョセフは株の相場で巨万の財を手にして、それをアメリカ株式大暴落を3ヶ月前にして全額売り抜けた大した慧眼の持ち主だった。
しかし後に彼を株式取引監視委員会に推薦した財務長官の言葉が彼の人柄を示す「泥棒は泥棒に見晴らせるのが一番だ。」これと同じ事を言ったのが「徳川家康」で当事江戸で古着屋は鬼平犯科帳で言う所の「密偵」だったのだ。その総元締めが当事の泥棒の親玉だったわけだ。
ジョセフはイギリス大使の肩書きを金で買った事でも有名で「がめつく気性が荒く独善の人」として有名だった。
その一方でアメリカの株式市場で「逆張りの名人」として有名だったのがジェシー・バリモアだった。彼は20歳で破産したのを皮切りに5回破産した(だったかな?)
ただ当事破産は珍しい事ではない。ケインズ自身が大学の教授をやりながら投機に走り破産した事で有名である。もう一人を上げると、中国の斉の小伯宰相管仲か越のハンレイ(字が無い)ぐらいか?投機は2000年以上も前からあったのだ。
ジェシー・バリモアは1929年の株式大暴落以降も逆張りの取引で短期的に利益を上げたが1934年に破産、1940年にピストル自殺をする。
大体逆張りは利益を上げると言うが経済全体が回復して初めて成果を手に入れられる。この辺が金の亡者と富を欲しいものとの違いである。
ジェシー・バリモアの得意技は、全体の価値が下がっている時には毒となるものであり、結果破産となったわけだ。
実際1929年の株価に戻るのは1954年である。この時のアメリカの威勢を考えると大恐慌からの復興とは随分と時間がかかったわけだ。
最近はアメリカのドルの値下がりが喧伝されるがアメリカは1ドルはハンバーガー1個の価格と言う事を半世紀以上維持していた。その意味でも近年の通貨下落は本当に隔世の感がある。
このドルの安定性があったから、株式市場を切り上げたジョセフ・ケネディーは金融資産価値を維持できた。と言うか金がなくなるとデフレで通貨価値が高いので金持ち優位は続いた。
最もアメリカ株式大暴落時証券関係者が買い支えるオプションを取ったがケネディーは全く関わらなかった。結局彼は自分の立場を有利にする事に固執したようである。実際、後の世で金の力をフルに使っていた。JFKが大統領になったのもジョセフの資金力無しにはありえない。
では今はどうなのか?アメリカは1929年以降もどん底に陥ったと言うが、それでも他の国よりは活動性を維持していた。それからすれば、まだまだましだったようだ。
これまた何処のレポートか忘れたが当事国際協調はやっていなかった為世界の片隅の経済危機が広まるスピードは実に遅く、数年はかかったとのレポートがある。この時期の話としては丁度「紅の豚」の頃に当たる。
映画で「見れくれは良いが、どこもカツカツなのさ…」というポルコの言葉があったが、当時アメリカの株式大暴落は経済混乱に慣れているイタリア人からすれば「騒ぎすぎ」と言う程度のものだったらしい。おおらかと言うか、感覚の違いがあったのだろう。
ただ、やはり物々交換で流通は出来ず、流通には価値の見切りが重要視されていたようだ。
その昔話をしていると今の人間は随分と「通貨」や「評価」と言うものに振り回されているように見える。
ヘッジファンドが攻撃する度に債券の評価はヘアカットで減る一方なのに、相変わらず「目先の利益」を追っていたのが「飽きて」「止めたようだ」
金融は進化していると吹聴しているようだが、ギリシアの「Sovereign債」が公然と五割引で陰では七割引されている現状は1990年の南米の様子を彷彿とする。
ヘッジファンドは通貨攻撃や株式攻撃をやる事から世界を荒らし始めたが先頃の国債攻撃でそろそろネタ切れだろう。コモディティーを当て込んだ事も無い。その流れで言えば今は「資金を溜めている」のか「崩壊の途上」なのか分からない。
1995年の金融再生法案審議中の日本の銀行各行の出す史上最高益で「こんな好調な銀行に何故金融支援が必要なのか?」との政治家の言葉が合って次の四半期には史上最大の赤字となった。事ほど左様に「金の亡者」の「錬金術」はとても真面目な人間には分からない。
慶応の教授が放送大学「社会と銀行」(10)その記録を恥ずかしげも無くグラフで出していた。やっぱり慶応らしく突っ込みどころ満載の嘘の論旨に辟易するやら馬鹿馬鹿しいやらで本当に空しくなったものだった。
フィナンシャルタイムズではギリシアの離脱は「ほぼ既定のこと」になっている論調である。もう駄目な奴を凄い奴が救う方式では儲けられない事を誰も誤魔化せない常態になりつつある。
だがリセットは何処でやるのか?まだ話は始まっていない。ファンロンパイがやってきて、今度は私が基金を設立とどこまで本気なのだろうか?
大体2005年末からサブプライム証券への引当金を用意すると言う事から始まって、2008年の5月までの竹中平蔵の「引当金を当てたからサブプライム問題は過去のものです」以降、どれもこれもグローバル経済の関係者の言う事は最初「経済の専門家」を吹聴し反対派を「経済を知らない」と議論を拒否する姿勢を崩さなかった。
そのグローバル経済=マネタリー経済の牙城である通貨そのものの問題そして、極めて通貨と問題を一にする国債問題が破綻の際まで来ている。実際アメリカ国債の格下げの時に運転資金を確保するためのアメリカ国民の動きを、もう「自称経済の専門家・事情通」は忘れたのだろうか?
竹中平蔵と言い、日経・産経新聞と言い、前言を簡単に撤回するどころか、昨日と反対の事を堂々と言い、昔からそういう態度と吹聴する。記憶力が無い。恥を知らない。これが無いと慶応ではないようだ。竹中平蔵がまた一つ更に一つと「世界が呆れる事」を自信満々で言う。その度に「日本はどんな国なのだろう?」と言われている。
その論理から言うと、私は経済音痴となる。竹中平蔵から、そういわれるなら「勲章」となるだろう。