失われた文化として種がある。第二次世界大戦中から、それは始まっていた。
アメリカ占領軍は先ず最初に鹵獲物資を漁った。その最重要項目は種子だった。
農林11号。この種子は世界を変えた小麦の種子である。日本が作ったものである。チョンは作れない。永遠に。
ポストモダンと言うものを見ると恐ろしく「支配の為の食料とエネルギー」が問題となっている。この2つはある意味活動力と言う意味で同じものである。
「食料=人を動かすもの、エネルギー=物を動かすもの」である。
その意味で、それを生み出すものを握る事こそが最大の支配であろう。食料とエネルギーとでは、基本的に「食料=普遍的にばら撒かれている」と「エネルギー=集約している」の違いがある。
また食糧生産にはもう一つ見逃せないものとして「鉄」がある。このリンクを言うものは少ないだろう。
日本の戦国時代は、日本が馬鹿みたいに東洋の鉄を収奪する時期だった。戦国統一が終わって刀狩をしたが、それは本質ではない。刀を刈ったと言うより農具を作ったのだ。
このちょっとぶっ飛んでいる様な理屈を下支えしているのが鍛冶の存在だ。
長崎のくんちを見て何時も不思議に思うのが出店の端にあるのが鍛冶屋の集団であり、それが島原を中心とした地域周辺であった。
実は鍛冶屋が広まった事が農具の進歩だったり、特定の仕事に対する地域的な道具を自前で作る文化となっている。
日本の戦国時代はシュペラー極小期とマウンダー極小期の間に行われたイベントである。徳川幕府はマウンダー極小期の農業不毛の時代を耐える為の時代だったと言えば言えなくも無い。そんな中、飢饉が3度あったが、そんな中、あの程度で済んだのは、農業技術であり、なかんずく農具の発達を無視できない。
同じような感慨を最近になって持った。驚く事に中国の人口が1億を突破したのは1700年代である。中国は何とはなれば1000万人を切った時代もあるのだとか。
それが急激に人口が増加したのが17世紀である。所が、この問題は、意外に根が深い。農具の進歩もあるか?と思えば中国人の命を支える品種があった。それは芋である。特に甘藷、サツマイモである。現在中国が甘藷生産はぶっち切りのNo.1である。
その一方、甘藷は、近年の穀物生産の増加ほど、目立った増加は無い。これが不思議な所である。一方で、ヨーロッパの食糧生産を支えているものとしてジャガイモある。この生産も小麦などの生産量と比べると少ない。
生産量が多いのはトウモロコシ、小麦、米の順である。ただし、このトウモロコシは色々問題がある。トウモロコシは取れ高に問題がある一方、毒トウモロコシの問題もある。更には食料支配の一環で、旧来種を消している奴らが居る。欧米の連中だ。もっと言うとユダヤ人である。
この食糧戦略こそが今後の生き残りで重要だろう。
そしてふと気づくと、我々は農業を捨てて忘れている。利口利口と鳴く馬鹿文科系の白痴の寝言で。
例えば地元種の野菜がどんどん消えている。学校の嘘吐き=日教組の糞馬鹿教師は大事な事を全く教えない。
日本は江戸時代前後から外国から品種を輸入し自国生産品種を増やしていたという事。そして地元固有種を増やした事。
大根、白菜、キャベツ、ごぼう、きゅうり、かぼちゃ等など。それはそれは沢山あるのだが、利口を吹聴する馬鹿の所為でなくなっている。
この種子の多様性を考えると日本の固有種は宝以外の何物でもない。無論馬鹿文科系大学出は分からない。
そして馬鹿文科系大学出は歴史を基本的に全く理解していない。
例えばクリミア戦争以降戦争は陸送能力を向上させている。理由は鉄道だ。それまで戦争で大量の人間を送るには馬を使うしかなかった。しかし馬はナカナカ増えないし戦争で使うと死亡する例が多かった。中国の歴史を見ると戦争と馬の数は密接な関係がある。
これは有用生物の生産が生物的増殖しか出来ない為の結果である。最近のバイオは、どちらかと言えば工業的に使えるバクテリアを使ったものである。しかし穀物はナカナカ簡単に工業化できない。
私は思うのだが、種に投資してはどうだろうか?種はナカナカ増やせない。今のF2の雑性強種のハイブリッド種は大量生産されているが、それは今後果たして使えるのか?何より支配を考えた時に、種子で支配をしようとする勢力に対して抵抗するには種子の世界のグローバル化とローカル化である。
これをリードする事こそが、世界のポストモダンに一役買う言うより、人類の未来を選択できるものか?出来ずに行き止まりになるか?の両方になる。
アメリカでは「今こそ農業のときだ」とけしかける文言が経済紙を飾っているという。だが20年前はどうだったか?
けしかけるのは良いのだが、その時に世の中は動くだろうか?土、水、肥料、農具、そして何より種はあるのだろうか?
皆はマスゴミの売国奴どもに騙されているだろうが、私は目で物を見、耳で音を聞き、舌で味わい、鼻で嗅ぎ、触覚で感じる。
中国の土を見ただろうか?中国の土に比べ日本の土は肥えている。それは日本の森林が如何に広がっているのか?である。それはグーグルマップが航空写真で証明する。同じように中国を見ると、明らかに森林が少ない。それだけではなく全体の色を見てみると分かるだろう。
私は様々な事を馬鹿文科系大学出とは違う考え方をする。例えばイスラム教徒は何で広まったのか?と言う事も最近感じた。
私は種子戦略を考える時に、イスラム教徒と我々の共闘を提唱するのである。何故か?アメリカではどの程度砂漠の研究をしているのだろうか?日本では砂漠を緑化するのが是か良質の砂漠のままであるのが是か?を考える知恵がある。また種子の文化があり、農業の知恵がある。また水を作る文化と技術がある。
ではアラブに何を期待するのか?通貨を期待する。何故ならイスラム教徒ほど通貨が無為なものであるか知っている連中は居ない。ムスリムに我々の全てを晒し、この国の底力をアピールするのである。今度は農業で。それは中国人を受け入れる福岡市の低脳市長ではなく、私はアラブ人の農業指導員を作る政策を広めるべきだと思う。
唸る金を持っているアラブに一時期だけの通貨危機を守ってくれるようにお願いするのである。その代わり、日本の農業技術を提供するのだ隠す事無く。何故なら馬鹿文科系大学出は馬鹿で下衆で田村淳と同じ低脳の利口なつもりだから必ず価値を見切れず安く売り渡す。
農林水産省と経済産業省と外務省のお役人さん相手に一席ぶちたい。別に俺はすぐに死ぬから良いけど、日本の農業文化が死ぬのは耐えられない。そして、お安い金融危機に馬鹿が簡単に引っかかって日本全体が駄目になるのが耐えられない。
アラブ・アフリカに対して政府のODAとして農業普及(野菜から)と言う動きから、イモ類、豆類、地元品種の改良などを広げていくという流れでやるのはどうか?と思う。