嘘を付くしか能の無い慶応の商学部などの嘘学部の嘘吐き=教授が放送大学で紛らわしい嘘を連発した。
それは「社会と銀行」の中で、色々な事実を下にした嘘は、嘘吐き=慶応嘘吐き専門教授の口から出た時点で嘘と分かる。
最初に「誘導の目標」を述べておこう。慶応の嘘専門教授は「日本の銀行は手数料収入が高く、一方で収益性の高いアメリカの(進んだと言いたいんだろうが)銀行はコンサルティングで高い収益を上げている」との事である。
それに大して1990年から2005年までの日本の銀行の収益性のデータを提示した。またアメリカの高い収益性を示すデータとして2009年のアメリカの有力商業銀行の利益を出してきた。因みに、この「社会と銀行」と言う慶応詐偽は2011年の詐偽(製作とは言わない)である。
グラフを見ると、嘘の形跡が分かる。この収益性グラフが1990年から下がってくるが、1995年に第二、四半期の収益が急上昇する。それは金融再生法案が出た年だった。この時の「ご正直な自己申告」の結果、国会では「ここまで収益が上がっているなら国家九歳の必要性は無いのでは?」と言われて第Ⅲ四半期では「正直な史上最低利益」を「慶応的には正直に申告した」と言う事です。
ワッハッハ!
これが2003年ぐらいから上昇に向かう。これは「たかじんの嘘吐き委員会」で必死に隠す「内部留保の増大」の初期の状態を示している。つまり「日本の銀行」でも「利益が上がっていた」2005年どころか、2007年でもプラスになっている。「慶応が恋し焦がれるアメリカの銀行」ですら出来なかった「偉業」であるが、あれ?慶応は、アメリカの方が良かったのかな?
流石、慶応の慶応風穴、目と呼べば、ホタテの光だけ感じる目の方が遥かに物事を良く見通すだろう。ホタテ以下の目、ホタテ以下の知能でないと慶応の嘘吐き物体にならない。大体、慶応が恋し焦がれる銀行とは、本来竹中平蔵の寝言の根拠「投資銀行」の筈が、この頃「投資銀行」は事実上無い。どれもこれも破綻解体、ありゃりゃ?という感じ。
またアメリカの2009年の収益、これが「商業銀行」のそれである。これも2009年はAIG関連の「政府資金注入」があっての「利益…みたいなもの」である。これを「真顔」で「利益が上がっているんです、日本の銀行より立派なんです」と「七三に分けたキムチ臭いぬかみそより臭い、なんかのミソが入っている頭部」は「一応慶応的に正常に(普通で言う異常)動いている」ようである。
ちなみに2009年からアメリカは地方銀行から破綻が始まる。それも政権の威信があるから前半の破綻は少なく後半から破綻。そんで破綻の嵐2010、2011年の破綻が猛威を振るう。2012年はどうなるのか?と誰もが気にする。
そこでフィナンシャルタイムズやウォールストリートジャーナルが報じる、カリフォルニア州の地方自治体の破産である。これは2010年や2011年の地方自治体の破産は、ほぼ同時に地方銀行の破綻と連動している。
そんな感じ。
慶応の嘘を暴く記事ではないのですが、さわりだけで、こんなもの。
さて日本の銀行の利益は、1990年一杯続いた「嘘ばかりのディスクロージャー」の連発の中のものであり、金融再生法案を前にした「史上最高益」は誰もが信じていた「自己申告が嘘である」事の明確な証拠と言うか、まぁ思っていた通りと言う世の視線に「花を添えた」って程度?
自己申告の不正は「日本の銀行だけである」と誰も言わなかったが、そんなものだろうと言う「根拠の無い理屈」は、今となっては「今やショボついた栄光あるアメリカ金融の呼吸する過去の汚点」である「あらぁ~ん・グリーンスパン」の臭わせた「既成概念」だろう。実際1990年代は日本とチョンの金融関係の嘘が、暴かれた…?、って言うか暴くまでもなく、公然の秘密となっていた。
だが、その後2006年に退任したグリーンスパンの「未必の故意」が、連発したのは、その後の2000年代のアメリカの金融政策だった。
その「嘘の誤魔化し本」となった著書で、グリーンスパンは「頭の良い現場の言う事を信用する意外、政府の関係者が金融の実態を知る方法論は無い」と「断言」している。それを読みながら私は「日本であった事が欧米でなかったとは到底思えない」と腹を立てていた。そしたら「やっぱりぃ~?」と言う事になりましたとさ!ポコペン!
中には「リーマンショックの再来?」とマスゴミが騒ぐが「免疫の無い2008年」とは違う。って言うか2007年の時点で大分免疫が出来る「BNPパリバショック」があった筈なんだけどね?
って事で、イギリスとアメリカの当局者までが?と言う「彼等が正直と言う前提」は、今、誰か信じているの?って感じです。
大体NHKの「マネー資本主義」で、モルガンスタンレーの上層部の一人フランク・パートノイが投資関係者を「無知のお人よし」と嘲笑し捲くった時点で、グリーンスパン以外の金融関係者が「グル」になっている事ぐらい、当たり前だと「思っていたよね?」
それはスタンレー・E・オニールの経営(?あれって経営って言うんだ?丸でリスクマネージメントと言う言うもの忘れていて)と重なる。
もうスンゴイの!詳しくは本を読んでもらいたいが、題名は忘れた。スタンレー・E・オニールでアマゾンの検索を入れて下さい。
2010年は、この手の見え透きすぎた上に「大体分かっていたけど、いざ正面に言われるとショック」な内容の連発で、今となっては私は「ちょっとシニカル」になっているが、正直私以外も大分「シニカル」になっているだろう。
でもねぇ~。それを前にしての2011年の「社会と銀行」ですよ?それとも「分からなかった」と言うの?
それマジ?マジマジマジ?マッジィ~?とオジサンなのに「七三に分けたキムチ臭いぬかみそより臭い、なんかのミソが入っている頭部」を持つ慶応の物体に問いたくなる。
と言う事で、放送大学の関係者の方々、これは「困った事に事実」です?
解釈の方法に何か疑念でも?なら出て行って「丁寧にご説明」致します。更には資料を山と積み、慶応の「七三に分けたキムチ臭いぬかみそより臭い、なんかのミソが入っている頭部」を持つ奴に対して「討論する用意」が御座います。
勝つのは分かっています。どの程度「完膚なきまで叩きのめすか?」が問題となります。ついでの経済番組に出る事が事実上不可能になった「竹中平蔵(国会質問を待っている。当然被告として)」と「勝間和代」を撫で斬りにしましょうか?
私が凄いのではない、経済ジャーナリストは、大体「いきり立って」います。
ああ、そうでない奴は「お小遣いチョォ~ダイ」って慶応の然る筋に「御説得と言う名の恐喝っぽい事」をやっているでしょう。正直彼等の方が「強か」で「ある意味徹底的に利口」で「当事者の一番の悩み」でしょう。
我々は「鋭い刃物」であり、切られた時には全て終わるだろうけど、痛みは後に残さない。
だって「即死」するんだもん。
痛みは生きている証。
今の痛みを楽しめ!慶応!
それでは、今宵は、ここまでに致したく思っております。