歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

この記事で思い知らされる。忙しい人のための故スティーブン・コヴィー氏の「7つの習慣」(WSJ)

2012年07月17日 23時56分19秒 | 日記

 

私はこの人を知らない。だが記事を読めば分かるが、この人は交通事故が原因で死んだとの事だ。
先頃国税の人が交通事故で死んだが、実は欧米では交通事故死が半端なく多い。
理由は、大陸的おおらかさと無関係ではないだろう。日本でも愛知と北海道がダントツで事故率が高いが、正直何を言っても通じない。
欧米では、バリアフリーが整っていると島田陽子辺りが吹聴するが、それは下半身不随になるのが交通事故由来が多いし、もう一つ、この手のクズアカが誤魔化すのは、アメリカは感染症横丁と言っても良い程の感染症の多さがある。
アメリカは希望が持てる国とか、アメリカンドリームが道に転がっているように吹聴する奴等が多いが、実は狂犬病の死者が多い。この狂犬病の死者は、人口比で考えると中国が途上国とは思えないほどで、まぁ感染症がばら撒かれている。
感染症が多いもう一つの理由は、これはフランスでも同じなのだが、シンガポールでポイ捨てをすると1万円の罰金があれば財政破綻は一発で消えるほど、公衆道徳が低い。よく愛国心があると自慢するがゴミは見境なく捨てる。
交通事故も感染症も実は同じ特性を持つ、金持ちと貧乏人が確率は違うものの全く無関係ではいられないと言う事だ。
この人は79歳で死んだが、大往生とはいかなかったようだ。
それにしても7つの習慣のうちの習慣2「終わりを想定して事に当たる」と言うのが何とも意味深だ。
これは経済が生命の保障、連続性の保障があっての事だと馬鹿のようだが繰り返す。この終りを想定しての終りとは「完成」ではなく「より広汎」に意識をするなら「死」であろう。
完成、成功ではなく「実に下らない奴の下手な運転の所為で、急に終りを迎える」と言う事だ。
理不尽、非合理の最たるものだろう。遺族の思いは如何ばかりかであろう。いや関係者は如何ばかりかと思う。
呉越同舟の故事で有名な呉と越の争いの中で孫子は「功名なりて隠退をせざるば、その厄災や身代に及ぶ」と称して、呉王夫差の即位と同時に隠退した。
我々は死に向かって生きている。目標が成功とばかり思うのは、全て失う恐怖を忘れている。
私は猫を見て思う。こいつ等は、富貴である事や窮乏にある事を思い悩まない。また失っても命が果てても、その時に驚き、もがくぐらいしかしない。
それ故愚かであり、不幸であり、無駄な事をせず天の理に拠っている。賢い人と愚かな猫、愚かでもないだろう、一般的な猫。その死は、感じると言う点において全く同じである。
虫から進化から離れて、脊椎動物となり、哺乳類となった。自己と言うものは魚が持っている事は間違いないらしい。感情と呼べるものが爬虫類にあるか?は疑問だが、少なくとも猫にはある。
その時点で喜ぶ悲しむは必ず存在する。
私は今も忘れない。郊外のバスが殆ど通らない町で、顔を歪めて死んでいるオス猫に、切ない泣き声で弔っていると思しきメス猫の姿を。オス猫は立派な容姿であったろう。だが頭に車から突っ込んで死んでしまった。
コヴィー氏の死は、多いなる悲劇と参列者は言うだろうが、猫の死と基本的に変わらない。魂の重さ。それが思っているほど重くない。両方とも車に潰されて死んだのだ。
思慮溢れる経済人とノラ猫、どの程度の差があるのか?所詮同じ死だ。より広範な人生の目標を含め、最終目標が何かを決定しても終りは終りである。
私がコヴィー氏より勝っている事は、運転する他人を信じない。奴等が馬鹿な運転しても免れるよう気をつける。
そう遠くない将来自殺するかもしれない私だが、それが今である事は馬鹿な事に嫌だ。
将来金があってステータスがあって、豊かな人生だった人が、それが無かった為に全てがパーだ。
駄目な死を迎える馬鹿は今も五体満足です。下劣な品性のお陰だろうか?酷い人生だったから交通事故で痛い思いをして死にたくは無い。だが金にはなるな。生命保険と自動車保険のダブルだ。
それが良い事なのかもしれない。私が死ねばよかったのだろう…と言っても金にはならず、無駄な命を今日も糞と小便と二酸化炭素を出しながら生きている。
何とも無駄な命である。