歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

罪刑非法廷主義(最新刊)「金で全てを失った男(陳腐な題名)」その1

2015年12月15日 20時16分08秒 | 経団連の黙示録

罪刑非法廷主義(最新刊)「金で全てを失った男(陳腐な題名)」

Written by 嘘吐き親父

第一章.行旅不明人死体

1-1.最近言われているアレです

 それは2015年11月19日。東京都あきる野市にある「アヒルのケアハウス」で起きた。

「きょっ…今日は!今日は!ああ、あと、あと1週間で…。」

 その時311号室の中村三郎氏(仮名)は、朝届けられた新聞のコピーを見て大絶叫した。

 ケアハウスには、全室に監視モニターが設置され、主に、予測されない行動を起こした時の事情把握をする為に使われていた。

 だが今回は、別の意味、つまり発症そして、死亡までの記録となった。

 ベッドから身を起こしていた中村氏は、そのまま床に倒れこみ、心臓麻痺の症状を見せていた。

 関係者は色めき立った。早朝や夜半は、脳溢血を起こす可能性も高く、実際、ケアハウスの禁忌の時間だった。だからある程度、気にはしていたが、実際起こると違うものだ。

「はい!中村さん!入りますよ!良いですね!」

 担当の本田薫は、マスターキーで部屋の扉を開けて開放の状態を保った。そして、倒れている中村氏を引き起こした。

 中村氏は、典型的な狭心症のショック状態を起こしていた。顔色も紫になっている。もうテキストどおりのチアノーゼである。

「先生!先生!」

 有難い事に、この時間には本日勤務予定になっている内科医・石田が来ていた。

「不味いな!ボスミン!ここあるだろう!中村さんだし、三郎さんの方だよね?」

「ハイ!そうです!中村三郎さんです。」

石田医師は、アンプルにボスミンを取って注射器に吸わせた。

「ああ…、私は死ぬのか?私は…、死んだら、ああ、あの子は、あの子は…」

「何も言わないで、落ち着いて!」

「ああ、本田さん、何時もありがとう…、貴女にも…、いや…、私は死んだ方が幸せなんだ…、ありがとう、本当にありがとう…、康子…、康子…」

先ほどつけた心臓モニターが鳴り出す。

「動性頻脈から、心臓音減弱…、AEDを!」

石田医師は3回カウンターDCを続けたが、心臓は鼓動を止めた。

その時311号室は嵐の後の様な有様だった。

「中村さん!」

薫は泣き出した。

中村三郎と呼ばれた男は、安らかな死に顔だった。

この男は「中村三郎」ではない。仮の呼び名だった。

何故か?彼は、身元不明痴呆老人と見られていたからだ。

3年ほど前に見つかり、それ以降、引き取り手を捜していたが、とうとう見つからず、当時空きが多少あった「アヒルのケアハウス」に無理矢理入れて貰ったのだ。

中村はアメリカで言うとJohonDueに等しく、アメリカでは番号だけで呼ぶ。日本では、そこまでは行かず、名前で呼ぶ事にしている。一応数字を入れて。

つまり中村三郎とは3人目の身元不明痴呆老人と言う意味だった。

 

1-2.やる気の無い刑事

 あきる野署では「アヒルのケアハウス」からの通報を受けて、先ず鑑識が急行、現場確保を行う一方で、刑事が出向いて捜査を行う事となっていた。

「磯川さん!朝早々から、お呼びみたいですよ!」

と須藤大造は、見た目「玉木宏」にそっくりな顔をキラキラさせて立ち上がった。

「早起きは3文の損失だね」

と磯川梧郎は、どちらかというと安田顕に似た顔で苦虫を噛み潰した。

「アヒルのケアハウス」は、あきる野署から30分ほど車を走らせた所にある。

 鑑識のバンが止まっていた。最近は何でも問題になるので、一応、死亡問題が関わると、必ず鑑識が出て行った。もう慣れたものだ。だが、その分の経費は国家の肩にのっかかるのである。

 磯川達が中に入ると、既に包囲線(テープ)は張られており、靴下袋を着けた鑑識が写真や、遺留品を探っている。

 だが行方不明の痴呆老人である。何がある訳ではない。折角の鑑識も写真と捜査風景を録画するビデオ、それと微細な遺留品を吸い込む掃除機が空しく音を立てるだけだった。

「さぁ、私達、物証を集めるだけの単調な鑑識課は仕事を終わりましたので、捜査の花形である刑事課の方のお仕事をどうぞ!」

 と、小太り眼鏡の坂田歩巡査部長は、嫌味な台詞と、貴族を迎える使用人のような仰々しいポーズを取った。

「面倒くさいなぁ~」

 と磯川はムッとしたが。玉木宏に似ている須藤は

「うぅ~ん、ありがとう」

 と慣れたような受け返しであった。

「むかつくって、こんな感情?」

「ボク良く分かりません!」

と人を食ったような回答である。

本田薫も一目見た時に

「あっ玉木宏!」

「よく言われます」

「それしか能がありませんから…」

 須藤のブスっとした顔があった。

 事ココに到ってようやく施設長が到着した。激職なのだろう、疲れた様子だった。

「警察の方ですね?」

「市民に愛される民主警察を目指している、あきる野署です!」

 須藤のおちゃらけである。それが、緊張をほぐしたのか、施設長は、大きく溜息をついて、対応した。

「お亡くなりになったのは311号室の中村三郎さんですね。ええっと、これは、御存知でしょうが?」

「分かっております仮名ですね。」

 磯川もにこやかに答えた。

「三郎ですか?どうせなら勘三郎にすれば、タイムリーだったりして」

と須藤が言うと

「黙れ、このお調子者」

と磯川はにらんだ。

「ええ、私達も困っています。その…、この一件ですが、家族の方でないと、市の方が関わる事となり、手続きとか、後の処理とか色々大変手間がかかります。その…。」

「今までも手がかりをつかむ努力は?」

「行政レベルでお願いするしか…、我々も、そのお世話だけでも窮している現場ですので。」

「全く…、とりあえず、こちらも、指紋、掌紋を手足で取って確認しております。なぁ!」

と磯川は、パソコンで照合している坂田歩を見た。

「とりあえず俺はな?長崎市立緑ヶ丘中学校で、盗難事件があった時に問答無用で指紋取られたから、俺が呆けてもすぐに分かるがな…。あの藤崎大吉朗め!プライバシーを侵害しやがって!」

と磯川は30年以上も前の恨み言を連ねていた。

「あれ?照合一致!」

当てにしていなかった坂田歩は大声を上げた。

「何!この急展開!」

須藤が目を見張る。

「ああ、セクター問題だな、情報ヒエラルキー。んで、どこのデータベースにヒットしたの?」

驚きの表情を隠さず坂田歩は磯川を見つめて

「警視庁…、歴代所属者名簿…、名前は…、榎本武、最終階級巡査部長…、年齢、現在67歳です…。」

「何!あの榎本巡査部長か!」

磯川はすぐさま反応した。

「何ですか?それ?」

須藤も、坂田も、磯川を見つめた。

「何ですかも何も無いさ、俺が捜査一課に居た時の事件だよ。その被害者の夫…。」

「はぁ?」

全員が声を上げた。

「良くご存知ですね!」

須藤の声に面倒くさそうに

「知らいでか!面倒くさい、張り込みを何日したことか!まぁ被害者が警視庁の警察官の嫁だと言う事で、そりゃ、当時は腫れ物を扱うような大勢だった。それもこれも、この榎本巡査部長が問題があって、いや、問題と言うより特殊環境があって…。」

それで?というようなあきる野署関係者とは違い施設長は

「では、御遺族の住所は?」

「ああ!江東区のマンション、先頃で来た奴ですが、そこの最上階に…」

「名前は?」

「古泉敦子、長女の一人っ子、夫は古泉小太郎と言います。」

事は急展開した。

 

1-3.20年前の事件

 この榎本武巡査部長は、父親榎本孝明の長男であり一人っ子であった。父親は、東京都に勤務する総務課の男だった。父親は、色々な経緯で、土地を所有する事となっていた。東京都の一等地ばかりである。

 それが出来たのも役所のお陰東京都様様である。

 利殖が目的ではないのだが、当座、必要な土地を確保と言う時に身銭を切るのは駄目なのだが、それを上手く誤魔化して買っていたようだった。

 挙句の果てには、某政治家に名義を貸したら、その名義どおりになってしまい1銭も払わずに手にした土地もあった。

 東京都に住んでいる人は「昭和40年代までなら無理すれば東京に一戸建ては不可能じゃなかった。どんな人でもね。」とは言う。だが都合千坪の一等地である。これが暴走したのがバブル崩壊前の東京だった。

 正直持っているのも面倒臭いと言う金欠病が聞けば激怒する事なのだが、当時は地上げ屋とか、どんな所にも入り込む銀行証券土木の関係者に付け狙われるのも辟易だった。

 実際警察官でなければ、身の安全は保障されないのが当たり前だった時代だ。耐え兼ねた榎本武巡査部長は平成5年に所有地を全部売却した。

 総額100億円を超えていた。

 ところが土地を手放せば静かになるものではなかった。

 今度は投資である。

 「土地売却関係の銀行証券土木」の関係者は来なくなったが「投資関係の銀行証券土木」の関係者が交代で出てきた。それは酷いものだった。

 結婚して2年経ったばかりの家は、サラ金の借金取りとは似た存在から違うやり方と用件を「強制」されそうになった。

 これが日本の「文高理低」と言われる、お高い文の「やり口」である。そう、文科系大学出とは「スーツを着たヤクザ」だったのである。

 そして、その攻勢の中悲劇は起こった。

 冒四証券の社員・坪内幹夫が、榎本武巡査部長の妻、康子を殺害したのである。

 と言うより事故であったかもしれない。

 坪内はかねてより焦げ付きのある債権を隠そうと、今の中国のようにキャッシュを回していた。その回す金がなくなっていたのである。

「警察を呼びます」

 と言うより、そこは警察アパートだった。康子の声に激昂した坪内は、榎本康子の胸倉を掴んだ。そのタイミングで心臓に圧迫を与えたのか、呼吸を止めたのか?

 分からないが、榎本康子はショック死をしたのである。

 今で言えば「心臓麻痺」で死んだと言う事だが、蘇生をしていれば十分助かったかもしれない。だが、そこは「スーツを着たヤクザ」である。

「俺が悪いんじゃない」

 とほざいて被害者をほったらかして逃げ出したのだ。

 大して「お高い文」である。

 「お高い文」の代表:坪内は容疑を否定したが、決定的だったのは、康子の胸倉を掴んだ時に入ったであろう、坪内の頭髪が康子の胸の間にあった事である。

 これにより直接殺害は無かったものの「未必の故意」を取られた上に、会社に嘘の報告を続けた業務上横領などが加算され懲役17年の判決が下された。

 哀れなのは、当時2歳だった敦子である。

 母親のぬくもりを実感する前に別れてしまったのである。

 警視庁は、榎本巡査部長に「何等落ち度がない」と「完全な事実を伝えた」だが、そこは「中核派特集のTBS」とか「過激派を憲法学者とするテレ朝」が適当な事を並べた。

 警視庁は「正義は正義、事実は事実」を繰り返したが「正義など自分の周りに無い、事実は幾らでも捻じ曲げられる」と言うTBSテレビ朝日には通用しなかった。

 そして榎本巡査部長は警視庁を辞したのである。

 当時47歳、無念の上に無念だったであろう退職だった。

 もっと酷かったのは「退職金の支払い」だった。

 お支払額:1000万円

 既に100億を持っている人間からすれば一千万円など「計算誤差」である。

 その通知書面を見てゴツ突な榎本巡査部長は、思わず泣き崩れたそうである。

「もう…、いらないのに…、もう…、いらないのに…」

 磯川は、その光景を見ていた。

 悪が大手を振って歩く日本の姿を