歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

誰か岡田准一に伝えてやってくれぇ~三国志ネタ。実は太陽が関係していた。

2015年12月26日 00時55分13秒 | 日記

プロファイラーで「三国志」を語っていた岡田准一と脇ぃ~だが、このスカスカの連中が何が分かるか!

と上から目線は後で取るとして、今は私の実力(ジツリキと読むのだよ)を伝えましょう。

実は三国志の元となった黄巾党の乱の発端となった飢饉は、太陽が起こしたようなものだったのだ。

太陽の活動と人類文明との関連は「マウンダー極小期」で検索すると分かるだろうが、太陽活動と文明の積み重ねがある。

例えば頭の悪い糞馬鹿文科系大学出の馬鹿がマウンダー極小期のヨーロッパの穀物生産を嘆いて「シュメールの時代は1粒から30倍~50倍になったが今は10倍程度にしかならない、どうしてか?」と馬鹿が馬鹿丸出しで寝言をほざく。

シュメールの時代、前氷河期が終わって、恐らく最初の太陽の極大期を迎えたと考えられている。

しかし、その前に今から8000年前から5000年前までに世界中で文字通り降って湧いたような洪水を体験した。

世界中の山岳地帯で氷河湖が崩壊したからだ。

旧約聖書にある「ノアの箱舟」と同じような古代伝承が世界中にある。それは、この時代に世界中で発生した氷河湖の崩壊があった事がほぼ決まりであった。

実は今の海岸線は、この氷河湖の崩壊でできたもので、相当な流れ込みがあったのである。

この5000年前のシュメール極大期、その後のストーンヘンジ極大期、ピラミッド極大期などの極大期がある。

そして、実は比較的小さな極大期と極小期の連鎖があった時代があった。

それが紀元前500年と西暦200年を中心としたものと1600年を中心としたものが知られている。

1つはローマ帝国・中国の春秋戦国時代であり一つは三国志であり、もう一つはルネサンスと日本の戦国時代であり、大航海時代である。

つまり、世界の大乱は、太陽の活動が不安定な時に符合するのである。

だが、オカダーには一つ気が付いて貰いたい。

日本の世界的に安定した長い平和の時代は「マウンダー極小期」つまり太陽活動が低くなり、作物が取れない時期に活発化した。

つまり世界的に食えないとか、問題が長期化している中日本では農業生産が飛躍的に増加しているのである。

日本でも3大飢饉とかが発生しているが、これを馬鹿の集団文科省+日教組はどうしようもない事!とほざいているが、実は嘘である。

例えば田沼意次の賄賂政治は社会が活発化したとほざく馬鹿が(多分慶応や法政の馬鹿)ほざいているが、実は間違いである。

まぁこの辺は森永卓郎も全く知らないだろうが、飢饉の前には必ず好況があったのである。

その結果経済性が問われて、当時の江戸の経済は「金本位制」でも「銀本位制」でもなく、正確には「米本位制」なのであった。

森永卓郎や池上ハゲ嘘彰が今の常識で江戸時代をほざくが間違いである。

江戸時代通貨は、現物通貨の色合いが残っており、実際江戸時代の終わりに出てきたナポレオンの経済政策の一つナポレオン金貨はほんの20年前までヨーロッパの重要な経済指標だった。

現金は貨幣で、貨幣は通貨と言うより、価値を象徴する「工芸品」と言った方が良い。その時点で慶応や森永卓郎、典型的な経済音痴の池上ハゲ嘘彰の経済寝言は通用しない。

現在のマネー経済の基本である江戸の経済は米が「原資」であって、経済活発化があると、通貨の力が強くなり、江戸詰めの生活で幕府との付き合いをやって勢力を上げる為には、どうしても通貨が必要となり、米を無理して作る農業が強制されたのである。その結果冷害に弱い経済となったのである。

奇しくも田沼意次の失脚は飢饉へ対応する能力が無かったからである。

利益誘導の政治家が、危機に弱いのはよくある話で、甘い誘導と強固な強制能力が伴わないと、それは神輿に乗せられた馬鹿殿様である事が多いのである。

それでも日本の農業生産能力は江戸時代を通じて1.5倍にはなっている。これは他国においては驚異的な数字である。

下衆の馬鹿の頭の悪い糞馬鹿文科系大学出は「温暖化を情熱的に推進を希望していた文壇の偉人」を無視する。それは宮沢賢治だ。

この宮沢賢治は、毎度、CO2が増えて温度が上がれば東北の生産は安定する。と書き物の中には、暇さえあれば書いている。

だが、宮沢賢治が生きていたのはマウンダー極小期の終わりである。そんな中で、江戸時代の人は繁栄と平和を手にしていた。

三国志の話というより、太陽活動が劣勢にあっても、国力をアップさせた日本は、それは凄かったのである。

後で、色々田沼意次の糞政策を論うが、実は、江戸幕府がつぶれる原因は田沼意次の糞失政が原因と私は見ている。

田辺君が糞馬鹿BSジャパンで「田沼意次」の政治を称えさせられていたが、実は、その時代から問題が起きていた。

田沼意次の賄賂政治もあるが、もう一方で、日本の砂糖消費が開国をせざるを得ない状態にしていたのも事実である。

ここで砂糖。と私は言うのだが、この砂糖消費の文化は、江戸時代に相当に大きくなっていったのを誰も指摘しない。

当然、糞馬鹿文科系大学出の芸能関係は馬鹿だから知らない。

梨園の連中も実は江戸時代の知識は無い。同じ事は落伍者(落語家なんてのはいない。面白くない話を垂れ流す落伍者がいるだけだ)も馬鹿だから言わない。糞話でぼろ儲けして、糖尿病になる連中を落語家或いは落伍者というのだから。

私は知れば知るほど江戸時代の実態が分かっている。

皆さんが江戸時代と呼ぶものは1780年~1860年までの80年間で、もっと言うと1780年~1840年頃である。

多くの時代劇の設定が通用するのが、この60年間しか有り得ないのである。

つまり江戸時代の180年間の庶民の生活とかは全く描かれていない。江戸時代の1/4を称して時代劇とほざいている。

何故庶民の生活を描かないのか?それは無味乾燥な世界だからだ。それでも鎌倉時代からすれば相当にマシである。

しかし今当然あるべきものが何も無いのである。食い物だけでも、相当に無い。野菜が種類にして今の20%ぐらいしかない。

江戸時代の日本でもそうなのだから、西暦200年ごろの中国には何も無かった。だから三国志の時代人口は30%まで居なくなった。

そんな時代は相当に絶望的なもので、三国志は言うほど立派なものでもなく、凄いものでもない事が、はっきりしつつある。

皆精力的に動いていた!と言う様だが、呉の魯粛も周喩も病気で死んだ。劉備元徳の死因は岡田もわっキーも知らないだろうが「下痢」である。

また諸葛亮孔明が蜀の全権を担っていると思っているようだが、それは間違いだ。

三国志にも殆ど出ていないが孔明の全権取得の前に、法正の復讐政治が存在していた。

そんな事をオカダーやわっキーは知っているのだろうか?

って事で、色々言うのだが、歴史を知るとは、その時代の生活を知る事である。しかし、往々にして英雄譚ばかりで、反吐が出る。もっと当時の食事や生活の風習から見た今との違いこそが、実は本当に歴史を知る事である。

って事をオカダーやわっキーに伝えておいて下さい。。。。