元々NHKの「人間は何を食べてきたのか?」と言う3本シリーズでした。
「塩の吹く大地」(醤油)と「題名忘れた」(お茶)と「題名忘れた」(サトイモ)でした。
「塩の吹く大地」では、タイの奥地にある塩水泉に魚を漬け込むもので、ニョクマム(魚醤)が元で、その後、大豆を使った醤油が生まれたと言うストーリーでした。
醤油は、日本よりも先に虫獄の浙江なんかで作られていたらしく、日本が醤油を作ったのは江戸時代の中期頃でした。それまでは、味噌の樽に湧いて出た上澄み(溜まり)を使ったり、江戸の初期の茶見世では「煮ながし」だったか?って言うものを使っていたらしい。
さて、お茶は、陸羽の「茶経」をテキストに話が進みました。そして、虫獄のどこかの「超高級烏龍茶」の木の株を「最高の茶」として紹介していました。
このお茶の回では、色々なお茶が紹介され「龍髭(ロンシー)茶」「虫糞茶(茶の葉だけを食べる虫の糞)」「四国の茶粥」「団茶(たんちゃ:虫獄がチンギスハンの時代から売っている安物の硬いレンガのように固めた茶。牛乳と砂糖と塩を入れてツァーティー茶とする。)」と色々説明がありました。他にも「花茶」と言う無印良品でも売っている、見た目も匂いも良いお茶も紹介されました。
そして、最後に出てきたのが「サトイモ」でした。
このサトイモの回は、最初の舞台が台湾の少数民族でした。
この民族は、台湾に居る、半農半漁で、刺青を入れる風習があり、下着は「ふんどし」でした。上着はシャツのみ。見た感じ、大阪の、酒飲みのおっちゃんという感じの島民の主食がサトイモでした。
主食:サトイモ+飛魚と言う極端な「偏食」です。
たまに、何かを臼でついていると思えば、それは「若干腐れたサトイモ」でした。
この「若干腐れたサトイモ」は、このサトイモが台湾の地にやって来た時に、毒を抜く為の手法で、腐れている問題より、サトイモ自身のシアン化合物(ソラニン)の問題が大きかったのです。
今でも栽培種の時期によっては、この腐らせをやらないといけないとありました。
そのオリジナルは?実はメコン川の上流に、デカイ株が、その当時(1990年代)には存在していましたが、食えば確実に死ぬと言う猛毒の芋でした。
サトイモは、メコン川ですが、ジャガイモ、サツマイモは中南米の作物です。しかし、やっぱりシアン化合物(ソラニン)は存在しており、青い部分は食用になりませんでした。
このサトイモは「芋煮」の関連で福島の人々には興味があるのでしょう。大体「芋煮会」の関連で読みに来る人が多いのです。
さて、それでは前の記事以上の「憶測」を入れたく思っています。
先ず、この芋ですが、シアン化合物があるにも関わらず、これを食べようとしたのは、ここまででんぷん質を持っている食べ物が当時無かったのです。
それ以外では、栗、どんぐり、百合根、程度で、それらは、食事としての満足感が遠くサトイモには及ばず、結局、その食べた満腹感を得る為にシアン化合物の危険性をはらんでいながら、日本人も食べていたのです。
日本では栽培種になり毒が抜けて行き、今の形態ですが、日本の各所に、サトイモを若干腐らせる手法が残っているそうです。
さて、私の妄想は、終わらない。
ネイティブアメリカン、つまりインディアンとかインディオと言う人々は、我々とDNA的に近いのですが、彼らは今から3万年前にベーリング海峡を歩いて渡ったそうです。(氷河期による、海面低下のお陰です。)
その後彼らは、人類の60%を養うジャガイモ、サツマイモ、とうもろこし、かぼちゃ、トマトを発見するのですが、特筆すべきは、芋が2種類も発見されている事です。
思うに、彼らが3万年前に日本の周辺に到達した頃、もう、サトイモは、この地にあったのかもしれない。
そうなると、新大陸に移動した後、嘗ての食べ物の記憶にあったものを探し、それが見つかった。つまり新大陸のジャガイモやサツマイモが発見できたのはサトイモと言う記憶が促したとすれば、我田引水が過ぎているでしょうか?
私は、そう言った知識も芋煮を食べる時の「旨み」の一つになれば、してやったりです。
昔は、食い過ぎると痺れてしまう危険性を背にして食べていたのに、そして、今入っている豚肉なんぞ…、それは猪で有り得るなぁ~。
そんな、下らない事を色々盛り上がりながら、安全な芋を残してくれた祖先に礼を言いましょう。「美味しい」ってお礼を。。。。。。。。。。。。。。
浙江省