○柾谷小路に面した本町のところの新潟中郵便局前の、かんぽの「ひよこ」がいる。ぬいぐるみ?
キイロイトリ「シツカンガ ニテル デショウカ」
今週に入って、少し気温が下がったのか?と思いつつも、夕方になるとゲリラ豪雨が来るのはなかなか怖い。ちょっと暗いな空が、と思ったらレーダーを確認しつつ退社時間のタイミングを計る。
本日のBGM:
変容(メタモルフォーゼ)(管弦楽のための主題と12の変奏曲 P.169)/ レスピーギ
(RESPIGHI: Belkis, Queen of Sheba: Suite / Metamorphoseon modi XII, Naxos CHAN8405 1985)
「市民団体によるNHKへの抗議活動」のニュースの中で、元NHKプロデューサーの「永田浩三」さんという名前を見て、検索していて「社会主義の20世紀」というキーワードが出てきた。この番組にこの人も携わっていたのかと知ると同時に、つい「あの」音源を探してしまう。試聴できるやつを見つけて聴く。流れる。ああ。これだ。
1990年頃、月1回のNHKスペシャルで、これは自分や友人も皆毎回見ていた番組だ。
そのオープニングで流れる、極めて重厚で美しくかつ悲愴感が漂う、背筋がざわざわとしてくるテーマ音楽がレスピーギの「変容」の主題。それだけでなく12の変奏曲の方も、軽めなのから激しいのまでいろいろと番組内の各場面のBGMに使われていたと思う。あえてオリジナルで作らなくても、この主題を使った12の変奏の部分が十分サントラに使えるわけである。ともかく選曲の人のセンスがいい。「夢千代日記」で武満徹を知るごとく、この番組でレスピーギを知る、というか。
だからこの旋律を聴くと、完全に条件反射的に「社会主義の20世紀」の暗い映像と内容が、がっと脳裏に浮かびあがってくるのだった。この曲と、1991年の大河の「太平記」の音楽(三枝成彰)を聴いてると、その当時の「世間はバブルで景気良かったか何か知らないが(その無邪気な気分と比べてなおさら)親類の葬儀が続いたりして経済的にも将来的にも暗く、しかも対人関係への不安と違和感で陰鬱な無常観に染まっていた悲惨な学生の頃」の気分がまざまざと蘇ってくる。NHKはそういう重厚な番組も制作していた、ってところが実は経済的にも文化的にも今よりずっと贅沢なレベルの時代だったのかもしれない。
番組はソ連と東欧が中心だった。(今思うと番組のまとめ方自体が若干「こっち側」資本主義的プロパガンダの側くさくもあるが、)機能も頽廃した官僚国家の末路で困窮に苦しみ、抗議の声を上げる東ドイツやモスクワの人々のデモの波が画面に流れた、それから四半世紀。その番組の制作だった人が街頭で訴え、困窮と危機を訴える人々の数百数千数万のデモの波が続いていく、今や日本がそういう状態になってしまったのかと感じる。
自分もその後、なんとか生きていくために社会人となり働く大人になっていって、その年月を経ているのだが、その今までに、何ができているのだろうか。技術的には20世紀より手軽に便利になっているのかもしれない、しかし人間の精神とか思考とか行動原理とかは…
それとも、2015年8月現在の日本の社会の状況を、30年後か50年後かにドキュメンタリー番組として(そんな企画や、だいたいテレビやNHKというメディアや現在の社会体制からしてその頃まで存在しているかどうかはともかく)作ったりする場合、残っている当時の(現代の)国会中継や周辺の抗議デモも含めた諸々の映像資料の上に、このレスピーギの「変容」みたいなBGMがかぶさって流れるのだろうか。などということを想像しながら、試しにこの曲をBGMに聴きながら音声を小さくしたリアルタイムのニュース画像を見ていると、これまた壮絶な気分になってくる。(20150828)