「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

本日の効果音(95)Praying For The Dying -inst.- (1994)

2023-04-29 | 閑話休題・本日の効果音

〇(写真は祐徳稲荷のバス停待合室にいるキイロイトリ2羽です)
 今朝から凄まじい大雨のため、外に出られない。
 数週間ぶりで自宅にいて土曜を過ごしている。壊れた折りたたみ傘の修理や繕い物、家計簿の整理と洗濯と台所の掃除などをしているうちに、週明けに用意しなければならない書類のことが頭にひっかかって不安になる(だいたい、そうして頭の中が一杯になるために、家の片づけが毎度止まってしまうのだった)。小降りになったところを見計らって、一度会社のデスクに戻るか、持ち帰っているUSBのファイルから修正を始めるか、悩む。
 そうこうするうちに、台所に残る保存食料の賞味期限チェックとともに、その消費しなければならないものから使って、昼食を準備する。

 それにしてもまだBDの修理交換をせず一か月近く経つまま、「テレビを録画しない」と、こんなにテレビを見る時間が減るのだ、ということがよくわかった。録画するとHDDダビングの間何かを付けたり再生したりするから、その分、使用時間が長くなる。だがダビングしたものも、それをこれから見る時間が、今後の人生でどのくらいあるのか?と思うと、そんなに要らないのだろう、という客観的な考え方にたどりつく。先日の「隣の男はよく食べる」やら、来週はDepeche Modeの新譜らしいベストヒットUSAとか、今までだったら留守録しとくところだったが、まあ成り行きによるな、という気分になっている。テレビを見ない分、netとラジオから天気予報とニュースを確認したり、音楽を聴いたりしている。夜そうして早く休むと、昼間の仕事が朝から動ける。
 ちょっと3月末から4月があまりにも繁忙すぎ、手が回らなかった。やはり24時間の中で脳が動く分、仕事が多すぎる上にnoiseが入ると回りにくくなる。少し「関わるものの絶対量を減らす」べきだったから、ここへ来てこの展開なのかもと思うことにした。


本日のBGM:Prayer For The Dying (instrumental)*bonus track / Seal (「Seal Ⅱ」W PCR-40 1994. ZTT Records LTD.)
 Level 42「Forever Now」とかSealⅡなどは、1994年頃に流れてきて聴こえてきた記憶の中の英国音楽だったとしみじみ感じる。同時期のPrince(途中で一時Ƭ̵̬̊)よりもメロディックだったという印象もある。Kiss From A RoseにしてもベースにはJazzyなものやJoni Mitchelle 的なものがあるらしい(なんとIf I Couldのコーラスに参加も、とか)と聞く上に、いろいろな音楽の要素が取り込まれていそうだ。この「Seal Ⅱ」のM2は詞のすごさももちろんだが、bonus trackのinst.だけでも楽曲の良さがじわじわきて、改めて「Seal」と「Seal Ⅱ」を通して聴き進んでしまうと、同時期的にはBryan FerryのMamounaとか沙粧妙子最後の事件(岩代太郎)などにも共通するtrackの贅沢さと、複雑にして良質なコードとフレーズの畳みかけの快感があって、酔う。2010年代だと林ゆうき・橘麻美の「嘘の戦争」のサントラの「復讐の轍」のギターの使い方とかも、こういう感じで。これらの音楽には90年代の爛熟した(軽薄になってしまう前の)sound構築の華の系統のようなものを感じたりもする。もしかして楽曲的にはアニメのサントラの作者などを含めた、現在の日本の音楽のcomposersへの影響も大きかったりするのではないだろうかと疑っている(20230429)
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