〇先日の出張からソニックで帰る時のキイロイトリ。乳酸菌飲料をおやつに飲んで休憩中。
先週の連休でもまだ気温が8月並みで、水田の稲はかなり実っている感じでも、毎年そのへんで見かける彼岸花らしいものの気配がなかった。今週は少しは姿を現しているのだろうか。一気に出て一気になくなってしまうから、田舎を走る時に注意してみたい。週明けの出張と会議の準備がそこそこあるので、この土日も完全に休むわけにもいかない。そういうのが慢性疲労的にあんまり良くないのかもしれんが。
写真は7月の新千歳空港付近。まだ涼しかった時。北陸から東北と東日本方面の秋雨前線、豪雨にはご注意ください。九州の方も午後あたりから降るかも。
BGM:水のルージュ / 小泉今日子
(「サエキけんぞうの素晴らしき20世紀POP」NHK第一、9/21 6:14~)
突然朝からラジオで流れだし心騒ぐ。「木枯らしに抱かれて」も流行っていたのだが、多分当時の自分が最初にインパクトを感じ記憶したキョンキョンの歌だったはず。イントロのカッティングギターと音色でテンションががっと上がり、しかし「水面」とか軽くないある種古典的かつ象徴的なイメージの詞で、化粧品CMタイアップでもあった。リキッドのリップがまだ珍しかったのか。さすがにサエキさんが選曲してきたなと思った。それで言えば自分もリアルタイムでパール兄弟の「バカヤロウは愛の言葉」にしびれてた、その頃の音楽ではある。例えば冨田勲の曲のテーマソングやCMが普通にがんがん流れていたのと同じように、決して自分の家が金持ちではなく質素な日常生活の中にいても、なんか今思うと非常に「ちゃっちくない」贅沢な音楽文化の環境の中にいたような気がするのは、こういう音楽がふんだんに創造されてどこからでも流れてきたからだろうか。知性を「投げ捨てるから」って言えるのは、投げ捨てられる「知性」が自分にあると思っている人の言い方であり、思考停止で開き直る反知性ヤンキーが社会に蔓延する少し前の頃には、そういう気分の矜持な物言いがあったと感じる。実は松本隆作詞・筒美京平作曲・大村雅朗編曲というのは随分後から知った。不易(20240921)