館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ハンセン病と日本・そして僕。

2008-01-03 09:12:51 | 時事言いたい放題


「ハンセン病の療養所・群馬県栗生楽泉園」の3人の入所者の日常と、その生活をを描き、ハンセン病の歴史や現在を映し出す映画ー「熊笹の遺言」-の上映と、ハンセン病違憲国家賠償請求訴訟を勝訴に導いた谺雄二(こだまゆうじ)さんの講演会を企画し、行った僕自身の記録である。


「会場設営・ビデオセット・音響セット終了」「受付嬢セット?」

僕の同級生Oは、高校の3年間・幸か不幸か、同じクラスだった。
そのOが今回の取り組みの、中心人物だ。
彼の、かなり近親の人が「ハンセン」を煩い(既に完治し、社会復帰している)そんなことで、彼はかなり昔から「ハンセン」を学び・少しずつ「署名活動」など行っていたのは知っていた。
決して、前に出る性格では無い彼が、付き合い30有余年にして、今回の取り組みを協力しろと言ってきた。

お前がやるんじゃ、手伝う!の答えしか無かった。


「早々と到着・控える谺さん」「早々と到着のお客さま・友人の不良障害者だ!」

僕のハンセンは、数年前、音楽の師匠・作曲家の岡田京子さんが、上記映画の主人公3人の内の1人「浅井あい」さんの詩に作曲したり、谺さんの詩に作曲したりで、その演奏を手伝った経験・そして群馬県栗生楽泉園に女房と見学に行って、入所者の話を聞いたり、施設を見た、そのときの事実だけであった。

戦前から続いた「隔離政策」のあやまり・そこで生まれた様々な悲劇・2000年を過ぎて、やっと国がその過ちを認め、謝罪をしたこと・・程度の浅い理解である。

取り組んで、上手に人に語れず・僕の浅い理解にあらためて、自らたじろいだ。
取り組みで、僕が勉強しよう・・・本番で学ばせてもらおう・・・と、なんとも、情けないお手伝いであった。
本来なら、大きくブログで宣伝などする僕だが、自身の中に、しっかり納まっていないものはなぁ・・・と躊躇だった。



あれやこれやで、本番。主人公3人の映像の姿は、今までの国の罪・僕も含む国民の偏見へ、痛烈だった。

「ハンセン病の日本」
1・結核菌に類似した桿状の菌“らい菌”感染がもとになって発症。
2・早期治療によって、今日では何ら障害無く治せる疾患。障害を残さないためには、早期に適切な治療を受けることが大原則。
3・現在の日本で、新たな感染・発症は、ほとんどありえない。
4・ハンセン病は、かつて”らい”、”らい病”と呼ばれ、偏見に基づいた差別によって、患者やその快復者たちを苦しめてきた。
5・日本では、1930年頃から警察力まで動員し、患者たちを強制的に隔離し、人々の社会内偏見をあおりながら強制隔離が正当化されていった。
6・国際的にはハンセン病患者の隔離は否定され、欧米では通院治療があたりまえ。
7・隔離の法的根拠・らい予防法は、1996年3月27日衆議院本会議において「らい予防法廃止に関する法律案」が可決され、ついに廃止が決まる。

薬害エイズ・最近では薬害肝炎・・やっと謝ってだ。

新しい法律を作って、すばやく、被害者が社会復帰を・・・と思うが、謝れど現実はなかなか、実体が伴わないことも分かった。


「熱の入った谺さんの講演」

昭和30年患者狩りが始まって、強制隔離12000人余り、2007年5月1日現在の入所者総数は2890名、平均年齢は78.9歳である。
隔離が過ちなら、その社会復帰を実現してこそ、国の償いだろう。

しかし、その社会の偏見に、復帰できない現状が、熱く語られた。

不自由な身体で、療養所に暮らし、日を追うごとに、亡くなってゆく。
亡くなることで、入所者は減り、医者や職員が減らされていっている。

「黙っていても、10年もたてば、ハンセンの患者は居なくなります」「国は死ぬのを待っているんです」「あと10年もすれば、皆居なくなります」と・・・本当だ!と思った。

戦争の語り部も亡くなってゆく・ハンセンの・・・負の遺産、その歴史も引き継いで、語り継いでこそ、次の世代が賢くなってゆくんじゃないのか?



社会に出る・偏見の矢のような眼差しが、療養所に戻す。数千人を囲った療養所の敷地は広大だ。そこに、地域の市民のための「大きな病院」を建てる・入所者も通院する・一緒の場が増えれば、社会の偏見も少しずつ消えてゆく・・・

壮大なプランを彼らは持って、今、国に挑んでいる。

このプラン・群馬なら在所の議員や町長も賛成している(そりゃね、しっかりした病院はありがたい)が、国が、新しく出来た法律をたてに、拒んでいると言う。

最後の戦いと言っていた・時間が少ないとも・・・少しでも、力になれたら・・と思った。


80人で、採算が取れる・最後の読みでは92人だった。本番・120を超えて、多くの人が集まった。みな、真剣にあっという間の2時間を過ごした。

取り組んだメンバーは、市民への喚起・啓発の新たな取り組みを、またOとやるに違いない。少しずつ、出来ることから、手に適う大きさで、草の根は続けるのが、信条だからね。

ご来場の皆様・ありがとうございました。



さて、取り組みが果てて、ワリワリは打ち上げに繰り出したのだ。
もち、谺さんは、酒が好きってんで、お酒つきだ。


「煮物・絶品」「お造り・普通」

もうね、感想戦は、盛り上がりました。誰とも無く、あ~だった・こ~だった!と沢山話しました。

谺氏の話の引き出しは、膨大な個数と、面白いハンセン逸話で一杯でした。

1・水木しげるの「目玉オヤジ」はハンセン病だ。もとの原作はそうだったが、今は隠されている。水木さんに「明らかにしろ」と言ってるのだとか。
その、ゲゲゲのねずみ男が、デフォルメされた、事なかれ主義の「一般大衆」を表現しているんだ、で、キタロウが困難に直面すると、目玉オヤジが「キタロウがんばれ!」と言うだろう・・痛快だね。

2・「もののけ姫」に出てくる、包帯だらけで目だけ出ている人間が、武器を作っているが、あれも僕らを描いている。しかし、こんなに苦しめられた僕らが、人を殺す武器など作らない。抗議している・・とかね。



群馬県栗生楽泉園は、草津温泉の源泉から、お湯を引いて、温泉がある。
この草津の湯は、学者の研究で「アトピー」に効果があるらしい。
そんな温質を持っている湯は、世界にも幾つかしかないらしい。

大学の研究者・町の首長・市民・・・多くの人を巻き込んで、谺さんの、療養所を解放型の医療機関にして、社会復帰と言う、最後の戦いの「腰の座った」存在感がすごかった。(社会に出る・・じゃなくて、社会を持ってきちゃうのだ!)



いい酒が、さらに旨かった!



打ち上げに使った、地元の「田舎料理店」・むら家である。
蕎麦が旨い。お酒の持ち込み自由ってのも最高だ!
旨い蕎麦を最後に、1本締めで、打ち上げは終了した。

多くの事を、いやがうえにも、突きつけられ・問われて、頭の中はギュウギュウだったが、僕が生きてゆく力をもらった気がした。

コメント (8)
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