館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

トミー・フラナガン・僕の育った音楽・Fの仲間達・その7。

2008-01-25 07:19:57 | 僕の育った音楽
これでやっとFが終わる。次はGだ。




ギタリストの父とピアニストの母を持つ。5歳でクラリネット、11歳でピアノを始める。

1945年、15歳でプロデビュー。後にデクスター・ゴードン、ミルト・ジャクソンのグループに参加。

1956年、ソニー・ロリンズのアルバム『サキソフォン・コロッサス』に参加。

1957年、エルビン・ジョーンズ、ウィルバー・リトルをメンバーにしたリーダー作のアルバム『オーバーシーズ』を発表。名盤として評価が高い。

1959年、ジョン・コルトレーンのアルバム『ジャイアント・ステップス』のレコーディングに参加。

1960年代初頭は、コールマン・ホーキンスのカルテットで活動。

1960年代前半から1978年までの長い間、エラ・フィッツジェラルドの伴奏で活躍。

1978年にはレジー・ワークマン、ジョー・チェンバースと「スーパー・ジャズ・トリオ」を結成した。

広範囲に活動し、度々来日。

1998年以降は体調を崩し、2001年11月16日午後6時(現地時間)、ニューヨーク市マンハッタン区のマウントサイナイ病院で死亡。死因は動脈瘤による合併症。享年71。


と、こう書いて、すごい仕事師だったね~~と、感嘆!

しかし、僕はどうも、彼については、「名脇役」「名サポーター」のイメージなんだな。写真のアルバム、すべて、自己名義のトリオなのにね。
彼が、参加した多くのセッションで、見事なプレーで、そのセッションを盛り上げているのだ。駄作は無い。

ハンク・ジョーンズそして、テディー・ウイルソンに遡る、柔らかく・ピアノらしいピアノの系譜であり、宝石のような音の出るピアニストだ。

如何か?どれでもいい、1枚聴いてみては?
コメント (8)
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