まったくな~~
記事・予告したら・・思わぬリアクション!
はずかしいやら、なにやらで、書けなくなっちまった・・・
俺?こんなに、プレッシャーに弱かったか??!
そうなのだ・・・
どうして、こんなことを思い立ってしまったのだろう?


写真は、西武新宿線・高田馬場から乗り、都立家政に降り立ったところである。
ここは、僕が大学1年から3年の途中まで、住んだ場所だ。
卒業して以来、訪ねたことは無いので、もう、30年に手の届く時間が経っている。

青春の足跡を、沢山残した場所?だ。
ふと、どうなっているかなと、思い、訪ねてみたのだ。
駅も綺麗になって、よそよそしい・・面影は・・・
あった!駅前の交番・・・あの頃も確かにあった。

駅を降りて真っ直ぐ・・この道を真っ直ぐだった・・・
路面は、インターロッキングで綺麗だった・・・あの頃の姿ではない。


アパートは木造・モルタルの2階建て・・4畳半で、冬だけ陽が僅かに差し込む部屋だった。多分「ふじや荘」と言ったと思う。
その場所、綺麗なビルだったが・・・土地の面影はあった。
側から伸びる道路は、野方へ続く道だ。
建物・店など面影を残すものは少ないが・・道路が変わっていないんだ。
それで、蘇る幾つかが、あったな。

良く通った「銭湯」は、複合的なビルになっていたが、なんと!「ゆ」の看板ではないか!姿を変えながらも、何とか「ゆ」をやってるのに、ちょっと感動した!

ここは、地上げや再開発などあまり行なわれなかったのだろう。
道路が変わっていないので、面影が残っているのが解った。
朝から、何も食べていなかった。鷺宮の「立ち食い」に入った。
ゆで卵をトッピングして400円。この値段・・田舎だって不可能だ。
本場さぬきぐらいなもんじゃないかな?
その、企業努力、恐れ入った!


鷺宮は、都立家政の隣。新宿から、急行が最初に止まる駅だ。
新宿で、待ってる電車が急行の場合、ここまで来て歩いた。
店は変わったのだろうが、パチンコ屋はあった。
写真の「不動産屋」で僕のアパートは見つけた。
あの頃より、商売繁盛しているようである。

ここ「鷺宮」は音楽の師匠・岡田京子さんの暮らす街である。
かなり、失礼だったが、電話してみた・・・
「今日は、何も無いよ~」「じゃ、喫茶店で待ってて・・」と嬉しいお言葉であった。
事情など話・他の話にも花が咲いて・・・最後に「野方」まで歩く僕の散歩に付き会ってくれた・・・まるで、デート・・・楽しかった!!


「この先・診療所があって、風邪でお世話になったな~」
「あるわよ~~まだ」・・ほんとだ!
公園も残っていた・・・あの頃はもっと大きな公園に思えたが・・小さかった。

岡田先生とは、野方でバイバイして、残りの1年半を暮らした、足立区梅島に向かった。
どうして、こんなこと、思いついたのだろう??
その疑問を反芻しつつ、新宿・御茶ノ水・・と向かって、地下鉄千代田線に乗った。

北千住から、3駅・・梅島の駅は、綺麗な駅になっていた。

駅から北へ伸びる道・・・これで下宿のはずだが・・露地のような印象があったが、すっかり綺麗な道路だ・・・


こちらは、驚くほど変わっていた。
銀行は名前は変えたが・・残っていた。
いつも買い物をしたスーパーは、コンビにになっていた。

お世話になった医者は、りっぱな病院になっていた。

たぶん・・・このあたり・・・
全く、面影は無い・・・
ごちゃごちゃした、足立区の、場末のような僕のアパートは、なんにも名残を残していないようだった・・・


150円で食べられた、夕方から夜中まで営業の屋台の様なラーメン屋も無ければ、天ぷらを色々選べた「天丼屋」さんも無かった・・・
事故で亡くなる後輩を、最後に見送った街・俺だってな!ベーベーとちった~~思い出があった、梅島は、もう無かったな。
どうして・・・の上手い回答は見つからない・・・
年をとったのかな・・・・
10年一昔は、20世紀のお話・今や5年が一昔の勢いだ。
そうすりゃ、訪ねた先は、赤ちゃんが、初老になる如きときの流れがある。
そこに「断ち切りたい」忘れ物があるわけではない。
まして、振り返り・刻まなければならない「エピタフ」があるわけでもないのだ。
が、戻ってみたい「原風景」や淡い淡い「思い出」程度はあるか?
戻ってみたいが、戻れない現実の確認・・・僕は、生きているのだ。
でも、何となく、こんなことやって、良かったように、妙にスッキリの自分が居たな。
もう、訪れることは、無いだろう・・・・
記事・予告したら・・思わぬリアクション!
はずかしいやら、なにやらで、書けなくなっちまった・・・
俺?こんなに、プレッシャーに弱かったか??!
そうなのだ・・・
どうして、こんなことを思い立ってしまったのだろう?


写真は、西武新宿線・高田馬場から乗り、都立家政に降り立ったところである。
ここは、僕が大学1年から3年の途中まで、住んだ場所だ。
卒業して以来、訪ねたことは無いので、もう、30年に手の届く時間が経っている。

青春の足跡を、沢山残した場所?だ。
ふと、どうなっているかなと、思い、訪ねてみたのだ。
駅も綺麗になって、よそよそしい・・面影は・・・
あった!駅前の交番・・・あの頃も確かにあった。

駅を降りて真っ直ぐ・・この道を真っ直ぐだった・・・
路面は、インターロッキングで綺麗だった・・・あの頃の姿ではない。


アパートは木造・モルタルの2階建て・・4畳半で、冬だけ陽が僅かに差し込む部屋だった。多分「ふじや荘」と言ったと思う。
その場所、綺麗なビルだったが・・・土地の面影はあった。
側から伸びる道路は、野方へ続く道だ。
建物・店など面影を残すものは少ないが・・道路が変わっていないんだ。
それで、蘇る幾つかが、あったな。

良く通った「銭湯」は、複合的なビルになっていたが、なんと!「ゆ」の看板ではないか!姿を変えながらも、何とか「ゆ」をやってるのに、ちょっと感動した!

ここは、地上げや再開発などあまり行なわれなかったのだろう。
道路が変わっていないので、面影が残っているのが解った。
朝から、何も食べていなかった。鷺宮の「立ち食い」に入った。
ゆで卵をトッピングして400円。この値段・・田舎だって不可能だ。
本場さぬきぐらいなもんじゃないかな?
その、企業努力、恐れ入った!


鷺宮は、都立家政の隣。新宿から、急行が最初に止まる駅だ。
新宿で、待ってる電車が急行の場合、ここまで来て歩いた。
店は変わったのだろうが、パチンコ屋はあった。
写真の「不動産屋」で僕のアパートは見つけた。
あの頃より、商売繁盛しているようである。

ここ「鷺宮」は音楽の師匠・岡田京子さんの暮らす街である。
かなり、失礼だったが、電話してみた・・・
「今日は、何も無いよ~」「じゃ、喫茶店で待ってて・・」と嬉しいお言葉であった。
事情など話・他の話にも花が咲いて・・・最後に「野方」まで歩く僕の散歩に付き会ってくれた・・・まるで、デート・・・楽しかった!!


「この先・診療所があって、風邪でお世話になったな~」
「あるわよ~~まだ」・・ほんとだ!
公園も残っていた・・・あの頃はもっと大きな公園に思えたが・・小さかった。

岡田先生とは、野方でバイバイして、残りの1年半を暮らした、足立区梅島に向かった。
どうして、こんなこと、思いついたのだろう??
その疑問を反芻しつつ、新宿・御茶ノ水・・と向かって、地下鉄千代田線に乗った。

北千住から、3駅・・梅島の駅は、綺麗な駅になっていた。

駅から北へ伸びる道・・・これで下宿のはずだが・・露地のような印象があったが、すっかり綺麗な道路だ・・・


こちらは、驚くほど変わっていた。
銀行は名前は変えたが・・残っていた。
いつも買い物をしたスーパーは、コンビにになっていた。

お世話になった医者は、りっぱな病院になっていた。

たぶん・・・このあたり・・・
全く、面影は無い・・・
ごちゃごちゃした、足立区の、場末のような僕のアパートは、なんにも名残を残していないようだった・・・


150円で食べられた、夕方から夜中まで営業の屋台の様なラーメン屋も無ければ、天ぷらを色々選べた「天丼屋」さんも無かった・・・
事故で亡くなる後輩を、最後に見送った街・俺だってな!ベーベーとちった~~思い出があった、梅島は、もう無かったな。
どうして・・・の上手い回答は見つからない・・・
年をとったのかな・・・・
10年一昔は、20世紀のお話・今や5年が一昔の勢いだ。
そうすりゃ、訪ねた先は、赤ちゃんが、初老になる如きときの流れがある。
そこに「断ち切りたい」忘れ物があるわけではない。
まして、振り返り・刻まなければならない「エピタフ」があるわけでもないのだ。
が、戻ってみたい「原風景」や淡い淡い「思い出」程度はあるか?
戻ってみたいが、戻れない現実の確認・・・僕は、生きているのだ。
でも、何となく、こんなことやって、良かったように、妙にスッキリの自分が居たな。
もう、訪れることは、無いだろう・・・・