館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

イルカ・泉谷・僕の育った音楽Iの仲間達・その1。

2009-03-07 00:14:51 | 僕の育った音楽
やっと、Hが終わった・・・いたね~~Hはさ。

さて、I・・・Iは少ないよ。




1970年台初頭・・まだ、日本のフォークがカオスだったころだ。
ここから、フォークシンガー達が、そのままフォークを握り締めたり、やがて歌謡曲やニューミュージック、はては演歌歌手と、変節をとげるのである。

そんな時代の二人。

イルカと泉谷だ。

ちょっと・イルカ。

東京生まれ。
女子美術大学に在学中からフォークグル-プ(シュリークス)を結成、74年ソロデビュ-。
翌年の75年『なごり雪』が大ヒット。
現在も、コンサ-ト活動を中心に毎年全国ツア-を続けている。

絵本やエッセイなども出版、母親でもあるイルカはそれら作品を通じて、
「私達は、皆この地球という大きな生き物に住む、細胞同志である」というメッセ-ジを、世代を超えて沢山の人々へ伝えている。

んで、泉谷!

1971年にライヴアルバム『泉谷しげる登場』でエレックレコードからデビュー。
古井戸(加奈崎芳太郎・仲井戸麗市)、ピピ&コット(佐藤公彦・よしだよしこ)、生田敬太郎らと唄の市コンサートに参加。

よしだたくろう退社後の看板スターとして、エレックを支える。
1972年セカンドアルバム『春夏秋冬』をリリース。タイトル曲"春夏秋冬"は彼の代表曲となる。
ちなみに、「ばかやろ~~」とか、コンサートで叫ぶのは、やつだ。

1995年1月の阪神・淡路大震災発生の際は、いち早く被災者救援のために立ち上がり、震災当日の夜から「お前ら募金しろ!」と言うフレーズでゲリラライヴを日本各地で敢行。また、震災直後の神戸に入り、オールナイトニッポンの特番で被災者の生の声を中継した。

などだ。

イルカは、そのスタイルを当初から変えず、まあ、フォークを歌っている。
「いつか冷たい雨が」は、残したい・・そしてしっかり残っている、フォークの名曲である。


泉谷はね・・・その内、ロックになったり、俳優で頑張ったり、その個性や存在はいいね。
歌は・・・・上手じゃないが、彼の歌は・彼しか歌えないってとこでは、すごいと思う。
社会への風刺や、権力への攻撃的スタンスが、ぶれないのも、良いな。

いま、どうしてるのだろう?


皆さん、あの頃のフォークソングシンガーなど、お金持ちになったやつらは、甘あまで、毒にも薬にもならん、しょうもない歌、歌ってますが、小さな場所で、フォークを大事に歌ってる方も、最近妙に頑張っている・・・そこら、楽しみ。
で・・・よ*だたく**・・・ありゃ、歌謡曲でしょ?なになに?アリス?谷*とか、堀*?ありゃ、演歌だね~~

コメント (10)
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