館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ミシシッピ・ジョン・ハート・僕の育った音楽Jの仲間達その14。

2009-09-11 06:20:24 | 僕の育った音楽


ミシシッピ・ジョン・スミス・ハート("Mississippi" John Smith Hurt, 1892年7月2日[1] ミシシッピ州キャロル郡テオク(Teoc)生 - 1966年11月2日ミシシッピ州グレナダ(Grenada)没)は、ブルースシンガーでギタリスト。

もはや、知らない人が加速度をつけて、増えているに違いない。

この人はね、日本のフォークには、多大な影響を与えたブルースシンガーであり、ギター弾きであった。

高田渡や、中川イサトなど、相当だ・・・
いや、渡ちゃんなど、どっぷりだ!

戦前若くして、農業の傍ら、録音のチャンスなど得たが、時流に乗れず、小作の百姓に戻る。当然戦前のブルースマンがそうであったように、極貧であった。
やがて、60年代に起こる、フォークソングリバイバル(自国の音楽のルーツを見直す、一大ムーブメントであった・マイク シーガーら、ニューロストの功績は大きい!!)で、民俗音楽学者のトム・ホスキンズに見つけられ(63年)、音楽シーンに舞い戻る。
その卓越した技量もあって、人気を博すが、3年後には、没すのだ。

1963年のニューポート・フォーク・フェスティバルでのパフォーマンスは、新しい「フォーク・リバイバル」の観衆たちの間にスターとして映り、1966年に死亡するまで彼は大学、コンサートホール、コーヒーハウスなどで、歌い続けた。

つまり、一般に知られるようになったのは、彼が亡くなるわずか3年前のことだったのだ。

僕も、切り取られたような、その3年をむさぼった1人。

軽く、軽快なフィンガリングのギターは、黒人っぽくなく、ポップであった辺りが、アメリカのみならず、世界中に広まったわけかな?

おしゃれな、ギター・唸らない、軽妙な歌いは、今聴いても、新しいな。

パソの達人の皆さん!!
どこぞのYチューブあたりに、この人の歌聴けるのありまへんか?

僕ね、やっとパソやってるので、探すのも・・ましてや、それを貼り付けるなんて芸当できないのです。

皆さんに聴かせたい!

そうだ、ロバ君!探して~~~頼んだよ~~~




ところで



本日、仕事が終わったら、そのまま、2009最後の蔵王に行ってきます。
9月で禁漁!来年の4月まで、渓流とも悲しいお別れなのです。

コメ返など、日曜日になります。

しばし、お別れであります。
コメント (10)
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