脱原発の反論に、代替のエネルギーはどうする?
化石燃料燃やして、CO2はどうする?地球が温暖化!とくる。
暮らしをこのまま、無駄な消費をしつづけたまま、不夜城の街に生きたいと、思う場合は、ちと難儀だが、自然エネルギーの利用に、人間の英知・科学を結集する時代に来ていることは、間違いない。
ドイツが脱原発に舵を切るのに、影響のあった映画の上映を行った。
大手マスコミは優秀で、金払いの良い客が電力会社で、経団連などに集う大企業は電力会社と、株で太っ腹なもたれあい。地方の多くの新聞なんぞは、大株主が電力会社だ。
この構造を庶民が、監視しないと、原発は止まらない。
発送電を分離して、持続可能なエネルギーを作る産業に政府がしっかり取り組めば、電力は大丈夫なのだ。
今一緒に「脱原発」を取り組んでいるKちゃんが、一揆のように映画を持ち込み、赤字など覚悟で、上映となった。
オラ、受付。
昼夜の2回上映。
上映後、残ったお客さんなどで、討論会と・・・昔懐かしい、スタイルだ。
映画は、流れが速く、ある程度「知識」などある人はついて行けただろうが、観るも聴くも初めて・・の方には、すこし難儀だった気がする。
プロパガンダになど終始しない、良質の、いい映画だったが・・・
学び・また学ぶと、理詰めになって、原発など気にもしない人たちと、深い溝が出来る。
「どうして、分かってくれないの?」と嘆く。
しかし、舵を切るそのときに、やっぱり力になるのは、市井の意思の結集しかない。
深い溝を埋めるのは、先に行っている人たちの我慢・努力・対話しかない。
「脱原発エリート」になってはダメだ。
そのようなことが、あたまをよぎりながら、映画を観た。