ニュースが目にとまりました。
安倍元総理「国葬」へ 岸田総理が明言…戦後は吉田元総理以来 55年ぶり“2人目”に
https://news.yahoo.co.jp/articles/36ecf833c2b531d4fa46e128f2c9b08cffca083a
私は、安倍元首相の国葬には反対です。
これは、不幸にして凶弾に倒れた故人を悼む気持ちとは次元の違う部分で感じるものです。
岸田総理は「国葬儀を執り行うことで、安倍元総理を追悼するとともに、我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示します」と述べました。
今回のテロは、イデオロギーなどは関係なく、個人的逆恨みの延長戦にあったもののようです。
だとすれば、岸田総理の「民主主義を断固として守り抜く決意を示す・・・」ことは、一般論としては正しいと思いますが、そのことと今回の安倍氏が凶弾に倒れた事件とを結びつけて内外に発信することとは直接結びつかないし、違和感があります。
つまり、年間一日1件程度の割合で起こる殺人事件の延長線上にあるものだからです。
(2018年のデータでは、殺人による死亡者は334人もいます。刑法上の殺人罪は相手を殺す意図が前提にあり、明白な殺意なく、結果的に人を死に至らしめた場合は殺人には含まれていません。)
さて国葬ですが、現在は戦前よりあった国葬法が廃止されているので、明確な基準は無いようです。
国葬に対して「国民葬」という言葉もあるようですが、これは全額国費で行う国葬に対し、一部国費を充てるのが国民葬と云うことのようです。国費を使うことから、ほぼ同じと考えて良いのかも知れません。
国葬に多少疑問を感じます。それは、国家が『故人を悼め』と云っている気がするからです。
というのも、5年前(平成29年)に告示された『新学習指導要領』(学習指導要領は、文部科学省が告示する初等教育および中等教育における教育課程の基準です)では、道徳が教科として扱われ、以下のように示されたからです。
中学校学習指導要領 第3章 特別の教科 道徳 第2 内容 C 主として集団や社会との関わりに関すること [我が国の伝統と文化の尊重,国を愛する態度]
優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献するとともに,日本人としての自覚をもって国を愛し,国家及び社会の形成者として,その発展に努めること。
㊟ 愛し・・・は「郷土」にも記されています。
父母,祖父母や隣人(教師・学校の人々)には「敬愛」のことばを充てています。
故人が純粋に持つ「郷土や肉親への思い」や「人の死を悲しむ心」に土足で入り込まれている気がしてしまうのです。
この文言があるがために、セレモニーで素直になれない自分が見えてしまう。
これらのことから、国葬は政府が示している『国民はこうあるべきだ!』という考えの延長線上にあるように見えてしまうのです。
へそ曲がりの私は、こんな風に考えてしまいました。
今回の投稿は、「国葬」についての考えで、安倍元首相の国葬の是非については触れませんでした。
その気になりましたら、投稿します。