退職オヤジのひとりごと

退職オヤジが直面する新しい日々…感動か困惑か?
カオスの日々を綴ります

夏に考える

2020年08月09日 05時33分47秒 | テレビを見ました
毎年、広島原爆の日からのこの時期、テレビで太平洋戦争のことを特集します。

今年もいくつかあった中で、NHKのクローズアップ現代「資料館が…慰霊碑が…“歴史”が消えていく」やhttps://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4448/

NHKスペシャル「ヒロシマの声が聞こえますか~生まれ変わった原爆資料館」「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」
などを見て感じるところがありました。



それは「記録を残す」ということです。



戦争体験者が高齢化してくるにつれ、実体験を語ってもらう機会はなくなりつつあります。

そんな中で、様々な資料館が閉館に追いやられていることを知りました。

国に 『 資料を一括して保存する姿勢が無い 』 ことが原因だとか。

国?にとって、先の大戦の事実は都合の悪いことなのでしょうか? 
できれば忘れ去りたい?



一般市民から寄せられた「戦争の記録」には日常使用していたものも多く、戦争を知らない第三者が見ると何でもない物のように見えます。
しかしそこには、家族を失った残された者の強い思いが込められています。とても忘れされることではありません。

後世の人たちが、その思いを感じ取れるようにすることが今を生きる人の責任ではないでしょうか。


まずは記録を残す。

その事実についての評価は、後々の人たちが下せばよいことで、現世代は『まずは次世代の人たちが遺族に共感でき、客観的評価を下せるように残す・・・ひたすら残す』ということが大切だと思います。


恣意的な評価に基づく一方的な記録は要りません。


特に都合の良いものだけを残すなどもってのほかです。それは、一部の人に都合の良いプロパガンダにほかならならないからです。


後世の人たちが下す判断に悪影響を及ぼすでしょう。



現政権は、記録を軽視しています。


あるものを無いと隠蔽し、都合が悪ければ改ざんする。

単なる都合のよい空想絵日記にほかなりません。



バツの悪い、自分に不都合な“ミス“や”事実”も、未来のために正しく残しそして公開する。

そんな技量が求められているのです。

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿