終戦記念日を迎え、多くのTVで、戦争に関する特集が組まれていました。
その多くは、戦争の悲惨さを伝えるものです。
ところで、なぜ終戦記念日は8月15日なのでしょう。
太平洋戦争は1945年9月2日、「日本への降伏要求の最終宣言」という降伏文書に調印し発効により終わったとされます。
ゆえに諸外国における戦争終結の記念日は9月2日です。
日本がポツダム宣言受諾を中立国であるスイスとスウェーデンに向けて送信したのは8月10日。
やがて駐スウェーデン公使から、アメリカの回答は日本の申し入れを受け入れたという報告が届き、ようやく政府が宣言受諾を決定したのは14日。同日、終戦の詔勅も発せられました。
9月2日でもなく、8月14日でもない8月15日・・・これは玉音放送がなされた日ということでしょう。
(「玉音放送」現代語訳はこちら)
白井聡氏は、その著書「永続敗戦論」(2013年 太田出版)で、『純然たる「敗戦」を「終戦」と呼び換えるという欺瞞によって戦後日本のレジュームの根本が成り立っている・・・』と断言しています。
つまり、都合の悪い事実を言葉巧みに言い換えることにより、「問題の本質から眼を逸らそうとしている」よくいえば「その方が復興のためには都合の良い」ということだったのでしょうか。
なぜ戦争は行われなければならなかったのでしょうか。312万人もの犠牲者を出しながらも。(312万人は日本人のみです。それ以外に各国に犠牲者がいます。)
敗戦を終戦と言い換え、玉音放送日を記念日にする。
こんな処も、歴史を正しく評価する(責任を追及するということではなく、後世に正しく伝えるということ)ということが等閑にされてきている一つの例でしょう。
「等閑」・・・いやむしろ、周到な計略のもとに、あえて触れないようにしてきたのかもしれません。
そんな部分が有るとすれば、反省が乏しく「歴史は繰り返される」となってしまうのではないか。
戦後80年が経とうとしています。
もうそろそろ、政府が戦前の事実の検証をしても良いのではないか。
最近は「戦前」のようだ・・・という論調を目にして、思わず考えてしまいました。
『戦争の悲惨さだけを伝える報道』が、マスコミの自慰行為でなければ良いのですが・・・。
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