退職オヤジのひとりごと

退職オヤジが直面する新しい日々…感動か困惑か?
カオスの日々を綴ります

仕事

2019年11月20日 09時57分13秒 | ニュースより

 とても心が痛むニュースに接しました。

18日の西日本新聞です

【  9年前の2010年12月、郵便配達員だった夫=当時(51)=は勤務局の4階窓から飛び降りて亡くなった。年賀はがきの販売ノルマ達成や時間内の配達を執拗(しつよう)に求められ、苦しんだ末の自殺だった。

 夫の様子が変わったのは06年。23年間勤めた埼玉県内の郵便局から、郵便物の取扱件数が首都圏有数の大規模局に異動したのがきっかけだった。

 「今日も昼ご飯が食べられなかった」。職場では残業を減らすよう求められたが、慣れない道で配達が思うように進まないと悩んでいた。交通事故などのミスを起こした局員は「お立ち台」と呼ばれる台に上がり、数百人の局員の前で謝罪させられた。「怖い。絶対に上がりたくない」と夫は漏らしていた。

 毎年、年賀はがき7千~8千枚の販売ノルマが課せられた。金券ショップに転売する同僚もいたが、転売は禁止されており、真面目な夫は「俺にはできない」。自宅には、自腹で購入した年賀はがきが山積みになっていた。歳暮や中元、母の日…。歳事のたびにゆうパック商品も購入。夫は「時間内に配達するので精いっぱい。営業なんかできるわけがない」とこぼした。真面目な夫、転売「俺にはできない」

 夫は次第に笑わなくなり、08年、夫を心療内科に連れて行き、うつ状態と診断された。休職と復職を3度繰り返し、毎年異動希望を出したが、上司からは「病気を治さないと異動させられない」と告げられた。

 10年12月、主治医が再度の休職を勧めたが、夫は「同じ班の人が2人も辞めたので、今は休めない」と断った。それから1週間後の朝、駅で姿が見えなくなるまで手を振って見送ったのが夫の最後の姿になった。

 亡くなった翌日、自宅に荷物が届いた。差出人は夫。自腹で購入したゆうパックの商品だった。「何でここまでしないといけなかったの」。女性は受け取りのサインを書きながら、涙が止まらなかった。

 女性と子ども3人は13年12月、夫が自殺したのは仕事上の心理的負担による精神障害が原因として日本郵便を提訴。会社側は「業務と死亡に因果関係はない」と争う姿勢を示したが、16年10月、異動希望がかなわなかったことや自殺に至ったことに遺憾の意を示した上、解決金を支払うことで和解が成立した。

 9日の集会では、今年3月に局内で自殺した関西の男性配達員=当時(29)=の問題が話し合われた。同僚の局員によると、男性は上司から業務上のミスについてたびたび叱責(しっせき)され、自殺直前に交通事故を起こしていた。 一部略  】



かんぽ生命の不適切な販売が記憶に新しい矢先、このニュースでを見て、改めて郵政民営化により発足した会社の体質に、大きな問題を抱えていたと感じました。

 私は、ノルマとは無縁の世界に生きていたので、本当の意味で理解できない部分もあります。
しかし、
 『ミスを起こした局員は「お立ち台」と呼ばれる台に上がり、謝罪させられた。』とか
 『ノルマ達成のため、年賀はがきを金券ショップに転売する』とか
『自腹でゆうパックの商品を購入する(私は営業成績のためと理解しました)』とか

 しかも、働き方改革で『残業を減らすよう求められた』とか・・・。これって、サービス残業の温床じゃないですか。


 「今は休めない」これは、危険な道に向かうキーワードだと思います。

 残念ながら、何年も前ですが、私の職場でも、ノルマとは違うプレッシャーで悩んだ末、休職に至った人を見ています。



 このように精神的に追い詰められる人は、そのほとんどが愛すべき『真面目な人』でしょう。

管理職の人たちに守ってほしいのに、『お立ち台』だなんて。




 ノルマを知らないジジイには、沸き上がる怒りだけが思考を支配しています。



ほったらかし温泉

2019年11月17日 18時58分10秒 | 旅行

ドライブがてら山梨県の『ほったらかし温泉』に行ってきました。

 

残念ながら、中は写真不可ですので、こんな写真です。

 「あっちの湯」と「こっちの湯」があるのですが、「あっちの湯」の湯船に身を沈めました。

 お湯は「アルカリ単純泉」とのことで、入りやすく芯まで温まることができました。



 特筆すべきは、その眺望。 

 『雄大な富士山』

 『石和温泉だろうか、随所から湯けむりが上がる、眼下の甲府盆地』

 『その盆地に掛かる低い霧』

 『その中を優雅に滑空する鳶』

 『目の前には風になびくススキの穂』



天気も良く、最高でした。






 <おまけ> クーポンでタオル貰っちゃいました。ラッキー!





 <追> 山梨県をドライブしていて、国道20号線に通行止めの
     区間がありました。(法雲寺橋というところらしいです)
     台風19号の影響です。復興はまだまだです。

     そんな関係で、中央高速の大月↔勝沼間が無料で通れます。
     ETCで通ると、いつも通りでドキッとしますが、請求は
     されないそうです。








忍城

2019年11月15日 18時46分48秒 | 旅行


映画『のぼうの城』を見たので、忍城と石田堤を見学してきました。
 (「のぼうの城」には、あの芦田愛菜さんが出ていました)


まずは、忍城本丸跡にある『行田市郷土博物館』を訪れました。


 当時忍城は、四方を沼地で囲まれた天然の沼地の中に、島状に残る微高地や自然堤防を巧みに利用して作られていたようです。
 今は、博物館を中心に、小さいながらも手入れの行き届いた公園になっており、時折、二の丸跡地にある「忍中学校」の生徒さんの声が聞こえてきます。

 館内を見学していた時も、中学生のグループが、展示物を見ながらペンを片手にしきりにメモを取っていました。

 天守閣(御三階櫓)最上階に上ってみましたが、さほど高さを感じられませんでした。しかし、関東平野ど真ん中の沼地に位置しており、その高さでも充分に四方を見渡せたようです。


 映画にもあった「豊臣軍の忍城水攻め」は以下の説明がありました。


【 天正18年(1590)豊臣軍は館林城・忍城を攻略するために、石田三成・大谷吉継・長束正家を派遣した。6月4日に三成は館林から忍へ移動し、城の大宮口に本営を設け攻撃をしたが、城の守りが固く容易に落ちなかった。6月17日に三成は丸墓山古墳に陣を構え、忍城を包囲したが忍城は沼や河川を堀として効果的に利用した堅城であり、豊臣軍は攻めあぐねた。
 豊臣方の石田三成は城攻めが上手くいかないので近くの小山に登り地形を鳥瞰して研究し、備中高松城の戦いに倣って水攻めにしようと考え付いたと『関八州古戦録』や『成田記』には記されている。
 しかしこれは明白な誤りであり、実際には三成が水攻めに批判的で、もっと積極的な攻撃が必要とする書状を6月12日に送ったのに対し、秀吉が改めて三成に水攻めの注意点を事細かに指示した書状を送っている。
 これらの同時代史料から見る限り、水攻めを主導したのは秀吉であって、三成ではない。すなわち、秀吉は完全なる殲滅戦を意図しておらず、そこから終始水攻めを望み、三成はそれを実行していたに過ぎないのである。
 このような状況のなかで、三成は城を中心に南方に半円形の堤防を築くことにした。
 近辺の農民などに昼は米一升に永楽銭六十文、夜は米一升に永楽銭百文を与え昼夜を問わず工事を行い、4~5日という短期間で堤防を築いた。全長28キロメートルにもなる石田堤と呼ばれる堤防を築き、利根川の水を利用した水攻めが始まった。
 ところが予想に反して本丸が沈まず、まるで浮いているかの様に見えたことから忍の浮き城と呼ばれた。
 6月18日、降り続いた豪雨の影響で本丸まで水没しそうになったが、これを防ぐ為に下忍口守備の本庄泰展は配下の脇本利助、坂本兵衛らを堤防破壊に向かわせた。二人は夜半に城を抜け出し、堤防を2箇所破壊、これにより大雨で溜まりに溜まった水が溢れ出し、豊臣軍約270人が死亡、これにより水の抜けた忍城周辺は泥沼の様になり、馬の蹄さえ立たない状況になった。
 7月はじめには浅野長政らが、7月6日頃には上杉景勝・前田利家らが攻城軍に加わったが、それでも忍城は落城しなかった。なお攻城戦終盤や戦後処理では石田三成ではなく、浅野長政が主導的な役割を果たしていくことになる。
 7月5日、小田原城が降伏・開城し後北条氏は滅亡、他の北条方の支城もことごとく落とされ、未落城の城は忍城のみとなっていた。
 成田氏長が秀吉の求めに応じて城兵に降伏をすすめたので、遂に7月16日、忍城は開城した。
 この戦いは軍記物では三成の築城が強調され、「石田堤」の呼称とともに攻防戦の「歴史像」を形成していったと言えると評価されている。

<その後>
 成田泰季の急死により総大将となった長親であったが、小田原征伐後は氏長とともに会津の蒲生氏郷のもとに一時身を寄せたのち、下野国烏山へと移り住むが氏長と不和になり出奔。出家して「自永斎」と称し、晩年は尾張国に住んだ。
 甲斐姫は自ら鎧を纏い戦ったと言われている。忍城開城の後は豊臣秀吉の側室となったが、秀吉の死後の詳細な動向は不明である。
 石田三成はこの城攻めに失敗したことにより戦下手の烙印を押され、評判を大きく落とすこととなった。しかし失敗の原因は現地の地形を知らない秀吉の命令にあり、この戦いに参加した豊臣方の大名の大半は関ヶ原の戦いでも西軍に応じている。三成は秀吉死後も五奉行の一人として権勢を振るい徳川家康と対立、関ヶ原の戦いで敗れ斬首された。 】


映画とはちょっと違うのですね。


 忍城跡を見学した後、「石田堤」を見に行きました。
場所は、忍城から4kmほど離れており、映画では解りづらかった規模の大きさが実感できました。
 ほんのわずかしか現存していませんが、これを一週間足らずで28kmも築いたとは、にわかに信じがたいものでした。



 『夏草や 強者どもが 夢の跡』 ・・・ 平泉ではありませんが、思わずつぶやいてしまいました。


 映画も、なぜか涙が出てきます。年のせいですかね。


OK boomer

2019年11月14日 19時30分50秒 | ニュースより

 「野次」・・・ 『ウィキペディア(Wikipedia)』によると

 【 やじ(ヤジ、野次、弥次、英語: jeering ; heckling)とは、ある一人が相手の話を一旦は聞いて、合間に一瞬行われる非難や冷やかしの言葉を一瞬浴びせかけること、およびその言葉である。 】とのこと。


 安倍晋三首相が8日の参院予算委員会で、質問する立憲民主党の杉尾秀哉氏を指さしながら「共産党」とやじを飛ばしたとして、杉尾氏が抗議する一幕がありました。

 首相は6日の衆院予算委でも、加計学園問題を追及中の今井雅人氏(無所属、立民などの統一会派)が、文部科学省内で見つかっていた文書に関連して質問を行っていたところ、安倍首相が今井氏を指さして、「あなたが作ったんじゃんないの」と発言して、「大変な侮辱」「謝罪してください」と反発した。

 野党議員にやじを飛ばしたことに、棚橋泰文衆院予算委員長が不規則発言を慎むよう要請したようです。


 安倍晋三首相が国会で野党議員にヤジを飛ばした事態は異例でも何でもなく、過去にも見受けられたようです。
 その内容も、『日教組』や『共産党』を引き合いに出したものなど、とても一国の総理大臣の発言ではありません。
 むしろ、それら対象を「差別的に捉えた」発言ともとれます。


   要するに下品なのです。


そのくせ、自分が野次られると、
 『私が答弁しようとすると、ヤジで妨害するんですよ』
などと繰り返し、審議時間を空費します。

前にも書きましたが、野田総理が、うまく丸め込まれて解散を口にした時の「はしゃぎ」ようといったら、小学生を見ているようでした。

安倍首相については、1993年の衆院選初当選の当初から「よくヤジを飛ばしていた」という自民党同期会メンバーの証言もあるようです。


   要するに子どもなのです。
 
 政治屋としてのノウハウには長けているようですが。


例えば
 「日教組は(献金を)やっているよ」(2015年2月19日、衆院予算委。砂糖業界からの農相への献金問題を追及されて。後日、事実誤認として謝罪)
 「早く質問しろよ」(同年5月28日、衆院特別委で)
 「まあいいじゃん。そういうことは」(同年8月21日、参院特別委で。閣僚答弁の誤りを指摘されて)
 「反論させろよ、いいかげんなことばかり言うんじゃないよ」(17年6月5日、衆院決算行政監視委で。加計学園問題をめぐる質問に)



議場に野次が飛び交うことは、昔からあったようですが、下品なのはいただけませんね。



海外では、こんなことがあったようです。

(CNN) ニュージーランドの議会で気候変動問題について演説していた25歳の女性議員が、年齢をからかう野次(やじ)を飛ばした年配の議員を「OK、ブーマー」の一言で黙らせて、同世代の共感を集めている。

<YouTube>
'OK Boomer:' 25-Year-Old New Zealand MP Chlöe Swarbrick Claps Back at Hecklers
を参照ください。

【  緑の党のクロエ・スウォーブリック議員は5日、2050年までに二酸化炭素排出量をゼロとする目標を掲げたゼロカーボン法について演説していた。

演説では、何十年も前から気候変動問題を認識していながら、政治的駆け引きに終始してきた世界の首脳らの対応を批判。「私の世代、そして私に続く世代には、もうそんな余裕はないのです。2050年には私は56歳になります。そして今、この第52回議会の平均年齢は49歳です」と続けた。

スウォーブリック議員の年齢をからかう野次が飛んだのはこの時だった。しかし同議員は「OK、ブーマー」の一言で軽く受け流すと、何事もなかったように平然と演説を続けた。議場は静まり返り、スウォーブリック議員の後ろでクスリと笑いを漏らす男性もいた。

「OK、ブーマー」の言葉は今年に入り、「ミレニアルズ」「ジェネレーションZ」と呼ばれる若者の間でソーシャルメディアの「TikTok(ティックトック)」を通じて流行した。同アプリには、「ベビーブーマー」と呼ばれる年配世代の無自覚さや上から目線の態度をからかう動画が無数に投稿されている。

米紙ニューヨーク・タイムズはこれを「OK、ブーマー現象」と呼び、「業を煮やした何百万人もの子どもたちのスローガン」と位置付けた。ネット上ではこのフレーズをあしらったTシャツやフーディー(フード付きパーカー)が売り出されている。 】


“boomer” とは “baby boomer” を略した言い方で、その “baby boomer” とは「ベビーブームのときに生まれたの人」という意味のようです。

“OK boomer.” はここ最近、TikTokを通じてティーンエイジャー・若者世代に爆発的に広まっているフレーズで、主に年配の人から古い考えを押し付けられた時に使います。

 例えば、説教くさいことや若者を見下すようなウザいことを言われたとき、若者世代の意見を理解しようともせず古い発言をする相手に、冷ややかに「ハイハイ」とあしらったり、軽く受け流すといったニュアンスです。

 新しい考え・変化に対応できない人を小バカにしたり嘲笑う意味合いも込められていて、ベビーブーム世代の人にだけではなく、古い考えの30代以上の人に対しても使うそうです。

「今時の若者は…」「自分が若い頃は〜だったのに」「○○はこういうものなんだ」と古い考えを言い出したら、”OK Boomer” と一言で返すみたいな感じのようです。

 世代間の考え方の違いみたいなものは、いつの時代もあると思いますが、この “OK Boomer” がティーンエイジャーに共感を呼んでいる背景として、気候変動問題を始めとした上の世代からの負の遺産やそれに対する「年配世代の無自覚さ」があるようです。

これに対して、ティーンエイジャー・若者世代が「もうたくさんだ」と声を上げはじめていて、その流れの中で “OK Boomer” も波に乗って爆発的に広がっているようです。



 YouTubeを見て感じたのは、この25歳のクロエ・スウォーブリック議員が、とても議員らしく見えることです。くだらないことには動じない。

 そして、あしらい方が・・・素晴らしい!

 「OK boomer」の後、議場は彼女のスピーチをしっかり聞く雰囲気があったようです。
 

野次る方も野次られる方も、永田町よりレベル高いですね。



私も『老害』と嫌われないように気をつけます。

 (とはいえ、時には『老害』も必要と思ってしまう昨今です。大切なのは塩梅かな?)



献血ルーム

2019年11月14日 07時22分01秒 | 日記

 3ヶ月半ぶりに献血ルームに出かけました。

 時間はあるのに、災害募金もせず、ボランティアにも行かず、社会に役立つ何かをと、
 学生時代に行っていた献血を再開しています。
 69歳までと限られた時間ですが、続けてみようと思っています。

 今回は、2時間前に食事を済まし、事前問診もスムーズに済みました。

 担当の方は、針の入れ方が上手で痛みもなく、話相手にもなっていただき、あっという間に終わりました。
 (飲み物を飲め飲めと盛んに勧められるのには、いささか閉口しましたが)

次は、来年4月の予定です。



 <追>
 体重の増加を危惧している私です。献血ダイエットを期待しましたが、ガッツリ昼食と献血ルームでの飲み過ぎで、むしろ増えてしまいました。・・・悲しい!