時々雑録

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2歳児の「心の理論」 うちの娘の場合

2010年12月20日 | ことば
2泊3日のBloomington旅行、金曜日のお昼にはもう家に入れますという話だったのに、帰ってみると管理のおじさんがまだ床にワックスを塗っていて、「夕方帰ってきてください」。幸い嫁さんの英語学校の年内最後の授業日だったので、普段はダメですが、娘もいっしょに出席。最後にサンタ登場、ちょっとスナック食べておしまい。写真はそのときに出してもらったEggnog。クリスマスなど冬の飲み物です、めちゃくちゃ甘い。ホテルはとってくれたものの、外食ばかりになり、3日間通すとけっこうな無駄遣い。ホテルもウェブサイトには「温水プールあります」とあったのに聞いてみると屋外プールしかなくて、「あれは間違ってるんですよ。修正してくれって言ってあるんですけどね」と、日本なら許されないであろう呑気な答え。おかげで娘の遊びの選択肢が減り、長い3日間になりました。

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先週終わった秋学期では、Origin of Languageという授業を聴講しました。その中で、言語の進化と関連していわゆる「心の理論 Theory of mind」についても触れることがありました。

他者に自分とは異なる心の動きや信念があることを理解できる能力、4歳くらいになるとひとまずこれが身につく、ってハナシですが、娘(いま2歳と3ヶ月)と暮らしてる実感としては、親が痛がっていれば「だいじょうぶ?」、悲しそうにしていれば「どうしたの? 楓いるよ」(まあ、親の真似ですが)、などこっちの心が分かってくれているように見えなくもありません。でも、よく考えてみると思い当たることが。

娘は、キッチン用のラップを巻いてあったボール紙の筒を拡声器のように使って電話の真似をして遊びます。「話して」と言って私にも使わせようとしますが、娘が筒を口に当てて話をしているので、筒の反対の端を耳を当てようとすると、それを制止して、お前も口を当てろ、と言います。これでは、筒の両端に二人とも口をつけることになるので、通話が成立しません。でも、それを説明しても理解する様子はなく、口をつけるのであれ、耳を当てるのであれ、自分と同じことをさせようとします。

また、相変わらずかくれんぼが好きで、食事中にもいきなりかくれんぼ遊びに持ち込もうとする。ところが、自分の目だけ手で覆って「見える?」と聞いてきます。こっちには彼女の姿は丸見えなので「見えるよ」と答えることになります。彼女は不思議そう。

心の理論に関する実験パラダイムに詳しくないので素人考えですが、たぶん、電話ごっこについては、たんに自分のやってることをやらせようとしているのだろうと。また、かくれんぼについては、よく聞くハナシと同様、自分が見えなければ見えないと考える。他者から見えないかどうか、ということには思い当たらない。いずれも、他者の視線や人格に関する認知がちゃんと成立していないから、ということのように思えます。

今のところ、われわれの唯一の願いどおり、心優しい子に育ってくれているようで、喜んではいるのですが、その優しさの発露は、我々とは異なったメカニズムに支えられているということのようです。娘がこっちの心を読んで行動しているように見えるのは、むしろ、娘の行動の中に自分たちの心の働きと同様のメカニズムを読み込んでしまう、親の側の「心の理論」による、ということになるのでしょうか。

いつごろになったら、口と耳とで電話ごっこができるようになるのか、私たちの目を隠して「見えない?」とやるようになるのか、楽しみではあるけれど、今の娘のとんちんかんな行動はかわいいし、心の理論が発達したらもう二度とやらなくなるのでしょうから、今はこんな彼女との対話を楽しもうと思います。

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