父が食事に僕達家族を連れて行ってくれた処で
醤油を「むらさき」と言っていたのを思い出しました。
僕の作った「あんこ玉」を見た人が
「何でこのあんこ玉はむらさき色なんですか?」と訊かれました。
そう確かにグレーがかった淡いむらさき色をしています。
あんこ玉は黒と思っていたのかも知れませんね。
ツヤのある黒い玉・・・手間隙かけた泥団子も光ってますね。
でもね、餡は小豆から作りますから「黒」ではなく
「薄むらさき色」なんです。
水墨画の山なみのような淡い墨色にも通じるむらさき系の色です。
そんな色の餡は妙に粘らず、口の中で淡雪のように溶けて
広がった豆味も甘さも未練など残さずに消えてゆきます。
僕の考えでは餡の粘りは負け惜しみ。
バラバラに餡の粒子が散ってゆくのは未完成。
甘さだけが妙に前に出る餡も感心できません。
豊な豆の風味も甘さもサラリと消してみせるには
豆から餡までの工程で職人が如何に高いモチベーションを持ち、
時間も惜しまず簡素化もせず効率も考えずに豆に向き合ったかの
「証し」ではないだろうか?なんて僕に想像させてくれます。
経営者は利益を考えるのは当然だと思います。
現場では効率を考えなければなりません。
職人の労働環境も重要です。
でもね・・・そんなの一切取っ払って目指す味を
作って見たくなる時が職人さんにはあると思うんです。
楽をしたくなったら手抜きに繋がりやしないか心配ですね。
たぶんそんな職人さんはいないと思いますし、機械を
使っての量産品ならしかたのない話です。
勿論、一部には器械で大量生産しても尚美味しいモノが
作れる事実も承知しています。
自分が疲れるとか面倒くさいとか自分第一に
考えた時は良い結果は望めないような気がします。
自分を捨て、或いは自分を忘れる(消せる)程の
気持で作ったモノは何かを感じさせるし、伝わりますね。
自分を抜いて考える・・・な~んだ愛と同じじゃんなんて
思っている人もいるでしょうね。
僕も同感です。
画像は敢えて載せません。
目で見た色が出ませんでしたから。