下町のパンを食べてみませんか?

千住、緑町ゆうやけ通り下町のパン屋パレット

流し目に送られて・・・

2006-11-05 23:23:01 | 夢見るお年頃

ものすごく遅い朝食を終えて、本の整理を始めましたが
65%くらい取って置きたい気持の本までを処分することにしました。
チェックしながらの整理に思わぬ時間が経過して
探索出動は大幅に遅れました。

 それでも年増のコナの流し目に送られて
3日に続き修理した自転車で出動。
昔はよく映画の帰りに家族で入った感じの店が今もある地帯に
さしかかり懐かしさのあまり「ゆで小豆」あります・・・の小豆に
惹かれてそのうちの一軒に入ってみました。
あんみつ、のり巻きからラーメンまである感じの店はもう
千住でも数えるほどしか残っていません。
豆茶のサービスも感じも良かったのですが、元祖が一度で
いいかな~と思える味でしたので摂取したカロリー消費を
考えて御茶ノ水から靖国通りを経由して水道橋に行き
工芸高校から坂を登って順天堂と走ってみました。
僕が学生だった頃とは天地の差を感じました。
平和?豊さ?ノンポリ?あの頃は大きな看板に
独特の文字で政治思想のメッセージが書かれていましたが、
ロックアウトなどとは程遠い可愛い文字で犬との触れ合い
コーナーも校内に設置されていました。(大学文化祭)
途中寄った合羽橋の例の場所でも本堂でコンサートがあったり、
文化発表の季節なんですね。
自転車のチェーンケースに描かれたイラストが原因で
職質を受けました。「こんな絵は若い人の自転車ですよね!」って・・・
ああ・・・お嬢の描いたイラストを忘れて乗っていた~~~
「自転車登録番号の控えが家にありますか?」だって・・・
日本の犯罪の5割は自転車の盗難だそうでイロイロと
僕が怒ったりしないように警察事情を話してくれました。
僕が「な~んだ5割の犯罪は自転車なんだ。
実際は数字以上に犯罪の少ない国なんで安心しました。」と
若い警察官に言うと彼は微妙な顔をしてました。
「これからも頑張ってくださいね。」って労ったのですが
自分でもイヤミすれすれと思い反省。
かと思えば順天堂大学直前の公園に立ち寄ると、公園の
住人が僕の近くに置いてあった自転車を仕舞い込む・・・
今日は二回も自転車泥棒と思われました・・・
そんな題名の映画もあったっけ。
坂の仕上げに上野を通ってみました。

 

公園の噴水と東京国立博物館の光彩時空。
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=X00/processId=00

毎週木曜の夜のスポーツ教室でこいでいるエアロバイクと
違って実車は退屈と無縁です。
千住大橋の登りでは2台のATBに先行されましたが
ママチャリ・クラスではトップ・・・って~何やってんだろ?
帰宅するとトナさんのお友達も今帰ったそうで
僕の「あんこ玉」を「売れば」と言っていたそうです。
家族の人気はイマイチですが、趣味の評価は上々でした。


お土産

2006-11-05 05:01:44 | 夢見るお年頃

竜飛岬に車で旅に出た方達から
お土産をいただきました。
現地発送のイカの一夜干しやら沢山の海の幸。
本日追加で本造り松前漬けやらお菓子など。
バイクや車の運転の好きな方で、走行は下道を優先して
なるべくワインディング・ロードを選ぶそうです。
栃木インターから足尾に抜ける峠道はお互いに
好きな道だったので話は盛り上がりました。

バイクや車で走ったことはありますが、地元栃木の友人達が
作った自転車クラブではこの峠を自転車で毎週登り、
足尾に下りたら裾野を回って栃木市に戻ってくるそうです。
栃木市のゴルフ場を抜けて登る大平山でも悪戦苦闘の
僕には考えられない程長い登りの苦行です。
僕達下町に住む者にとって登りは隅田川や荒川に
架かる橋だけですから、登りの練習といえば鶯谷や上野、
更に走って後楽園から大塚に向かう緩い坂、目白や音羽、
椿山壮周辺の激坂も栃木の友人達からは短いと
思われるんでしょうね。
それでも僕達にとって登りの練習後は階段を這って上がる
状態でした。群馬、月夜野サイクル・センターの
ロードコースには二段かいになった坂があります。
レース終盤での二段目は苦難の坂です。
よっぽどリタイアしようかと思いますがゴール周辺に次いで
観客も多く、自転車を降りられません。
ペダルを踏み込むよりも引き上げる感じで登りましたが、
観ている人達の拍手や声援でトップ集団は当然ですが
参加者の多くが観客パワーを受けてけっこう登れる
もんなんです。

話がソレテしまいましたが
青森、大間の土産のお返しは何処の何がいいのだろ・・・
一週間かけて運転と青森を満喫して無事帰宅したそうですが、
僕はまずサスペンションをソフトなモノに替えてから
走り出そうと考えています。
当然下道(したみち)優先の旅をしたいと思います。
青森を取られたから僕は箱根を越えて山口か?
(まるでパネルクイズ感覚の陣取り気分です)
ふぐの干物に伊勢の赤福を土産にしてみるかなぁ・・・
途中、母が病の床で話していた飛騨高山の「みたらし団子」の
実食も外せませんね。走れるうち、食えるうちに実現しないとね。
きっと昔観たアメリカTVドラマ「ルート66」気分で走ります。
広大な国の真っ直ぐな道をコルベットではなく、
狭い国の曲がりくねった道を丹念に「みどり」にトナさん
乗せて味わいたいと考えています。
でも現実にはもっと大きく楽チンな車でアイスボックスに
インシュリンを入れてコナも一緒が更に理想的です。

今夜・・・もう今朝ですが、オジサン酔ってフラフラです。
勿論お酒ではなくて自分にですが・・・


ディズニーランド

2006-11-05 03:37:29 | パンのパレット

孫を連れて行くと言っていた父はディズニーランドが
オープンした年に願い叶わずこの世を去っていきましたが、
オープン後しばらくして僕は仕事を終えてから
幼いMちゃんと友達のRちゃんを車に乗せて
高速道路を走っていました。
車の右前方に見えてきた搭が何かを二人に尋ねてみると、
搭に気付いた二人は初めて見るシンデレラ城に驚き、
次の瞬間歓声をあげました。
二人は自分達の搭に関するありったけの知識を
僕に教えてくれました・・・
今もその時に丸くした二人の目が忘れられません。
その頃、4時過ぎの入場は比較的簡単だったと記憶しています。
子供達の笑顔や歓声は幾つになっても
親の大好物だと思います。
まだ携帯の写メールなんかが無かった頃の話です。

孫に対面でき、遊ぶ機会があったとしても
自分の子供と違って孫は海や川には連れて行かないつもりです。
その代わりに湯船でヨーヨー釣りやスーパーボールすくい、
湯船の底に置いた器に落としたオハジキが入るかなどの
縁日で慣れ親しんだゲームの数々を一緒に楽しみたいと
考えています。お風呂で遊ぶと叱られた経験をバネ?に・・・
まぁ、お風呂遊びの達人のアイディアのパクリですが、
今度は僕の親でなく湯冷めを心配する家族から
叱られるのでしょうね。
人生・・・叱れているうちが華だと思っています。


お酉様

2006-11-05 01:19:02 | 夢見るお年頃

http://www.otorisama.or.jp/hyoushi.html

一時衰退したのかと思うほど人出が減ったように感じた
時期もありましたが、今は再び賑わっているように思います。

子供の頃は僕も弟も押し潰されぬよう両親は僕達の
後ろをガードしながら歩いたように思います。
浅草生まれの父は祭や縁日が大好きでした。
お酉様の帰路には決まって吉原堤の桜鍋屋に寄って
食事をしたものでした。
店は混雑し、店に入る列に並んでいる時の寒さは格別でした。
入店の順番が近づくと子供の目からは「お爺さん」とも思えた
職人さんが汗を拭きながら肉をスライスしてました。
大きな肉塊が乗るまな板には栄養ドリンクの瓶も毎年ありました。
外の寒さから一気に店内の熱気の中に入った記憶は
今も残ります。
小さい時に必ず買ったモノはダルマ型の桃色と緑の「オコシ」。
火であぶながら伸ばし、膨らむ平らで大きな靴ベラのような
不思議な煎餅?も買いました。
やつがしら芋や羊羹とあんこ玉も売られていましたね。