高校生の頃は学校推薦を受けて大学に入学するクラスメートを羨ましいなどと思いませんでした。特に学費免除を受けるなんてもっての外と考えていたんです。理由は単純で学校に拘束されたり後輩達の為に模範的生徒でいなけりゃならないんだろう・・・なんて思っていたからです。辞めたくなったら自分の意思で辞められる状態にいたかったんです。もっとも当時の僕は箸にも棒にも引っかからない生徒でしたからそのような事を考える事自体ナンセンスでしたけどね。
最近になって小学生の頃に頑張った理由を思い出しました。理由は僕の成績が悪いと母が父の小言を聞く羽目になったらしいのです。次に母がうなだれた僕の成績表を受け取る時に「悪くったていいじゃない・・・」と僕を元気付けて開くと僕にしては上出来の成績だったりすると母は笑顔で「もう~~!!」と驚き怒るのですが僕はそれが好きでヤミツキになったんです。勿論僕が勉強してる姿なんて母には見せませんでした。それ以来僕のひねくれた性格は益々ネジレタ感じがしています。やはり僕は褒められると伸びる人間なんですね。
自分を褒めてくれる人がいると自分の能力を120%発揮できる感じなんです。まあ大抵の人達はそうだろうと思ってもいるんですけどね。だから自分の励みになる人が一人でもいる人といない人の差は小さくないと考えていますし信仰心の強い人もきっとそうなんだろうと想像したりしています。
話が逸れましたが何らかの優遇処置を抽選の運の強さだけでなく得た場合はドウお返しするかを考えます。自分に出来る事は経験や想像力、体力を使い感謝に代えて自分の力を遺憾なく発揮すればただそれだけで良いのではないかと思います。
学生時代に未経験だった特待生ですが今になって思うのは堅苦しく考える必要は無くて自分の力を遺憾なく発揮すれば評価は自ずと付いてくるような気がします。
最近になって小学生の頃に頑張った理由を思い出しました。理由は僕の成績が悪いと母が父の小言を聞く羽目になったらしいのです。次に母がうなだれた僕の成績表を受け取る時に「悪くったていいじゃない・・・」と僕を元気付けて開くと僕にしては上出来の成績だったりすると母は笑顔で「もう~~!!」と驚き怒るのですが僕はそれが好きでヤミツキになったんです。勿論僕が勉強してる姿なんて母には見せませんでした。それ以来僕のひねくれた性格は益々ネジレタ感じがしています。やはり僕は褒められると伸びる人間なんですね。
自分を褒めてくれる人がいると自分の能力を120%発揮できる感じなんです。まあ大抵の人達はそうだろうと思ってもいるんですけどね。だから自分の励みになる人が一人でもいる人といない人の差は小さくないと考えていますし信仰心の強い人もきっとそうなんだろうと想像したりしています。
話が逸れましたが何らかの優遇処置を抽選の運の強さだけでなく得た場合はドウお返しするかを考えます。自分に出来る事は経験や想像力、体力を使い感謝に代えて自分の力を遺憾なく発揮すればただそれだけで良いのではないかと思います。
学生時代に未経験だった特待生ですが今になって思うのは堅苦しく考える必要は無くて自分の力を遺憾なく発揮すれば評価は自ずと付いてくるような気がします。