1985年10月に訪れて乗った「浄土ヶ浜遊覧船」が、2021年1月11日に最終運航となったということで、実家の押し入れの奥に仕舞い込まれていた ` むかしの写真 ’ を引っ張り出して見返していく記事です(*^-^*)
前編 1985年 ①三陸海岸線 宮古 浄土ヶ浜遊覧船 の記事からお読みいただきたく思います
東日本大震災で、わたしが訪れたことがある 釜石の街 や 三陸鉄道南リアス線沿線は今ごろどうなっているのだろうか・・・?と、あれからずっと気にかかっています。
釜石の街、昭和60年・1985年10月です
JR釜石駅プラットホーム
駅に着くとすぐ目に入ったのが、うわさに聞く「新日鉄釜石」( 新日本製鐵株式会社 釜石製鉄所 ) の巨大煙突!
駅前の様子
巨大工場の音が聞こえていました。この中に溶鉱炉の炎が燃えているのか!(゜.゜)!と想像していました。
私が生まれ育った「住友重機械工業 浦賀造船所」のある横須賀市浦賀に似ている街の雰囲気でしたが、それよりも数倍 圧倒される迫力を感じました。
街中
いろんなお店があり、あらゆるものが売っていて、お店の方々が試食品を たいへんご親切にたくさん食べさせてくださって楽しかった「釜石橋上市場」。
たしか下に川が流れていました。河口はすぐ近くだったような記憶があります。
宿がある「遠野」への帰り際、海の近くまで高い山が迫る釜石の街に 夕日が沈むところを。
これ以来、釜石の街へ行ったことがない私です。
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変わって、ここからは1985年8月に釜石駅から乗った「三陸鉄道 南リアス線」沿線の風景です。
「三陸」駅まで行き、すぐに引き返してきただけでしたが・・・。
たしかこれは「三陸駅」のプラットホームから撮った、私が乗ってきた車両だと思います。
「三陸駅」を上から撮ったものと思われます。
遠くの山の上に「釜石観音」様のような立像が見えるので、ここは「三陸鉄道南リアス線」←(当時の名称)のプラットホームではないかと思います。 記憶が定かではありません(´・ω・`)
岩手県という所は、私が育った三浦半島では見られない現象・・・つまり、この写真の奥に見える山々に、「雲の影が映る」というものに ただただ感動を憶えたのですよ~! (T_T)
雲の影に入って山が深緑色になっていく、それがどんどんと移動していく、というスケールの大きい景色でした。
これは車中からだったのか???
とにかく、トンネル とんねる またまたトンネル・・・と、ほとんど長い真っ暗闇ばかりの南リアス線という記憶があります
ここからは間違いなく 動く電車の窓からの美しい海の風景を撮っています
本当にながーーーく暗いトンネルから いきなりぽっと出るので、明るい三陸海岸の風景が心底美しく記憶に残っています。
この海の景色が見えるのも、ほんの数秒なのですよ!(;´・ω・)
ここら辺はみんな津波の被害に遭ってしまったのでしょうか? あの時お会いしたみなさんは今はどうされているのかな??? 今から36年近く前のことでした。