山下達郎「マーマレード・グッバイ」 ユーチューブ音源へ
歌詞はともかく、曲の感じが 春が近づいた今 自転車で走り出すイメージに思えるので選びました
はるか富士山を望み・・・
( それにしても高いです! 浮いているように見えます )
頭の上を トンビが悠然と旋回している・・・
そんな海辺の一角で 手弁当のお昼ごはんを食べたお良し
ふたたび ぷらぷらと走り出して、金谷の町並みを探検してみました。
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と、本題に入る前に少し 旅に出る言い訳を書きます (=^・^=)
① なぜ お気楽なサイクリングをしているのか?
・ 私もこの夏の誕生日で還暦を迎えます。否が応でも これから体は衰えていく一方です。骨粗しょう症のために 体の痛みを長年抱えて90歳まで生きた実母を見ていて、「非健康寿命」の長さの辛さを痛感しました。
でも、ありがたいことに周囲の人に恵まれて、楽しみもみつけて生きた 頑張り屋の母でした。
母は自宅で突然逝きましたが、亡くなる日の昼間 コタツで寝転びながら「お良し、気をつけて生きていけな。お母さんのようにならないようにな」と、ふと言いました。 ← 骨粗しょう症の他に、海のそばに自宅を持つ私に 津波の危険から身を守れ という意味でも言ったのですが。
これを守らねば母がいつまでも心配してしまいます(笑)
でも、誰だってなりたくて年老いていくわけじゃないんですよね!
一生懸命に生きてきた結果です、、、。
・ 私が腰痛や捻挫などで時々お世話になる整形外科の医師から「お母さんに似るかもしれないから。女の人は60歳から急に(衰えが)来るから、早めに対処した方がいいかもね」と言われた。
以上、二つの理由があって、意識して運動しているので~す(#^.^#)
② なぜ 東京湾フェリーに乗るのか?
・ それはもう、純粋に船が大好きだからです♪
このブログで何度も言っていますが、子どもの頃に 造船の街「浦賀」で暮らして 船を身近に感じて育ったからです。
実父は「浦賀ドック」で船を作る仕事をしていました。←「住友重機械工業 浦賀造船所」 あの東京湾フェリーの1隻も建造・修理した所
・ そして今、なによりも、「でこっぱちのプー」が仕掛けた戦争で 世界のエネルギー事情がますます混乱し始めましたよね?
ラジオを聴いていると、「専門家」とか「ニュース解説者」とかいう人達が口々に「東アジアに何かあった時に、欧米各国が何もしてくれない ということがないように、日本も 今 世界と足並みをそろえてロシアに物申していかなければならない。我々もリスクを背負って、その苦境を なんとか乗り越えていかないといけない」というようなことを言っています。
乗り越えられる人ばかりじゃないんですけどね!!! 今だって すでに苦しくて命を絶っている人が大勢います。
・・・ま、それは置いておいて、東京湾フェリーはじめ、交通機関というものは 燃料を使って動かしているわけです。
ハッキリ言いまして、東京湾をまたぐ道路ができてから利用客や貨物輸送が激減した東京湾フェリーを、地元民として応援しているのです! だって~、お良しの夫の親戚一同は 南房総にお住まいなので、行くことがあるのですもん~(*´▽`*)
物が豊富で素晴らしいけど、ごちゃごちゃした横浜・東京方面へばっかり遊びに行きたいわけじゃありませんし~、アッハッハー
これから重油・ガソリン・灯油・ガス、ひいては電気代などなどが 値上がりしていきますよ~
( あとは小麦関係も )
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金谷の町の海辺でのお昼ごはんを食べ終えて 走り出した お良し と 愛車「サンシャイン号」
海岸道路から1本中へ入った生活道路は とっても良い雰囲気なのですが、あんまり詳しくSNS類に載せるわけにもいきません。
ゆく手に細ーい 鳥居が現れました。
前まで行ったら祠があるのかな? と思ったのですが、他人様の敷地の中の道を上がっていった先にあるようでしたので 見に行くのを諦めました。
でも、なんだか とってもいい雰囲気の所でしたよ♡
右の道は、「鋸山」へ上っていくロープウェイの山麓駅へとつづく道です。
そこの脇に・・・
立派な神社がありました!
長年 フェリーで金谷に来ていますが、お良し 初めて発見しましたよ~。今さら デス
海がすぐ近くです♡ 風を感じる写真が撮れました♡
一の鳥居には「大正七年六月建立」の刻印があります! 古いけれど、とってもきれい! びっくりです~!
・・・と、ここでお良し、一人で勝手に考えた~(*´-`)
やけに接近して立っている2つの鳥居のうち、手前のは以前は海岸近くにあって 国道建設のために移動したのか ←、三浦半島でもそういう事例があるので、あくまでもお良し個人の推測
拝殿わきにある社(やしろ)に 保存されている これ、すごいんですよ~!
直径1.6m って、案内板に書いてありますよ!
お良しの身長より大きい「鏡」なんです・・じゃないそうです(^o^;)。 社のガラス窓から覗いて 撮影しています。
上野の国立歴史博物館に収めてもいいぐらいの貴重なものではないですかぁ
一つ前の写真の案内板に「砂鉄( さてつ )」という文字が書いてありますが、三浦半島の海岸にも お良しが若い頃は 砂鉄が豊富にあって、砂浜が黒ぐろしていました。磁石に紐をつけて引っ張ると、砂鉄がたくさんくっついてくるという おもしろい遊びができました♫
今は海岸が浸食されてしまったので、砂浜自体が狭くなってしまっています。三浦半島にも「たたら浜」という場所があります。ここ、南房総でも砂鉄を使った「たたら製鉄」が行われていたのでしょうか。
この鏡が作られた場所はどこなのでしょうね?
金谷神社の拝殿 彫刻を観察!
神社の塀にも「房州石」らしきものがふんだんに使われています
斜めの模様を互い違いに積んだところが センスがありますね!
この積み方で強度も増すのかな?
金谷神社のお隣りに お寺がありましたが、そちらは次回訪れた時に寄ろうと思いまして 通り過ぎました。
金谷神社を出ると こんな雰囲気
分かれ道になっていまして、右側にある細い道を入っていきます。
海岸線の国道にちょん切られた、先ほどの細い鳥居があった生活道路( いわゆる 昔からある道 )のつづきだと思われますが どうでしょうか?
その道をずーーーと入ってくると、お肉屋さんの前を通り過ぎて 金谷川に出ます。
橋の上から見下ろすと、カモがたくさんいました。
端っこの浅瀬に集まっていますが、この直前まで 潮が引いて浅くなっている川の中央で バシャバシャ! バシャバシャ! と盛んに水浴びをして羽を洗っていたのです。
ズームイン!
そしてそして、橋のたもとには お良しが必ず寄らせていただくスーパーマーケットがあります♫(*´▽`*)
こちらのお店が作っているお惣菜の数々も 家庭的なお味で 大好きです♡
今回は、カボチャの煮物と焼きそば等を買い求めて帰りました。
お肉屋さんの焼き豚、メンチカツと合わせて、千葉県民さんお手製のごちそうを夕飯に堪能しましたよ~♪
・・・長くなっちゃったので、金谷で出会ったみなさんとの交流編を 次回につづけます・・・