ある番組で「ゆ~とぴあ」の興味深いを耳にした。ご存じと思うが,一昔前にゴムパッチンで有名になったあのお笑いグループだ。このゴムパッチンとは「ゴムの片側を口にくわえさせ,その反対側を思いっきり引っ張った後に手を離し,顔にゴムをあてるという罰ゲームなどで用いされるもの(はてなダイアリー)」を指す。
興味深いというのは,そのゴムパッチンにまつわるエピソードだ。受けをねらって採り入れたパフォーマンスだったが,最初は客席から全く受けなかったというのだ。なぜか?
やり始めの頃,客席では受けるというよりむしろ「痛そう」!といった感じ方の方が強く,お客さんはむしろ「引いて」しまったのだという。そりゃそうだ。本当に痛いのだから。なのに思いっきり伸びたゴムの収縮を顔に受けて舞台で倒れる芸人さんの様子を見て,いつの間にか観客が笑えるようになった変化の事実は何を意味するだろう。
これは,人の痛みを自分の痛みと感じるようなそんな共感性の回路を,場の雰囲気に合わせていつの間にか遮断してしまったからではないか。「ここはきっと笑うところだろう」「他の人も笑っている」という状況判断を元に,周りに自分を適応させたということだ。最初は自分自身の感じ方とのギャップに戸惑いながらも,またおっかなびっくり周りに合わせていても,次第に自分自身の感じ方がなくなるだけでなく,いつの間にか自分が周りに影響を与える立場にさえなってしまう。1971年にスタンフォード大で行われた心理実験さえ思い浮ばされる。(注http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93)
見回してみると,テレビなどで見る最近の笑いには,場の勢いで出演者などにいろいろなことを強要し,断り切れず困ったりぶざまに対応する様子をあざけり笑う場面が多い。子どもたちを取り巻く笑いも,そんな様子に汚染されているのではないか。お笑いのやり方をこのように取り上げるのもどうかと思われるかもしれないが,しかしこんな世間の雰囲気がもしかしたら子どもたちの共感性の回路を遮断しているかもしれない。だとしたら,看過できないと思う。「いじめ」の中で行われるあのあざけりとの共通点を見つけるのは私だけではないだろう。
興味深いというのは,そのゴムパッチンにまつわるエピソードだ。受けをねらって採り入れたパフォーマンスだったが,最初は客席から全く受けなかったというのだ。なぜか?
やり始めの頃,客席では受けるというよりむしろ「痛そう」!といった感じ方の方が強く,お客さんはむしろ「引いて」しまったのだという。そりゃそうだ。本当に痛いのだから。なのに思いっきり伸びたゴムの収縮を顔に受けて舞台で倒れる芸人さんの様子を見て,いつの間にか観客が笑えるようになった変化の事実は何を意味するだろう。
これは,人の痛みを自分の痛みと感じるようなそんな共感性の回路を,場の雰囲気に合わせていつの間にか遮断してしまったからではないか。「ここはきっと笑うところだろう」「他の人も笑っている」という状況判断を元に,周りに自分を適応させたということだ。最初は自分自身の感じ方とのギャップに戸惑いながらも,またおっかなびっくり周りに合わせていても,次第に自分自身の感じ方がなくなるだけでなく,いつの間にか自分が周りに影響を与える立場にさえなってしまう。1971年にスタンフォード大で行われた心理実験さえ思い浮ばされる。(注http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93)
見回してみると,テレビなどで見る最近の笑いには,場の勢いで出演者などにいろいろなことを強要し,断り切れず困ったりぶざまに対応する様子をあざけり笑う場面が多い。子どもたちを取り巻く笑いも,そんな様子に汚染されているのではないか。お笑いのやり方をこのように取り上げるのもどうかと思われるかもしれないが,しかしこんな世間の雰囲気がもしかしたら子どもたちの共感性の回路を遮断しているかもしれない。だとしたら,看過できないと思う。「いじめ」の中で行われるあのあざけりとの共通点を見つけるのは私だけではないだろう。