畑の白菜
この季節、私は畑に残された白菜を良く撮る。
他の野菜と違って、どんなに外見がくたびれても、
みながその存在を認めて畑に置いている。
外見はくたびれても、はっきりとした葉脈は、
長い間、日に照らされ風に吹かれて働いて来た、
お百姓さんや、漁師のたくましい肌を見る気さえする。
そして、外見がいくらくたびれても、皆がその存在を認める様は、
年老いた親たちを見る子供たちのまなざしにも通じるものがあるような気がする。
私はこれからもこの季節の白菜を撮り続けるだろう。
というより、私自身がもうこの白菜の境遇だ。
中身はまだ腐らんぞ。