”九十九里浜”(5月25日)
クラブの撮影旅行は夕食後もほとんどの人が夜も写真を撮る。
今日は満月。 月の出を撮ろうと9階のベランダにスタンバイ。
ところが雲があって月は中々出てくれません。 真面目に三脚出したのは私たちの部屋の三人。
そこそこ遊べそうだ。 ほかの部屋もベランダに三脚が出始めました。
”九十九里浜”(5月25日)
クラブの撮影旅行は夕食後もほとんどの人が夜も写真を撮る。
今日は満月。 月の出を撮ろうと9階のベランダにスタンバイ。
ところが雲があって月は中々出てくれません。 真面目に三脚出したのは私たちの部屋の三人。
そこそこ遊べそうだ。 ほかの部屋もベランダに三脚が出始めました。
月の出時刻から一時間以上たって、
雲の切れ間から月の光が海面に漏れてきました。
月はすぐに雲に隠れてしまいます。 出るたびに照らされる場所が変わります。
「月光と海」。 クラッシック音楽にありそうだ。 いけないいけない題名に酔っちゃあ。
11時を回ってしまった。 風呂は12時までだ。 ベランダにはもう誰もいない。急いで風呂へ。
なんと私が風呂に行ったあと良い月が出たから撮ったという人がいる。 もうきりがない。
(5月25日)
外川漁港を後に、4時半集合の外川駅に向けて港を離れる。
すぐの坂道。路地で遊ぶ子供たちがいた。
坂道の上の方の縁石に腰を下ろしてしばし見ている。
「全部お孫さんですか?」。老人に話しかけた。
聞こえなかったみたいだ。
「うん、ちがう。これと私が孫」。と女の子が答えた。 「写真撮らせて」。
「おじさん、埼玉県から来たんだ。聞いたことある?」。「知ってる」。 「埼玉県は海がないから海辺を撮りに来たんだ」。
「おじさん小学校5年まで海を見たことなかったんだ」。 「海見たことない?!」。
子供たちは遊びを止めないで話している。
「女の子ばっかりだけど、男の子はどこで遊んでるの?」。
「学校。男子とは遊ばない」。 懐かしい言葉だ。
家の前の道が自宅の延長。 縁石の段差も、コンクリートの出っ張りも、側溝の穴も、見なくても体に染みついている。
公園なんかいらない。昔当たり前だった風景だ。
九十九里の宿への時間は押していました。
運転手さんが、降りなくても良いから見ていくだけでもと、通ってくれた場所です。
5/25日のブログはここを携帯で撮ってアップしました。
詳細風景は携帯ではなく、この一眼レフの写真で見て下さい。
”イソヒヨドリ”
これは、前回5/8日の撮影です。
海辺に来たら、撮りたい鳥ですし、必ず撮れると思っていました。
ところが、最初に会ったのは2日目の朝、
犬吠埼の電柱の上で美しい声で鳴いていました。
まだ夜も明けたばかりで、撮るにも撮れなかった。
これが二度目の出会い。
外川駅の、線路の終端にある、またも電柱の上。
恋の季節で高い所ばかりで鳴いて落ち着かないのです。
”長崎鼻から外川漁港へ” (5月25日)
写真クラブ撮影旅行、初日。
4時間の自由時間で各地に散った撮影仲間。
長崎鼻へ来たのは私とKさんの二人だけ。
ほかの人たちはどこを撮っているのだろう。
良いものを見つけたのではないだろうか。
内心あせりも感じつつ外川漁港へ戻ります。
5月7日に来た時、ここで漁師さんを撮らせてもらった。
4人の写真をプリントしてきたので渡そうとここまで来たのです。
修理台には別の船が乗っていた。
たまたま、一台の軽トラが岸壁に止まった。
会えなくても、漁師さんに見せればすぐにわかること。
こう思って近づくと、写真に写っている本人だった。
開口一番がふるっている。 「あれ、まだ居たの?」。
まだではない、また来たのです。