(未来予想図)
山の斜面で、梅の木の枝を切っている老夫婦がいた。
私はこの二人が撮りたくて近づいて行った。
老人が 「どちらから来たね」。 「埼玉県」。 「まあ遠くから。狭山と言う所に親戚が居る」、と老人が言うと、
老女が「もういないって」。 「狭山は私の所から近いですよ」。 「そうかね」。
老女がさらに大きく「もういないって!」。 その声の大きさに私は驚いた。 さらに老人が話を続けようとすると、
「もういないって言うに!、三年前に帰って来たっちゅうに!」。 老女はエスカレートし叱責するように大声になった。
私たちは老女をこれ以上大声にさせてはまずいと、そそくさとその場を離れた。
カミサンも時々あんな感じになるな。 会話をかみ合わせているつもりなのに、どちらかが相手が頓珍漢だと思い腹を立てる。
「我々の数年先を見ているようだな」。 カミサンも苦笑い。 未来予想図Ⅱの歌は好きだが、老いの未来予想図は・・・。
日陰はまだ凍っています。 これに題名付けるとしたら、
古いけど、「なんとなくクリスタル」。 または「小便小僧」。
このあと、有賀峠を越えて諏訪ICから帰途につきました。
この季節の信州は意外と来ていなかった。新鮮に感じました。
(シリーズおしまいです)。
”諏訪湖の オオワシ・グル” (3月6日)
旅の二日目、帰る日です。 未明の諏訪湖撮りでかなり撮った気になったので、あとはあまりこだわりがない。
チェックアウトして諏訪湖畔に出たら、北アルプスが、雪でピカピカに輝いている。
「ワー、あの山がもっと下まで見えるところに行きたい」。
と言うことは、松本平へ抜けることだ。 大体こういう思いつきで写真は出来ないと相場が決まっている。
諏訪湖畔を走っていると、カメラ集団発見、オオワシの人たちだ。
「どこに居るんですか」と聞くと、山の稜線の向こうに少し頭を出している高圧鉄塔の上だという。
「何時からですか」と聞くと、もう3時間だという。
これには付き合えません。証拠写真だけ。
” 勝弦峠(かっつる峠)から北アルプス”
国道20号を塩嶺峠に登り始めたら、「塩嶺閣で鳥見て行こうか」とカミサン。
「良いよ」。行き先に何のこだわりもないから方針はくるくる変わる。
しかし4週前より雪は減ったが、歩きにくさは変わらない。
少し戻って、塩嶺竜王パークラインにオオマシコでもいないかな。
こちらはゲートが閉鎖されている。 じゃあ勝弦峠だ。
さっきから北アルプスが見えている。 撮ってみたが裾野は全然広くなっていない。
「アルプス追いかけるのはやめて、昨日の沢底の福寿草をもう一度撮って帰ろう」。
私の提案どうりとなった。
”勝弦峠から 小野への下り道”
勝弦まで来てしまったら、沢底へは元の道を戻らずに小野へ出た方が早い。
カミサンの実家は辰野町小野地区にある。
お忍びのはずだが、実家近くを素通りするのは気が引ける。
「兄ちゃんに電話だけでも」。とカミサン電話。 お線香だけでも上げていくことになった。
ところが、実家近くの農協で仏様の花を買おうと車から下りたら、
実家近くに住む、弟とばったり。 お忍びなんて有名人でなくても出来ませんね。
「家にも寄ってけ」となった。
”私の車にとまる シメ”
義弟の家に寄ることになったのは、殺し文句がありました。
義弟の駐車場の車のリアウィンドのワイパーに知らない鳥が何時も来て、
糞をされてしょうがない。農協で会ったのは洗車に来た帰りだったのです。
となれば素通りするわけにも行きません。
私が車を方向転換させている間にカミサンが見に行くと、「シメだ」。
窓に映る姿に反応しているのです。 そうこうしていると今度は私の車に。
義弟たちは名前が分かって良かったと大喜び。 私たちはそんなものかな・・。
”牛首峠への登り口で”
カミサンの実家で義兄に、沢底の福寿草の話をして、里の奥行きが深かった話をすると、
「ここだってそんなもんじゃないぞ」、という。
小野地区は、中山道の宿場があって、牛首峠は木曾谷と伊那谷を結ぶ街道の峠だったというのです。
過疎の村にしか見えないが昔は「盛り場」だったんだ。
カミサンも奥は良く知らないという。ここなら雪がらみの福寿草に会えるかも。
また横道にそれたのでした。