昨日と今日は雨降りでランはお休み。
昨日の続きです。
いきなり結論ですが、
概ね異動のボタンを押すのは、お世話になった上司と別れたとき。
今の異動は実際、ボタンを押すのです。
初めての異動は、半導体開発でお世話になった上司のもとを離れて
一年後のことでした。2000年7月。1995年4月入社だから6年目のこと。
でもいきなり異動になる訳ではないので、それまでの経緯を。
入社して最初の2年くらいは右も左も分からないので、
だいたい誰か先輩のサポートをして過ごしました。
3年目くらいから自分だけのテーマができます。
半導体の微小接続技術やそのための材料の開発です。
色々な要素技術の集積で面白かったです。
今の自分のコアはこの頃できたと言ってもいいぐらいです。
大切な時期。
決して自分だけの成果じゃないけど、社内技報や社外、国際学会での
発表の機会を作ってくれました。
勢いに乗ったのはその国際学会でたまたま新人賞を受賞したときかも知れません。
それと同時に設計のリードを任されるようになり、ちょっと天狗になりました。
学会で賞を取るのは偶然ではないにせよ、周りの色んな人の力が
働いているんです。会社や上司の評判、従事している技術そのものの素性、
自分はそれをそつなくまとめただけなのに。
ずっと同じ仕事をしているとみんなだいたいこうして天狗になるものかも
知れません。特に大企業では。
しかし、その技術そのものはコストが見合わなくなり、収束の時期を迎えます。
最初の上司と別れ、中堅になった自分は別の仕事のリードを任されました。
それが気に食わなかった。
本当はその技術のコスト優位性が損なわれたのではなく、周りが寄って集って
潰しにかかったように映ったんです。やや被害妄想。
みんな数字は客観的だとか、定量的にとか言うけど、人がいじくる以上、
どこまでも恣意的です。昨日の人の話半分じゃないけど。
そんな上の人の数字操作にとことん逆らいました。
その都度、正しい(と思っていた)データで塗り替えました。
一方で組織はこの5年目の中堅に気を使っていてくれたんです。
別の新しい仕事も組織の期待を担っていたし、自分がどれだけ逆らっても
それを頭ごなしに潰すようなことはしませんでした。
誰も悪気はない。
確かに難しい技術だった。そしてそれにとって代わる技術も現れた。
20年後、その工場はもう全く別のものを作っています。誰も残っていません。
そして2000年3月31日に社内募集のボタンを押しました。
長い話になっちゃったな。
昨日の続きです。
いきなり結論ですが、
概ね異動のボタンを押すのは、お世話になった上司と別れたとき。
今の異動は実際、ボタンを押すのです。
初めての異動は、半導体開発でお世話になった上司のもとを離れて
一年後のことでした。2000年7月。1995年4月入社だから6年目のこと。
でもいきなり異動になる訳ではないので、それまでの経緯を。
入社して最初の2年くらいは右も左も分からないので、
だいたい誰か先輩のサポートをして過ごしました。
3年目くらいから自分だけのテーマができます。
半導体の微小接続技術やそのための材料の開発です。
色々な要素技術の集積で面白かったです。
今の自分のコアはこの頃できたと言ってもいいぐらいです。
大切な時期。
決して自分だけの成果じゃないけど、社内技報や社外、国際学会での
発表の機会を作ってくれました。
勢いに乗ったのはその国際学会でたまたま新人賞を受賞したときかも知れません。
それと同時に設計のリードを任されるようになり、ちょっと天狗になりました。
学会で賞を取るのは偶然ではないにせよ、周りの色んな人の力が
働いているんです。会社や上司の評判、従事している技術そのものの素性、
自分はそれをそつなくまとめただけなのに。
ずっと同じ仕事をしているとみんなだいたいこうして天狗になるものかも
知れません。特に大企業では。
しかし、その技術そのものはコストが見合わなくなり、収束の時期を迎えます。
最初の上司と別れ、中堅になった自分は別の仕事のリードを任されました。
それが気に食わなかった。
本当はその技術のコスト優位性が損なわれたのではなく、周りが寄って集って
潰しにかかったように映ったんです。やや被害妄想。
みんな数字は客観的だとか、定量的にとか言うけど、人がいじくる以上、
どこまでも恣意的です。昨日の人の話半分じゃないけど。
そんな上の人の数字操作にとことん逆らいました。
その都度、正しい(と思っていた)データで塗り替えました。
一方で組織はこの5年目の中堅に気を使っていてくれたんです。
別の新しい仕事も組織の期待を担っていたし、自分がどれだけ逆らっても
それを頭ごなしに潰すようなことはしませんでした。
誰も悪気はない。
確かに難しい技術だった。そしてそれにとって代わる技術も現れた。
20年後、その工場はもう全く別のものを作っています。誰も残っていません。
そして2000年3月31日に社内募集のボタンを押しました。
長い話になっちゃったな。