数少ないぼくが尊敬する政治家、三宅雪子議員のウェブサイトはー『ここ』
ー独断的な国民的作家・国民的詩人論ー
明治以降、国民的な作家と詩人は対になって出現してきた。
子規と漱石、啄木と宮沢賢治・・最も異論が多いとは思うが、戦後のそれは坂口安吾と司馬遼太郎ではないかと思う。
もっと優れた詩人や作家は多いのだが、時代との対峙や小さな子供にでもわかりやすさと左右年齢を問わずに愛されている点では彼らがその時代を代表している。
現在最もそれに近い組み合わせがアーサー・ビナードと村上春樹だが、大震災以後に彗星のように対になって現れるのかもしれない
「原始女性は太陽だった」(平塚雷鳥)ではないけど、日本では伝統的に古代以来の母権制社会だった。母親の実家で子供を養育する「妻問い婚」は、権力層では鎌倉時代まで庶民層では室町時代まで残った。
日本史での特徴のひとつは、文明世界では最も遅くまで母権制(子供を母親の実家で養育する「妻問い婚」がその典型)が残り、江戸時代でも武士以外では女性の権利が強い。その典型が婿取り。日本の伝統を少し見習うだけ。それ以前に正しい歴史教育が必要だが・・
末期的資本主義や国家官僚の収奪を克服する方法は、これら田中前長野県知事の提唱したベーシックインカム等や、エンデ提唱の「地域通貨」を私案のように新しい共生的で相互扶助的な共同体にするしかないだろう。これらの利点は持続可能なシステムである点とあらゆる分野の変革につながってる点
まるで宮沢賢治『疑獄元凶』ー『ここ』(書かれたばかりの遺稿のせいか推敲が不十分)のような昨夜の総理大臣になるという夢だった。
あれこれと非難されるという不安と”この阿呆どもが”という尊大さが入り混じった混乱状態は、チェーホフも大好きな場面設定。
政治家もなかなか大変な仕事かもしれない。役者の素養が必要
◆該当チェーホフ作品がなかなか見つからないので傑作『牡蠣』ー『ここ』
◆宮沢賢治の死の直後の地元新聞紙の記事はー『ここ』
90年代遠藤周作の代表作『沈黙』の映画化が遅いのでスコセッシ監督が訴えられた・・という映画の師匠のブログ記事はー『ここ』