詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

朝なのに、「おやすみなさい」   甘い生活 since2013から

2021年02月11日 | 

石垣りんの本を読んでいて、「三重の文学」を見つけました。

 東海テレビから依頼されて、放送が終了するときに流すことばを書くことにしたそうです。

 

   おやすみなさい

おやすみなさい。

夜が満ちて来ました。
潮のように。
ひとりひとりは空に浮かんだ
地球の上の小さな島です。

朝も 昼も 夜も
毎日
何と遠くから私たちを訪れ
また遠ざかって行くのでしょう。

いままで姿をあらわしていたものが
すっぽり海にかくれてしまうこともあるように。
人は布団に入り
眠ります。

濡れて、沈んで、我を忘れて。

私たち 生まれたその日から
眠ることをけいこして来ました。
それでも上手には眠れないことがあります。

今夜はいかがですか?

布団から やっと顔だけ出して
それさえ 頭からかぶったりして
人は 眠ります。
良い夢を見ましょう。

財産も地位も衣装も 持ち込めない
深い闇の中で
みんなどんなに優しく、熱く、激しく
生きて来たことでしょう。

裸の島に 深い夜が訪れています。
目をつむりましょう。
明日がくるまで。

おやすみなさい。

 

 私たちは小さな島なんですね。いつ地球に取り込まれてもいいわけだ。それで、私はついさっき、浅い眠りから覚めて、こうしてPCを開いているわけですね。

 この詩を朗読してもらったら、ちゃんと眠れるだろうか。うちの奥さんの声で読んでもらったら、寝れるかな。いや、最近は彼女の声を聞かなくても、22時にはコテッと寝てますから、話にならないかな。


寺山修司 Terayama Shuji - 五月よふたたび (1989)その他

2021年02月11日 | ドラマ

寺山修司 Terayama Shuji - 五月よふたたび (1989) - YouTube

...かつてプレイボーイか何かの月刊誌にあった..寺山が読者の短歌とその思いに答える形式の連載..“文芸ジム”とは...“人生ジム”そのものでもあったようにも思う..。 つまり言葉は“肉体”の経験から生まれる。そういう意味でいえば...“ボクシング ジム”も文芸も同じだと思う...。 結局..とどのつまり“言葉”なんてのは..人生がなければ生まれるものじゃない。 誰かの吐き出した本などを読んで簡単に自分の語彙が生まれるほど“共感文芸”は甘いものじゃない。 人生が空っぽだと..言葉は誰かの言い回しや慣用句の引用が関の山になる。 寺山は...穏やかな対人と裏腹に...実はその事を言いたかったんじゃないか..。 そのようにも思うんだよね。
 

寺山修司作詞+作詩集"  オムニバス (アーティスト), ザ・シャデラックス (アーティスト), 寺山修司と行く雨の郡上八幡(岐阜羽島―郡上八幡)/

"寺山修司作詞+作詩集"  オムニバス (アーティスト), ザ・シャデラックス (アーティスト), 寺山修司と行く雨の郡上八幡(岐阜羽島―郡上八幡) - YouTube

  DISC-1は、稀有な歌謡曲理解者であり続けた寺山の側面に、その作詞を通じて迫ろうというもの。つき抜けた通俗ぶりが、今聴くといっそ爽快だ。田舎者ならではの凄みが、近年の歌謡曲から絶えて久しいのを実感。詩の朗読を収めたDISC-2には、本人が詠じる短歌も。★

「寺山修司の思い出」稲田よしえさん=2016年3月5日収録

ihttps://www.youtube.com/watch?v=DseV8UG7rU

 


悪女 AKUJO(R15+)【吹替版】

2021年02月11日 | 映画

悪女 AKUJO(R15+) | 映画 | 無料動画GYAO! (yahoo.co.jp)

犯罪組織の殺し屋として育てられたスクヒ(キム・オクビン)は、育ての親ジュンサン(シン・ハギュン)にいつしか恋心を抱き、結婚する。甘い新婚生活に胸躍らせていた矢先、ジュンサンは敵対組織に無残に殺害されてしまい、逆上したスクヒは復讐を実行。しかしその後、国家組織に拘束されてしまい、政府直属の暗殺者として第2の人生を歩み始める。やがて新たに運命の男性に出会い幸せを誓うが、結婚式の日に新たなミッションが降りかかり――。※本作はR15+指定作品となります。15歳以上のお客さまはご覧いただけます。

キャスト
出演 : キム・オクビン シン・ハギュン ソンジュン
スタッフ
監督 : チョン・ビョンギル
悪女 AKUJO(R15+)
終わりなき復讐、開始。カンヌ賞賛、全世界興奮! ノンストップの衝撃。超過激ヒロインアクション、爆誕。
犯罪組織の殺し屋として育てられたスクヒは、育ての親ジュンサンにいつしか恋心を抱き、結婚する。甘い新婚生活に胸躍らせていた矢先、ジュンサンは敵対組織に無残に殺害されてしまい、逆上したスクヒは復讐を実行。しかしその後、国家組織に拘束されてしまい、政府直属の暗殺者として第2の人生を歩み始める。

報告 : 墨東病院を守れ! 都立病院をなくすな 2・5北健一さん講演集会

2021年02月11日 | 気狂い国家

投稿者: 2.5実行委員会(小泉)

報告 : 墨東病院を守れ! 都立病院をなくすな 2・5北健一さん講演集会

 

 コロナ禍のの真っ最中に小池知事による都立・公社病院全部の独法化、実質上の民営化 が進められています。都立病院で働く仲間が絶対反対だと言ってるのに、いまもやめよう としません。やってることが真逆です。

 2月5日、墨東病院のある下町の森下文化センターでこれに反対する講演集会を開きまし た。講師は、「都立病院の独法化は必要か?」と発信しているジャーナリストの北健一さ んです。コロナ下で倍以上の大きさの会場を確保して、検温、消毒、換気等十分な感染対 策のもと、70人を超える集まりになりました。

 北さんは、「都立病院独法化が意味すること」と題して、①始まった医療崩壊、その渦 中で都立・公社病院「独法化」 ②コロナ治療の現場の実態(感染の恐怖、防護具を つけての労働) ③独法の先進地(松井大阪市長VS十三市民病院労働者)「カッパで もあるだけましやろ」(松井市長) ④独法化するとどうなる「人件費が抑えられ、 もうけのための運営に変わる」 ⑤「赤字」といわれる400億円は法律に基づく正 しい収支で、都立病院は健全経営 ⑥大阪府立病院機構の内部文書「病院は福祉では ない」「看護師は生産性が低い」(から増やさない)「給与比率50%をめざす。国立は 40%台になってる」そしてほぼ達成。 ⑦入院単価はほぼ2倍に。ニューオータニ より高い59000円の部屋も。 ⑧国鉄分割民営化や郵政民営化を手がけた「あず さ監査法人」が移行準備業務を落札。 ⑨橋本徹「僕が今更言うのもおかしいが、市 長時代に改革を断行し、保健所、府立市立病院を疲弊させた…見直しをよろしく」  ⑩私たち労働者はいま、新自由主義の破綻のツケを、自らの命で払わされようとし ている。 …等々、現場の取材にもとづいてとてもわかりやすく問題点をあきらかにしました。

 講演後の質疑では、特養で働く看護師から、コロナ下の生々しい現実が語られ、独法化 されることによって食い物にされる仕組み、新自由主義下でどういう連中がどういう風に もうけるのか? 貧困層の人が医療を受けにくくなるのではないか? 安い給料で医師や 看護師がやめてしまったという話があるがどうか? 指定管理者制度から民間に売り飛ば された例があったが他にも事例あるか? 大阪ではパソナは関わっていましたか?…など など核心的な質問が出て、それへの講師からのていねいな答えで議論が深まりました。  最後に、精神病院で働く看護師の仲間から、2月21日東京各地から集まって、錦糸町 で「都立病院守れ」の集会とデモがおこなわれることが訴えられ、主催者からも参加を呼 びかけて終了しました。

 その後、2月9日には都庁前での抗議&アピール行動をおこない、都庁・小池知事、病 院経営本部への署名提出と独法化中止の申し入れを、森五輪組織委員会会長の解任、五輪 中止と医療への予算投入の申し入れとともに行いました。

都立病院をなくすな 2・21集会&デモにご参加下さい。 詳細はこちら
https://note.com/ikisaseromay/n/naa58109c763d

 

鬼畜菅義偉ー晴彩のブログから

2021年02月11日 | 気狂い国家
拡散:広島県が大英断で感染者の多い広島市の4つの区80万人に無料のPCR検査をして無症状感染者発見で感染拡大防止策に役立てる立派な計画は菅首相が潰したそうだ。で、80万市民じゃなく8000人の検査に縮小された。菅氏は憲法を読まぬのか。憲法で保障される地方自治権が踏みにじられた。断じて許せぬ!
 
確かに、広島は大規模なPCR検査を行うと聞きました。あぁ、良い事するな、と思ってました。
でも、縮小されるとも聞きました、ここでもスガか。鬼畜だな。

〔週刊 本の発見〕『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』

2021年02月11日 | 気狂い国家

毎木曜掲載・第191回(2021/2/11)

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

正義とは何か。本書は1995年から2014年の20年に及ぶ「戦後補償裁判」の記録である。この裁判で原告となった中国人戦争被害者は全体の被害者数からしたら実に僅かな数字だ。だから、私たち日本人は彼ら原告の背後に数千万の中国人戦争被害者がいることを肝に銘じて、原告たちのあまりに理不尽な被害を、本書を通じ知ってほしいと願っている。そしてこの日本という国の正義とはいったい何なのか考える機会になればと思った。

私は1989年に新宿区戸山で発見された人骨問題がきっかけで、戦後補償問題に首を突っ込むことになった。この本を読んで当時のことを思い出すとともに、知らなかった弁護団の苦労や裏話を知ることになった。

戦後補償裁判の弁護団の中心となる小野寺利孝弁護士が、94年に北京を訪れた際、ある記者から聞かされたのは、「中国人戦争被害者の訴えをきちんと受け止めない日本への危惧」だった。「日本側がこの問題に正面から向き合わず、人々の心に届く真の謝罪や補償がなされないままでは、中国の民衆の中に対日不信の巨大なマグマが蓄積されていくばかりだ」。小野寺弁護士はそれを日本の弁護士への批判と受け取った。もし戦争被害の問題に直接向き合うなら、被害者に直接会い、その要求を受け止める必要があると考えた。しかし、当時は今のように自由に中国に行くことができず、被害者に直接会うことは難しかったと思う。

そして会うことはできても、互いに意思疎通ができるかは大きな問題であったはずだ。全ての中国人戦争被害者は日本人をひどく憎んでいるだろう。案の定、被害者たちは訪ねてくる日本の弁護士を信用しなかった。そんな彼らを原告として裁判をするために、弁護士たちはどんな思いをして彼らと向き合っていたのだろうか。裁判にこぎつけるまでに、弁護団が払った努力と時間と費用は途方もないものだろう。しかし、被害者たちの心の奥から絞り出される事実の重さと、次第に弁護士に対して心を開いていく原告たちとの交流の対価としては、惜しむものではなかっただろう。ただただ正義のために弁護士たちは寸暇を惜しんで、中国へと飛んで行った。「事実を認めて、謝罪してほしい」。ある弁護士が常日頃、国に対して口にしていたことだ。

15年に及ぶ侵略の間に、犯した日本の加害の残虐性は筆舌に尽くしがたい。裁判で証言台に立つ原告の話す内容は、人々の心を抉るものだった。(写真右=平頂山事件資料館)

本書冒頭の平頂山事件は、本多勝一氏が「中国の旅」でも書いているが、1932年9月に起きた日本軍による三千人にも及ぶ住民虐殺である。写真を撮ると騙して住民を崖の下に集めて機銃掃射して殺した。証拠を隠滅するために崖を爆破し、それが発掘されたのは1970年のことだった。今では記念館としてその跡を留める。累々と続く遺骨の中に、苦痛に歪む表情を残した人骨、子供を庇った親子の骨に、今なお心が痛む。

李秀英さんは南京事件の時に、強姦されそうになって拒絶したために日本兵から銃剣で全身29か所も刺された。彼女は妊娠中で子供は流産した。その時のことはアメリカ人牧師ジョン・マギーによって映像が残っている。

南京で彼女に会ったとき、李さんは古い人民服を着て、虐殺記念館のベンチに丸くなって座っていた。いつも彼女はとても悲しい表情をしていた。その理由を私は裁判の証言で知った。失った子は戻らない。いつも他の子供を見るたびに自分の子を想い、子供が死んだために自分が生き残ったと彼女は言った。

敬蘭芝さんという女性は、鉄道で働く夫が憲兵隊に捕まり、拷問を受けた後731部隊に送られた。彼女自身も酷い拷問を受け、壮絶な過去を清算できずに戦後を生きていた。彼女のもとに日本人が訪れたのは被害から50年が経とうとしていた時だった。戦後補償運動の道を開いた一人、今は亡き渡辺登さんが敬さんを訪ねた時、「日本人とは会いたくない」と頑なに拒絶をした。その後、弁護士も何度も彼女を訪ね、いつしか心が打ち解けていく。交流が生まれ、互いに信頼し合うようになった。敬さんは731裁判の原告となって東京地裁の証言台に立ち、彼女の訴えに国側弁護人が涙を流した。

中国人慰安婦裁判もまた、その証言は衝撃的だった。被害者の女性たちはみな、ある日突然日本軍がやって来て拉致され、監禁され毎日強姦されたのだ。被害者の一人李秀梅さんは証言の途中、大声で泣き出してしまった。日本兵士から性的被害にあった女性の数は未知数だ。多くは犯され殺され、道端に捨てられた。生き残ったとしても彼女たちはPTSDを抱え、その障害は、家族にも精神的な負担を与えている。

さて、これら悪魔の所業ともいえる加害について、日本の裁判所がどう判決を下したかと言えば、本書を読んでいただきたいが、多くは「国家無答責」で棄却されている。これは戦前の憲法で天皇の国家は何をしても許されるというもの。この国に正義はあるのだろうか。

しかし、この国が正義を果たさなかったとしても、この20年にわたる戦後補償裁判が残したものは、決して小さいものではなかった。それは事実を明らかにし、広めることができたこと。日中友好が後押しされたこと。市民運動に多くの人が参加したことなどだ。

実は、遺棄毒ガス弾事件だけは戦時中のことではなく、「現在進行形の問題」である。日本軍が遺棄した毒ガス弾によって健康被害を受けた被害者の中には、多くの子供たちがいた。裁判は一審は勝ったものの、高裁、最高裁と棄却された。しかし裁判が終わった今でも、市民団体「遺棄毒ガス中国人被害者を支援する会」が支援を継続している。また、弁護団と全日本民医連が共に中国での被害者の検診活動を行う、非営利法人「化学兵器被害者支援日中未来平和基金」は、昨年3月に東京都によって「認定NPO」となった。

正義とは何か。裁判という法律論で負けたとしても、私たちには普遍的な正義を行使する力はある。戦後補償裁判によって培われた日中友好の絆は、損なわれることのないように次世代につなげていきたい。それには真実を語り継ぐことだ。語り継いで、つながって、二度と再び戦争をしないと誓うことだ。


アリの一言 : 森発言は「国益」を損ねるから問題なのか

2021年02月11日 | 気狂い国家

森発言は「国益」を損ねるから問題なのか

2021年02月11日 | ジェンダーと日本社会

    

 東京五輪組織委員会は12日、臨時の理事・評議員合同会議を開き、森喜朗組織委会長の女性蔑視・差別発言について議論します。しかしうその場では森氏の「責任・進退」問題は議論の対象にならないと報じられています。

 冗談ではありません。組織委員会がまずやらねばならないのは、森氏の責任を明確にして「会長罷免」を決議することです。それ以外にありません。理事・評議員は全員、自らの見解を明確に述べ、「森罷免」を決議すべきです。

 問題は森氏だけではありません。

 小池百合子都知事は、森氏の差別発言で多くのボランティアが辞退していることについて、「悲しい、本当に悲しい」(10日)などとまるで被害者のような顔をしていますが(写真右)、本当に「悲しい」のなら、森氏に「会長を辞めるべきだ」と明言すべきでしょう。それをしないで、結果森氏をかばい続けながら、あたかも森氏を批判しているかのようなポーズをとるのは、醜悪なスタンドプレイと言わねばなりません。

 さらに見逃せない発言があります。それは、菅義偉首相と麻生太郎財務相(副首相)の次の発言です。
 「(森発言は)国益にとって芳しいものではない」(菅氏、8日の衆院予算委員会)
 「(森発言が)国益に沿わないことは、はっきりしている」(麻生氏、9日の衆院予算委員会)

 菅氏や麻生氏だけではありません。森氏の辞任を要求している野党側もこう言っています。
 「オリンピック理念に反する発言をした人がトップにいるままでは国益を損なう」(10日のNHKニュース)

 政府、与野党ともに口にする「国益」。いったい「国益」とは何ですか?
 彼らが言いたいのは、森氏の発言は「五輪憲章」に反しており東京五輪開催にとってマイナスになる、それは「国益」に反する、ということでしょう。

 そもそも「国益」すなわち「国家の利益」とは、国家主義の概念であり、人民主権とは相容れません。そのうえ、森発言で「国益」を持ち出すのは、森発言の本質を二重に逸脱するものと言わねばなりません。

 第1に、森発言が重大な問題なのは、「五輪憲章」に反しているからではありません。それは世界人権宣言(前文など)や女性差別撤廃条約(第1条)、さらに日本国憲法(第14条)などに明白に違反する人権侵害・女性差別だから問題なのです。
 森氏は公然と差別発言をおこなったうえ、反省するどころか開き直っています。だから直ちに責任をとって辞める必要があるのです。「五輪憲章」に反していることも明らかですが、「五輪憲章」があってもなくても問題であり、絶対に許してはならないのです。

 第2に、東京五輪開催にマイナスになるから「国益」を損ねるということは、東京五輪を「国益」の視点から強行しようとしていることの証明です。本来、オリンピックは「国家の利益」のためにやるものではありません。それは「五輪憲章」でも明白です(建前にしても)。

 しかし安倍晋三前首相や森氏はじめ政府・自民党は、東電原発事故の重大性を隠ぺいし、自民党政権の浮揚を図り、さらに天皇徳仁の国際デビューの場をつくるという、文字通り「国家の利益」のために、その政治的思惑のために東京五輪を誘致し、コロナ禍の中でも、あくまでも強行しようとしているのです。

 菅氏と麻生氏の「国益」発言は、こうした政権の思惑を露呈したものです。「野党側」がそれと同じ発言を行っていることは、あきれるばかりです。野党の女性議員らは白い服で登院し「抗議の意思」を示しましたが、そのまえに森発言の本質は何かを自ら胸に刻むべきでしょう。

 メディアが一貫してそうであるように(6日のブログ参照)、森発言を「五輪憲章」に反し東京五輪の障害になるから問題だとする論調が流布しています。しかし、それは的外れであるとともにきわめて危険です。森氏が辞めれば問題がなくなり、東京五輪への障害はなくなった、という構図がつくられかねないからです。

 「国益」のための東京五輪などきっぱり中止すべきです。そして森発言の本質を明確にし、森氏と、森氏をかばう者たちの責任を徹底追及し、差別を許さない社会をめ目指すべきです。