●第52回 2021年2月13日(毎月10日)
『正義の人びと』と『狼をさがして』
俳優座公演『正義の人びと』を観た。原作戯曲はアルベール・カミュの手になるが、中心的なテーマの種本は、サヴィンコフの『テロリスト群像』である(日本語初訳は1967年、現代思潮社。現在は岩波現代文庫に上下2巻)。帝政ロシア末期、圧政の象徴たる大公の暗殺を企てた人びとの物語である。ある革命集団の戦闘団に属し、大公への爆弾投擲を志願した詩人カリャーエフは、大公が乗る馬車に幼い甥と姪が同乗しているのを見て、任務を放棄する。「子どもを殺すことは名誉に反し」、そして「名誉こそは貧しい人間の最後の富だ」からだ。だが、その二日後、カリャ-エフは再度大公の暗殺を試みてこれに成功して獄に繋がれ、間もなく処刑される。不正を憎み、社会的な正義を求める人びとが展開する「目的と手段」をめぐる討論、言葉を換えれば、「目的は手段を浄化するか」という普遍的なテーマが論議される箇所が、戯曲としては読み応え、芝居としては見応えのあるところである。もちろんのことだが、王とか大統領とか首相とか、抑圧的な体制の象徴的な存在とはいえ、たったひとりの人物を殺害することが体制そのものの変革とどう結びつくのかという問いかけも、そこには生まれなければならないだろう。例えば、次第に強まる日本による韓国支配の象徴・伊藤博文を、1909年にハルビン駅頭で襲撃した安重根の思想と行動を具体的な参照例とするような形で。
着目すべきことは、もう一点ある。カミュがこの戯曲を書いたのは1947年(フランスでの初演は1949年)という。47年と言えば、今回の新型冠状病毒肺炎の流行下で日本でもよく読まれているという『ペスト』の原著が刊行された年でもあるが、フランスがナチス占領から解放されてわずか2年後のことでもある。ここで描かれているペストとはナチスの暗喩であり、登場人物たちの連帯・反抗の姿は、ナチスとの戦争、ナチスへのレジスタンスのメタファーにほかならないとする読み方には十分な理由がある。同時に、それは、フランス国内に実在した対独協力者たちを非難し、告発し、処罰するという動きが活発に行われていた時期でもあった。カミュはこの時期、『ペスト』や『正義の人びと』を通して、抑圧と反抗・戦争と抵抗にまつわる諸問題はもとより、抵抗の裡にある屈従や、反抗や抵抗のあるべき姿について、懸命に考えていたのだと推測することができる。ここから派生する重要な諸問題については、今後も手放さずに考え続けることにしたい。
そのためにも紹介しておきたい映画が、間もなく公開される。韓国のキム・ミレ監督の『狼をさがして』(2020年)である。彼女の作品は、日本の日雇い労働者を描いた『ノガタ(土方)』(2005年)や、韓国の女性労働者の職場占拠運動を描いた『外泊』(2009年)が日本でも自主公開されてきた。不当な大量解雇に抗議して立ち上がった非正規・女性労働者の闘いである後者については、関連する冊子『外泊外伝』も出版されている(現代企画室、2011年)。最新作『狼をさがして』の原題は『東アジア反日武装戦線』という。彼女は釜ヶ崎で取材していた時に出会った一労働者から「反日」の初心や行動を聞き、深い衝撃を受けた。1960年代初頭から80年代半ばまで、ほぼ四半世紀のあいだ軍事政権下にあった韓国では、70年代半ばの「反日」の思想と行動が詳しく報道されることはなかった。1964年生まれのキム・ミレ監督は、年齢的にいっても、その出来事を同時代的に捉えることはできなかっただろう。彼女は粘った。その後、作業の中絶期間を含めて長い年月をかけて、刑期を終えた当事者や周辺の救援者からの聞き取り取材と、関連する土地のロケなどを繰り返して、74分間の作品にまとめ上げた。韓国では昨夏公開されて、大きな反響を呼んだ。日本では、来る3月27日、東京・渋谷のイメージフォーラムを皮切りに、順次各地で公開される。
私も出演している映画なのだが、あえて紹介した。冒頭で触れたカミュの『正義の人びと』や『ペスト』とも通底する、世界に普遍的な問題がそこでは模索されているからだ。
この映画については、以下をご覧ください。→http://eaajaf.com/