毎木曜掲載・第193回(2021/2/25)
「東尋坊」から今の日本が見えてくる
『ルポ 東尋坊―生活保護で自殺をとめる』(下地毅 著、緑風出版、2400円+税)評者 : 志水博子
著者は朝日新聞の現役記者である。著者を知らず本書をお読みになった方はおそらく驚かれるに違いない。これはジャーナリストとしての取材の域を超えている、と。だが著者をよく知る人にはさもありなん、まさに下地記者らしいと思えるに違いない。大阪で労組運動や市民運動に携わっている者で“下地記者”の名を知らない者はいないだろう。「上」から言われた記事を書くためにだけ取材をするその辺の記者とはまるで違う。著者にとっては、取材することとは自ら“その問題”にかかわることであり、その姿勢は一貫してして変わらない。よって信頼感は半端じゃない。だから、著者が「東尋坊」を取材するなら、それはそのまま「東尋坊の人」とかかわることになるというのは、実に腑に落ちる話というわけである。
「東尋坊の人」と著者は呼ぶ。福井にいた頃、東尋坊で自殺防止・保護活動をしている「NGO月光仮面」と半ば並走するように取材でかかわった人々のことである。先に腑に落ちると書いたが、それでも本書を読みながらそれは並大抵のことではないとつくづく思う。
3年ほど前、著者は講演会で「東尋坊の人」について語った。“彼らは死にたくないんです。死にたくないけれども、どうしようもなくなって、「死ぬしかない」と思い詰めて、来てるわけです”と。死にたいから東尋坊へ行くと思っていた私は目から鱗が落ちた思いがしたが、本書を読めばそのことがよくわかる。しかし、保護した後が大変なのである。社会に追いつめられて東尋坊にやって来た人が「生きる」ことは生半可なことではない。
2010年から東尋坊で自殺防止活動を行っている「NGO月光仮面」が使うのは「日本国憲法」と「生活保護法」である。東尋坊に来る人の話を聴くだけでは自殺を思いとどまらせることはできない。差し当たって必要なのは住む場所と日々の食事というわけだ。月光仮面、著者、そしてかつて保護されたマサキやマリやルイが、週2回東尋坊をパトロールする。ヒロシ、オサムも登場する。貧困と、迷惑をかけられないという「美徳」が、彼・彼女らを東尋坊に追い込んだ要因としてある。
*「東尋坊」は越前加賀海岸国定公園にある国の天然記念物
そしていよいよ中盤からが本書の要である生活保護についての「攻防」が描かれている。4章にはこうある。東尋坊に来る人は例外なく金がない。漏れなく借金はある。よって月光仮面は、憲法25条と、それと関係に深い生活保護法第2条「すべての国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護を、無差別平等に受けることができる」を使う。(念のため、「国民」とあるが、生活保護は在日外国人も受給の権利はある)。
ところが、行政の窓口は、水際作戦ばりの壁を打ち立てて来る。しかしそればかりが問題ではない。「東尋坊の人」自身の心に巣食う生活保護に対する忌避感もまたハードルとなる。実際、役所の窓口での攻防はさすが臨場感がある。さらに生活保護が認定された後も利用者に対する締め付けがある。役所とのたたかいはとても“素人”に太刀打ちできるものではない。6章は、国会でも問題となった扶養照会について詳しい。政治による家族信仰が強まる今、絆至上主義の厄介さは本当にどうにかしなければならない。著者は提案する、「(役所の)窓口で話を聞かないことにしてはどうか」と。それほど申請者に対する行政の無理解が際立っているということだ。
就労の件では著者の怒りと悲しみはさらに際立つ。「『仕事をしたい』ともがく姿は、『生活保護をもらえてラッキーと考える怠け者』という風評どおりであったならば少しは救われるだろうにと思うほど痛々しい」と。ただこんな場面もある。「遊歩道を歩く10人はみんな生活保護に支えられている。東尋坊に来たのに、生活保護とめぐりあえたことで生きている人びとだ。こんなにも多くの命を救えるのだという生活保護の力を、この集団の壮観は表現している」。本書の白眉である。
とはいえ、現行の生活保護制度は大いに問題がある。先日の生活保護減額取り消し大阪地裁判決をはじめ、今後も制度や運用については考えていかなければならないだろう。だが、それだけでは貧困や家族や社会に追いつめられて東尋坊にゆく人は減りはしないかもしれない。一番の問題は貧困を解決しない政治にある。それを追及していくとともに、私たちは「死にたくないのに生きられない人」のことをもっと知らなければならない。本書は「東尋坊の人」たちが見事に立ち現れている。ぜひとも読んでほしい一冊だ。
*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子・志水博子、ほかです。