東日本大震災で巨大地震の可能性を予測できずに甚大な被害を受けたことを教訓に、南海トラフ地震に備えるため海底観測網の整備が進んでいる。専門家が震源域の半分で先に起きる「半割れ」地震を警戒するなか、海洋研究開発機構は紀伊半島沖で地殻変動を捉えるセンサーを設置し、もう片方の震源域での半割れの時期などを予測するための観測網の整備を進める。政府も観測網を拡充する計画。震災の経験を基に「南海トラフ地震包囲網」の整備を急ぐ。
「南海トラフ沿いで異常な現象が確認された場合」。2018年12月に国の中央防災会議が発表した資料にはこんな表現が何度も出てくる。
「異常な現象」として主に想定されるのが半割れだ。震源域の東西どちらかでマグニチュード(M)8級の地震が先に発生し、時間差でもう片方の地域でも地震が起きる。昭和の東南海、南海地震では2年の時間差で半割れが発生し、紀伊半島沖から東と西へそれぞれ岩盤が破壊された。
南海トラフ地震での半割れをいかに察知するかが課題だが、現在の技術ではいくら観測網を整備しても地震発生を予測するのは最初の半割れを含めて難しい。このため研究者らは当面、最初の半割れ後に海底の地殻がどう動くかを観察し、次の半割れの前兆をつかむことに力を入れる。
半割れ後のゆっくりとした地殻変動を捉えるには、太平洋沖の広い範囲でセンサーなどの観測網が必要だ。だが現状では「海底で起こる地殻変動の様子をリアルタイムで捉える観測網が不足している」(海洋機構の小平秀一・地震津波海域観測研究開発センター長)。
海洋機構は19年度から、紀伊半島沖のわずかな地殻変動をリアルタイムで捉える観測網の整備を始める。掘削ロボットを海底に沈め、海底下に数十メートルの穴を掘る。ひずみ計や傾斜計、水圧計などのセンサーを穴の中に置く。センサーはケーブルで陸上とつなぎ、地殻変動の様子を監視する。
ロボットを海底に着地させ、数十メートルの穴を掘ってセンサーを埋設する(海洋研究開発機構提供)
まず紀伊半島沖の1~2カ所で設置し、将来は計10カ所以上に増やす方針だ。
観測網ができれば、蓄積した地殻変動のデータを基に平常時と比べることでわずかな異常を早く察知できる。最初の半割れが起きた後に、もう片方での大まかな発生時期や規模などの予測に活用できる。時期が分かれば周辺住民の避難や警戒に役立てられる。
小平研究開発センター長は「地殻変動の詳細なモデルを作れれば、今後の変化を予測できる可能性がある」と話す。観測技術の向上で、将来は最初の半割れの前兆をつかめるようにもなるかもしれない。
東日本大震災後、地震の揺れをいち早く捉えるために海底観測網が整備されてきた。東北太平洋沖で整備が進んだ「S―net(エスネット)」は青森県沖から房総半島沖までをカバーする、世界でも例をみないクラスの巨大海底観測網だ。
震災当時はそもそも海底観測網がなく、津波の大きさを正しく推定できなかったことなどを教訓にした。南海トラフ地震の震源域でも紀伊半島沖と徳島沖で観測網「DONET(ドゥーネット)」が敷かれた。
ただ、これらの観測網は地震の揺れや水面の変動などを即座に伝えるもので、発生を予測できない。年間で数センチしかプレートが動かない南海トラフ周辺のような地殻変動は捉えにくい。現在は海上保安庁が船上から地殻の様子を数カ月おきに確認しているが、リアルタイムの観測ではない。
西日本の広範囲に及ぶ南海トラフ地震に備えるには紀伊半島沖の観測網だけでは十分ではなく、政府も危機感を抱く。文部科学省は19年度からの5年間で、現時点では観測網が全くない四国~九州の海底面で地震津波観測網「N―net(エヌネット)」を整備する。海洋機構は将来、N―netでも地殻変動の観測を実施したい考えだ。
観測網の整備は時間との戦いだ。南海トラフ地震が今後30年間で起きる確率は70~80%と高い。一連の観測網は整備を終えるまでに最短で5年はかかる。地震調査研究推進本部の平原和朗・調査観測計画部会長によると、異常時の見極めには整備後さらに5年分のデータ蓄積が必要となる。本格稼働まで約10年かかる計算だ。平原氏は「地震発生に間に合ってくれればよいが」と気をもむ。
地震の発生前後の地殻変動の傾向がつかめれば、行政が防災や避難計画などをまとめるときの有効な判断材料になる。南海トラフ地震でどれだけ減災を実現できるか。東日本大震災で失った信頼を科学技術が取り戻すための挑戦でもある。