村山知義『現在の芸術と未来の芸術』(本の泉社 2002年)を読んだ。
きっかけは週刊読書人の紅野敏郎・早大名誉教授の記事(2006年6月2日号)で本書を知ったことである。本の泉社のものは1924年11月長隆舎書店から発刊された原本の復刻版である。
1923年初めにベルリンから帰国した村山は3月「過ぎゆく表現派」、5月「触覚主義と驚異の劇場」「アレキサンダー・アーチペンコ」と精力的に論文を書き始める。24年7月の「構成派批判」まで3か月~半年ごとに書いた7本の論文とカンディンスキーの詩の訳文を集めて11月に出版したのが本書である。
この時期、ウィキペディアによれば「23年5月、自宅の上落合にて個展「村山知義、意識的構成主義的小品展覧会」開催。7月の初め、門脇晋郎、大浦周蔵、尾形亀之助、柳瀬正夢らと前衛美術団体マヴォ結成。7月28日から8月3日まで、マヴォ第一回展覧会が浅草の伝法院にて行われる。24年7月機関誌「Mavo」創刊。9月1日、関東大震災で都市機能は壊滅するも、それが契機で銀座にマヴォスタイルの理髪店やバーが建築されることになった。10月、映画館葵館の緞帳制作」と日本のダダとしてすさまじい行動をしている。
村山は、カンディンスキーを援用して美術史を次の3期に分ける。
1期 推移的なものを具象的なものに固定しようとした写実主義の時期
2期 精神的要素が漸次優勢になる印象派の時期
3期 純芸術の時期(表現派、立体派、ダダイズム、構成派)
(私の)意識的構成主義についてはもっと多くの用意をもって、適当な時期に「宣言」を発表しようと思っている、と最後の論文「構成派批判」を締めくくっている。巻頭に掲げられた、滞独中につくった「あるユダヤ人の少女」「上靴の付いたコンストルクシオン」、帰国してから制作した「チェザーレ・ボルジアの祝祭」「名付け難き構成」など10点の作品の写真がその具体的な提示と思われる。
わたくしには、23年8月に書かれた「カンディンスキーの劇および劇論」の下記のような部分が印象に残った。
「幕上がる。舞台は暗青色の薄明である。はじめは白っぽいが段々強い暗青色となる。しばらくすると舞台の中央に小さな一点の光が見えはじめる。
(略)
音楽は華やかで暴風的である、そしてしばしばaとhとasが繰返される。
(略)
この瞬間に背景が突然きたならしい褐色になる。そして岡はやはりきたならしい緑色となる。岡のちょうど真ん中に一つの不明瞭な斑点が生ずる。それは急にはっきりしたり、と思うとたちまち消えてしまったりする。それにつれてぎらぎらした白い光は断続的にだんだん灰色になってゆく。
(略)
しかし音楽では二つの音がまだ響き続けている。同時に左から沢山の人間が形をなさない眩い長い着物(一人は全く青、次は赤、三人目は緑という風で、ただ黄色だけが欠けている)を着てやってくる。その人たちは手に非常に大きな白い花を持っている。その花は岡の上の花に似ている。
ちょっと野田秀樹が85年ころ上演した「白夜の女騎士」を思い起こさせる。
巻末には婦人之友社から村山が「編・装・画」を担当し出版したロビンフッド、リップヴァンウィンクルなど6巻のお城シリーズ(各巻50銭)の広告がある。他社の本を巻末広告に入れるのは、現在とずいぶん慣習が異なる。
長隆舎書店はネットで調べると、萩原恭次郎『死刑宣告』、斎藤秀雄『蒼ざめた童貞狂』(いずれも1926年)、野村胡堂『都市覆滅団』 『傀儡城』(いずれも1942年)を発行している。住所は芝区今入町21とある。
きっかけは週刊読書人の紅野敏郎・早大名誉教授の記事(2006年6月2日号)で本書を知ったことである。本の泉社のものは1924年11月長隆舎書店から発刊された原本の復刻版である。
1923年初めにベルリンから帰国した村山は3月「過ぎゆく表現派」、5月「触覚主義と驚異の劇場」「アレキサンダー・アーチペンコ」と精力的に論文を書き始める。24年7月の「構成派批判」まで3か月~半年ごとに書いた7本の論文とカンディンスキーの詩の訳文を集めて11月に出版したのが本書である。
この時期、ウィキペディアによれば「23年5月、自宅の上落合にて個展「村山知義、意識的構成主義的小品展覧会」開催。7月の初め、門脇晋郎、大浦周蔵、尾形亀之助、柳瀬正夢らと前衛美術団体マヴォ結成。7月28日から8月3日まで、マヴォ第一回展覧会が浅草の伝法院にて行われる。24年7月機関誌「Mavo」創刊。9月1日、関東大震災で都市機能は壊滅するも、それが契機で銀座にマヴォスタイルの理髪店やバーが建築されることになった。10月、映画館葵館の緞帳制作」と日本のダダとしてすさまじい行動をしている。
村山は、カンディンスキーを援用して美術史を次の3期に分ける。
1期 推移的なものを具象的なものに固定しようとした写実主義の時期
2期 精神的要素が漸次優勢になる印象派の時期
3期 純芸術の時期(表現派、立体派、ダダイズム、構成派)
(私の)意識的構成主義についてはもっと多くの用意をもって、適当な時期に「宣言」を発表しようと思っている、と最後の論文「構成派批判」を締めくくっている。巻頭に掲げられた、滞独中につくった「あるユダヤ人の少女」「上靴の付いたコンストルクシオン」、帰国してから制作した「チェザーレ・ボルジアの祝祭」「名付け難き構成」など10点の作品の写真がその具体的な提示と思われる。
わたくしには、23年8月に書かれた「カンディンスキーの劇および劇論」の下記のような部分が印象に残った。
「幕上がる。舞台は暗青色の薄明である。はじめは白っぽいが段々強い暗青色となる。しばらくすると舞台の中央に小さな一点の光が見えはじめる。
(略)
音楽は華やかで暴風的である、そしてしばしばaとhとasが繰返される。
(略)
この瞬間に背景が突然きたならしい褐色になる。そして岡はやはりきたならしい緑色となる。岡のちょうど真ん中に一つの不明瞭な斑点が生ずる。それは急にはっきりしたり、と思うとたちまち消えてしまったりする。それにつれてぎらぎらした白い光は断続的にだんだん灰色になってゆく。
(略)
しかし音楽では二つの音がまだ響き続けている。同時に左から沢山の人間が形をなさない眩い長い着物(一人は全く青、次は赤、三人目は緑という風で、ただ黄色だけが欠けている)を着てやってくる。その人たちは手に非常に大きな白い花を持っている。その花は岡の上の花に似ている。
ちょっと野田秀樹が85年ころ上演した「白夜の女騎士」を思い起こさせる。
巻末には婦人之友社から村山が「編・装・画」を担当し出版したロビンフッド、リップヴァンウィンクルなど6巻のお城シリーズ(各巻50銭)の広告がある。他社の本を巻末広告に入れるのは、現在とずいぶん慣習が異なる。
長隆舎書店はネットで調べると、萩原恭次郎『死刑宣告』、斎藤秀雄『蒼ざめた童貞狂』(いずれも1926年)、野村胡堂『都市覆滅団』 『傀儡城』(いずれも1942年)を発行している。住所は芝区今入町21とある。