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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

中村一成が語る朝鮮学校裁判

2017年03月01日 | 集会報告
2月25日午後、東京朝鮮高校生の裁判を支援する会第4回総会&中村一成さん講演会が、文京区民センターで開催された(参加230人)
裁判のほうは12月13日の第12回口頭弁論で文科省の役人2人の証人尋問を行い、4月11日に結審を迎える。おそらく7月ごろ判決が出るので山場である。
中村一成さんの講演は、京都朝鮮学校襲撃事件(事件は2009―2010年、14年12月最高裁で勝訴確定)、徳島県教組襲撃事件(事件は2010年、16.11月最高裁で勝訴確定)、大阪補助金裁判(17年1月地裁敗訴、高裁に控訴中)の3つの裁判の話だったが、原告の思いとオモニたちとの交流が生き生きと伝わってきた徳島県教組襲撃事件を中心に報告する。
中村さんは1969年生まれ、1994年毎日新聞に記者として入社、長く司法記者を務めたあとフリーライター。著書に『ルポ 思想としての朝鮮籍(岩波書店2017年)、『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して』(岩波書店、2014年)など。

ジャーナリストからみた朝鮮学校裁判
  中村一成(いるそん)さん(フリーライター)

うれしかった徳島裁判・祝勝会の写真を前に語る中村さん
徳島県教組襲撃事件は、2010年4月14日に在特会メンバーら19人が教組書記局の事務所である教育会館に乱入し、約13分女性の書記長に「売国奴」「詐欺募金」「腹を切れ」などと拡声器で罵声を浴びせ、肩を小突くなど暴行を加えた事件だ。在特会は、あしなが育英会への寄付として集めたのに教組が連合を経由して朝鮮学校に寄付したのは「詐欺」だと抗議した。しかし、もともと公式サイトで「あしなが育英会奨学金への寄付のほか、連合を通じて「外国籍・病気・障害のある子どもの支援」などを行うNPO団体等へ寄付をする」と公表していた。
発端は、義家弘介・自民党参議院議員が3月18日に国会でこのカンパを取り上げ、翌日の産経新聞が義家発言に加え徳島県教組からの朝鮮学校寄付を掲載し煽るいつものパターンである。それから1か月後の襲撃だった。
ヘイトスピーチはエスカレートする。京都朝鮮学校では事務所のなかにまでは入ってこなかった。またマイノリティ当事者への暴力にとどまらず、支援者へ暴力をふるった。ヘイトは最終的にジェノサイドに発展するから止めないといけないとよくいわれる。
この書記長は教員生活の大半を被差別を含む地域で送り、「差別はあかん」「差別から目をそらしてはいけない」と考えた。そして自分の学校のなかで起きた朝鮮人差別問題をきっかけに、90年代に松山の四国朝鮮初中級学校との交流を始めた。「この社会で同じように生きていく子どもなのに、日本の学校と朝鮮学校の間でこんなに格差があるのはおかしい」と素直に考えたことがカンパのきっかけになった。
すぐに8人を刑事告訴し、6人が起訴されたが、もっとも悪質な一人は外れ、また全員名誉棄損は外された。検察が「穏便に」すまそうとしたからだ。
事務局長は心的外傷で体調を崩した。さらに同じ教育会館に入室している他団体で「教組がいらんことをするから襲われた」という人も現れた。そうした苦境のなか、支えになったのは京都事件裁判をかかさず傍聴して聞いたオモニたちの「差別に負けてはいけない」という言葉だった。
その後、2013年に民事訴訟を起こしたが2015年3月に出た徳島地裁判決はひどいものだった。「攻撃の主たる対象は組合及び書記長」とし人種差別は認定しなかった。また1人には消滅時効を認定した。
控訴審は、一から出直した。まずそれまで5人だった弁護団に、京都事件の弁護団が加わり46人の大弁護団になった。
女性差別の観点や後遺障害も追加した。また人種差別撤廃条約を読み込み、直接の相手がマイノリティであってもなかっても「目的又は効果を有するもの」という人種差別の定義に着目した。これが支援者である日本人に対しても、人種差別と認定される決め手となった。
また、事件のため、もし松山の小規模な朝鮮学校が在特会に襲われたらとの恐れから途絶えていた交流を、弁護士の「これ、やらんといかんやろ」という助言で、6年ぶりに再開した。すると子どもやオモニが励ましてくれた。そして事務局長は「わたしはもう一人じゃない」ということを実感した。
2016年4月に出た高松高裁判決は画期的なものだった。原審を覆し、賠償金額以外は完全勝訴だった。まず支援者へのヘイト暴力を人種差別とみなす国際的にも画期的な判断だった。「支援活動」への攻撃を裁判所が「差別」と指弾した。さらに「女性差別」も認定し、「複合差別」を認定させる第一歩となった。
この裁判で原告の原動力となったのは「自分の言葉を裏切りたくない」「ひどい社会のなかで、私なりに民主主義を守る闘いをしたい」、さらに「回りから責められたとき『いらんことしたかな』と一瞬でも思った自分にケジメをつけたい」というものだった。
判決後、焼肉屋でやった涙の祝勝会で、書記長は「ここで出会った人たちがわたしの人生を豊かにしれくれた」と語った。オモニ会の人は口々に「日本の人と一緒に泣ける日が来るなんて思ってもみなかった」「日本で生きていていいんだって初めて思った」「差別に慣れっこになってしまった私たちに新しい世界をみせてくれた」と興奮して述べた。
その後、2016年11月に最高裁でこの判決が確定した。

京都事件裁判の大阪高裁判決で民族教育への攻撃が認定され、攻撃の結果朝鮮学校の民族教育業務を行う社会環境が破壊されたこと、さらに民族教育を行う学校としての社会的評価や人格的価値が損なわれたことが認定された。
引き続き徳島事件高裁判決により、民間レイシストの民への攻撃・差別は勝訴が定着傾向にある。同じことを立法や行政がやっているので、次は官への拡大だが、1月の大阪補助金訴訟(一審)ではいったん流れが止められた。
京都も徳島も、一人が本気になったことからすべてが始まった。京都では一人の保護者(大学教員)の「法律に則って闘う」「いまやらなかったら歴史に恥ずる」との決意から始まった。徳島では「自分の言葉を裏切りたくない」という思いからだった。本気は他人に伝染(うつ)る、そして結果につながる。
京都や徳島の人たちは「次は無償化の人たちの番だ」「この人たちが笑わないといけない」と、口をそろえていっていた。
いまの新聞記者やメディアについて一言。大阪補助金裁判判決時の記者会見で、出た質問は朝鮮学校の肖像画と迎春公演のこどばかりだった。それも産経・読売ではなく朝日・毎日の記者の質問である。学校が資料を出さなかったことが敗訴の理由になると思い込んでいるようだった。この記者たちは2002.9.17(小泉訪朝)以降の記者で、国号を無視し初出から北朝鮮と書く時代に記者になり、朝鮮学校、朝鮮総連を特別扱いすることがデフォルトになった状態で記者活動を行ってきた。原理原則を前にして個別のことを考えることをしない記者たち。これだけ大きな問題なのに、新聞には解説記事が掲載されなかった。さわることに躊躇する空気が表れている。

スンリ基金への支援金贈呈
総会では、共同代表が「結審目前なので、民族教育の火を21世紀に消さないという思いを裁判にぶつけ、すべての子どもたちが等しく教育を受ける権利を持っていることを明らかにさせていきたい」と述べた。また、4月11日の結審には多数が裁判の傍聴に参加すること、ヨンピル通信による社会へのPR、さまざまなグッズや書籍を使い、朝鮮学校の実態を知ってもらう地域からの運動、などを活動方針にすることが決まった。
また伊藤朝日太郎弁護士の裁判の現状解説や裁判支援のための「スンリ(勝利)基金」への支援金100万円贈呈が行われた。

これより1週間ほど前の2月17日、末広町の3331アーツ千代田で「南北コリアと日本のともだち展」(主催:南北コリアと日本のともだち展実行委員会)をみた。これは2001年に始まった東北アジア地域の平和を願う絵画展で、日本、中国(延辺朝鮮族自治州の州都・延吉)、朝鮮、韓国の4か国の子どもの手作りの凧と家族や生活を描いた絵が並んでいた。17-19日の3日間の開催で、大学生のトークや凧づくりワークショップのイベントもあった。
海外の子どもたちへ感想メッセージを届けるプログラムもあり、わたしは平壌の小学生に「日本の凧とは真ん中に穴が開いているところが違うけれど、やっている遊びは同じですね。近くの国だからかな?」と書いた。
また平壌外国語大学の大学生と日本の大学生との年に一度の交流もここ5年続いている。昨年8月末には、朝鮮、日本の大学生各10人ほどが平壌で9日間交流した。
会場でスタッフの大学生の話を少し聞くことができた。朝鮮には協力校、韓国にはパートナー団体があり、子どもたちの絵を集めてくれるそうだ。日本では、民族学校の生徒の絵は集められるが、普通の学校に通う日本人の子どもにアプローチすることが苦労だそうだ。しかし悪化する環境のなかで、こうしたイベントを16年も続けていること自体がすばらしいチャレンジだと思う。

なお会場の3331アーツ千代田は、統廃合した千代田区立練成中学(現在・神田一橋中学)の校舎を使い2010年にオープンしたギャラリー、ショップ、カフェなどのアートセンターである。以前西新宿の旧・淀橋第三小学校を使い、演劇やバレエ、ダンスなどの文化・芸能施設として利用する芸能花伝舎をみたことがあるが、こういう使い方もあるのだと思った。

☆3月8日「南北コリアと日本のともだち展」で1か所修正
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