3月20日(火)夜、港区立勤労福祉会館で「まもなく開館!「植民地歴史博物館」3.20集会」(主催:「植民地歴史博物館」と日本をつなぐ会)が開催された。
この博物館は韓国の民族問題研究所が中心になり、2007年に建設計画を発表し、11年に建設委員会発足、17年2月に用地・建物の契約が締結された。
民族問題研究所は、植民地時代の「親日派」について研究を進め、強制動員真相糾明特別法の制定や強制動員被害者の補償訴訟支援など、植民地主義の克服のために活動を進めてきた研究団体だ。
一方、日本でも「植民地歴史博物館」と日本をつなぐ会が2015年秋から建設賛同金募集を開始し、17年4月に目標の500万円を突破、11月には1034万円を達成した。
報告とあいさつ
李煕子(イ・ヒジャ)さん(太平洋戦争犠牲者補償推進協議会共同代表)
わたくしがこういう活動を始めたのは40代後半だが、いま70代になる。その間のみなさまとの交流で人情が厚くなっていることを感じる。それが活動の力になっている。
昨年、民族問題研究所が博物館の建物を購入し、年末に引っ越した。ただこの冬はたいへん寒くリニューアル作業が遅れたが、春になり本格的に動き始めた。
歴史博物館は、民族問題研究所の資料によるコミュニケーションの場であり、交流の場であり、痛々しい歴史を後世に伝える場だ。資料は歴史のなかで眠るものでなく、生き返って皆さんと共有できると思う。皆さんとともにやることで意味がある。今後は会議室の心配はないし、いっしょにお茶も飲める。この建物のなかですべて解決できる。いままで皆さんにいただいた友情に恩返しができるようがんばる。今後もずっと靖国裁判を続ける。何より、お元気で再会できることを祈っている。
植民地歴史博物館建設の現状と見通し
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金丞垠(キム・スンウン)さん(民族問題研究所資料室長)
植民地歴史博物館が入る建物は、地下鉄1号線ソウル駅と南営駅の間、ソウル市龍山区青坡路にあり、地下1階、地上5階で総面積は1570.6平方mある。
地下1階は大半が駐車場だが、一部を倉庫とし販売用の書籍などを保管する。
1階は企画展示ができるギャラリーで、その他、公演・講義ができる小舞台のある文化スペースとカフェがある。各階の現状は、前日の3月19日に撮影した動画で放映され見ることができた。
2階がいちばん広く(285平方m)常設展示場だ。展示は4つのテーマと3つの特別スポットから構成される。
1つ目は、日帝の侵略、そしてどうやって植民地になったか、統治のためにやってきた人、苦しんだ民衆を明らかにする。資料(遺物)を並べるだけでなく、1919年3月10日に自分が独立運動に参加し、警察の取り調べを受ける小さい体験スペースもある。
2つ目は、戦時下の朝鮮人の生きざま、生活だ。強制動員された被害者の証言や辻子(ずし)実さんからの寄贈品によりどんな生活だったか明らかにする。実態を示す展示ならあるが、植民地統治に協力した人の半生の展示はほかにはない。
侵略で奪われたものだけでなく、支配を支えた親日派の歴史も必ず展示する。韓国において親日の歴史をどう清算するかは、これから民主主義的な価値を拡大させることに直接つながる問題だからだ。親日派と同時代に独立運動をした人もいる。2人の人生を比較させ、意図的に狭い空間で、いまの時代にわれわれはどう生きるべきか、未来世代に考えさせる企画展示を考えている。民族問題研究所が市民の力により18年かけてつくった親日の歴史人名事典のアーカイブをキャビネットにして閲覧できるようにする。このアーカイブは研究員だけでなく、韓国の市民の力から生まれたものだ。
1945年の解放後、親日の歴史を清算できず後遺症として軍事独裁に入った痛々しい歴史を乗り越えて、韓国と日本の市民が連帯し続けた市民の歴史が最後に展示される。
過去の展示だけでなく、現在悩み活動し、未来につながるようなものを、常に考えていく。常設展でも入替えできるようなものも考えているし、記念となる年には特別展の計画もある。
3階は専従の研究者が執務する研究室やコピー機室、新聞資料室、財団の事務所、事務総長室などがある。男女別トイレ、キッチン、弁当を食べたり休憩できる部屋もある。
4階は、移動ラックの書庫があり、4万5000冊の書籍を1か月半かけて整理を終えた。委員会や政府の報告書や、寄贈者の名前別のコレクションもある。データベースをつくり、来年あたりからウェブで公開もしたい。
書籍以外に3万点の歴史資料(遺物)の収蔵庫もあり、いまスキャン作業を行っている。。
5階は50人くらい入れる講義室と小さい会議室、セミナー室、遺族会の事務室があり遺族の資料もある。南山タワーがきれいに見えるビューポイントでもある。
屋上に上がると、正面にかつて朝鮮軍司令部があった龍山、別の方向には朝鮮総督府があった景福宮、朝鮮神宮のあった南山を見渡せる。建物の裏には抗日運動家たちの墓がある。植民地時代の主要な施設の案内板を設置する予定だ。
南山を中心に、主要施設のツアーを4コース開発している。少し遠くまで足を伸ばせば、ソウル歴史博物館、刑務所歴史館や挺対協がつくった戦争と女性の人権博物館とも交流して、苦しく悲しい歴史から何を学ぶか、若者や皆さんに伝えることを考え準備している。
運営の原則は、市民の支持と市民とともにということを基本にする。毎週月曜のみ休館、入場料は青少年と一般に分けるが、高齢者・幼児、発起人・賛同者は無料にする予定だ。
今後のスケジュールは、4月いっぱいで工事を終わり、5月末に一般客の受入れを開始、その後オーディオや外国語サービスを整備する。
博物館というスペースのオープンだけでなく、いかに活用するかも大きな課題だ。日本の方だけでなく韓国でも各方面から協力があった。青少年向け図書作家の人たちと青少年向けプログラムを企画している。またゲーム制作会社の財団と、研究所がもつ歴史のコンテンツを使い、教育用ゲームをつくる協力が始まった。また学術協力や文化財の技術協力をいっしょに考えてくれる組織もある。
さまざまな活動として、多くの大衆や子どもたちとともにできることを今後考えていく。
人びとにアピールすることを考えると、韓国では8月29日の強制併合、8月15日の解放日があるので、15日から29日を歴史週間としてキャンペーンを行い、多くの開館セレモニーを行う予定だ。しかし5月末から展示はいつでも見学できる。
精一杯やっているが、足りないところはご指摘いただきたいし、皆さんといっしょにつくっていきたい。今度はぜひソウルでお目にかかりたい。
あいさつ 李煕子さん
歴史博物館のもつ意味を考えると、わたくしは、皆さまとともにやってきた30年以上の成果や資料がなくなることがつねに心配で、悩んできた。
日本政府が謝罪も補償もしないことに対し、皆さまが青春を尽くして黒い髪が白髪に変わるまでやった活動の歴史が博物館に込められることに大きな意義があるし、感謝の気持ちでいっぱいだ。
わたしは訴訟を数多く起こしてきた。回りからはいつも負けるのになぜ続けるといわれるが、わたしは訴訟にこだわってきた。理由は、皆さまとともに活動しながらやった裁判の記録は残る。裁判をやって負け続けても負けだと思わない。資料を残すことが勝つことだと思うからだ。
これからもずっと続ける。日本で訴訟を続けられるのは皆さまの支援のおかげであり、支援がなければ日本の役所に行くこともできなかったはずだ。
何十年と皆さまといっしょにやった活動の歴史が、博物館の建物に眠るのではなく、未来のために資料が生き返る。そういう希望をもってこれからもやっていく。そう考えると感謝の気持ちでいっぱいになる。韓国にいらっしゃれば、ぜひ恩返ししたい。いつでもお越しください。
司会 植民地主義の克服は人類にとって非常に大きい問題だ。いまだにヨーロッパの国々も清算・反省ができていない。そういう意味で、植民地の歴史をテーマにした博物館はおそらく世界で唯一のものだと思う。わたしたち全員でこれを育て、植民地主義を克服していける学びの場、ネットワークの場、運動につなげていけるひとつの拠点として、博物館を永遠に続けていけるようにみんなで確認する。
最後に全員で集合写真を撮った。
この日に集会を行ったのは「ノー!ハプサ(NO!合祀)第2次訴訟」の第14回口頭弁論に原告の李煕子さんと李炳順さんが来日されたからだった。少しこの訴訟について触れる。靖国神社には2万1181人もの朝鮮半島出身者が合祀されている。しかも遺族に一言の断りもないままにである。そこで2007年原告10人でノー!ハプサ(NO!合祀)訴訟を提訴したが一審は2011年7月、控訴審も2013年10月23日に敗訴した。第2次訴訟は敗訴の前日10月22日に提訴し、無断合祀の取消(霊璽簿等からの犠牲者氏名の抹消)に加え、国に対し、遺骨の収容・返還を求めている(なおこの裁判以前に原告252人が2001年に提訴し2011年1月に敗訴が確定した在韓軍人軍属裁判があった)。
李煕子さんは1943年1月生まれ、1989年から父の記録を探し始め、96年に防衛庁(当時)から死亡の記録を受取り、97年に靖国神社に合祀されていることを知った。そこで2001年に取消しを求め、日本政府と靖国神社を相手取り在韓軍人軍属裁判、2007年にノー!ハプサ(NO!合祀)訴訟を始めた。
李炳順(イ・ビュンスン)さんは前から李煕子さんから裁判所での陳述を勧められたが、お母さんと2人暮らしで、お母さんの健康状態がよくなかったせいもあり来られなかった。今回やっと訪日し陳述することが実現した。
李炳順さん
靖国合祀取消裁判の原告として訪日し、今日、裁判所で陳述した。父の悲しみを日本の裁判所まで来て、語ることができた。
長い間支援してくださったことに感謝の気持ちでいっぱいだ。今後も、遺族の悲しみを共にしてくださる皆さまのご支援、ご協力をよろしくお願いしたい。ぜひソウルにお越しいただき、再会できることをお祈りする。
また弁護団長の大口昭彦弁護士から「一方的合祀がいかに韓国の原告を苦しめているかということを膨大な歴史的証拠を集めて訴えた。しかし日本政府と靖国神社は、事実問題に足を踏み込むと絶対に勝てないことがわかっている。そこで事実認定の認否問題に入らない。戦術として民族的人格権はまだ裁判規範になっていない、だから歴史的事実は法廷で問題にならないと主張している。しかし歴史的事実から出発すべきであり、逃げ口上は許さない」と解説があった。今後7月に証人を決定し、9月から証人尋問に入ると、進行の見通しを説明した。
2006年の「学校と地域をむすぶ交流会」、GUNGUN裁判、「あんにょん・サヨナラ」のリーフ
☆わたくしはいまから12年前の2006年2月に日本キリスト教会館で行われた15回「学校と地域をむすぶ交流会」で、李煕子さんが教育塔を考える会の方や小泉靖国参拝違憲訴訟の会の方と参加したパネルディスカッションをお聞きした。「遺族に死亡通知もせず勝手に靖国に合祀するのはあまりにもひどい、許せない」という日本政府への怒り、どうしても合祀を取り消さない靖国の不条理な態度や右翼団体のヘイトのエピソードをお聞きした。
その日のプログラムはとても充実していて、各地からの報告では、大阪・愛知・北九州などのほか、東京から増田都子さん、根津公子さん、渡辺厚子さんと当時のオールスターが勢ぞろいした。さらに広田照幸さん(当時東大助教授、現在日大教授)の「愛国心のゆくえ」という対論まであった。
なお、その半年後の7月わたくしはポレポレ東中野で映画「あんにょん・サヨナラ」をみた。李さんが「汚い朝鮮人は(靖国から)出て行け」と罵られるシーンもあった。
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