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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

赤道の下のマクベス

2018年04月01日 | 観劇など
初台の新国立劇場で、鄭義信(チョン・ウィシン)の「赤道の下のマクベス」をみた。敗戦から2年の1947年夏、シンガポールのチャンギ刑務所の死刑囚の話であり、いかにも重い内容だった。登場人物は、日本人3人、朝鮮人3人、そのほか刑務官と看守2人の計9人。

罪状は明確には示されないが、ニューギニア戦線で戦った黒田(56 年齢は役の上の設定 カッコ内の名は役者名 平田満)は巡警隊でゲリラの首謀者を刺殺したその罪。黒田はゲリラの捜索を行い、首謀者だった小さな村の村長を初年兵の朝鮮人が銃剣で刺殺することになったが仕留められず、傷ついた村長が突進してきたところを無我夢中で刀で斬殺した。元大尉の山形(42 浅野雅博)は、泰緬鉄道建設の鉄道隊の要請のままに捕虜を使役し、殴り、場合によっては拷問を命じた。部下で山形を慕う小西(35 木津雅之)は捕虜のアーサーがラジオを持っていたことを報告し、スパイに疑われたアーサーは激しい拷問にかけられた。朝鮮人軍属の場合はもっと悲惨だ。みな捕虜の監視人に志願した。
春吉(22 丸山厚人捕虜の監視をするだけなら、楽な仕事だ。おまけに給料までくれるったら、誰だって飛びつくさ。月五十円の給料だ。二等兵は六円だぞ、六円。p113 ページは白水社「悲劇喜劇」2018年3月号のシナリオ 以下同じ)。しかし、植民地・朝鮮なのでそう単純ではない。このあたり「慰安婦」問題と似ている。 
文平(23 尾上寛之) 雨と泥と下痢にまみれて死んでいく捕虜を(略)医者もいない、薬もない・・・、真っ青な顔をした捕虜が、僕のところに来て、「ベンジョ、スピードゥ」って言うんです。下痢だから、作業を休ませてくれって、返事する暇もなく、彼はたまりかねて繁みの中に入っていくんです。(略)それでも、彼らを作業に追いたてなくちゃならないんです。鉄道隊が毎日、捕虜を寄こせ、寄こせって、せっついてきて・・・健康な奴だろうが、病人だろうが、作業に駆り出すほかなくて・・・(p114)
春吉 おれは村長に命令された・・・両親は断った。三度断ったら、日本人巡査が来た。それでも断ったら、巡査が村長に「配給切れ」って命じやがった。「餓死しろってことですか」って聞いたら「天皇陛下の命令に従わん奴は銃殺だ」・・・行きたくねぇって言えるもんか。(p113)
文平 二年たてば戻れる、月五十円の給料がもらえる、帰ってきたら日本人並みの待遇にする・・・みんな嘘でした(p113)
南星(26 池内博之田舎でぶらぶらしてたら、いずれ日本の炭鉱に引っ張られたさ。すぐ隣に住んでた幼なじみも、炭鉱につれてかれた・・・。(p115)
しかも戦犯となり、「公平な裁判じゃない! 勝ったもんが、負けたもん裁いてどうするのだ!(p108)という裁判の結果、あげく死刑判決だ。朝鮮人にとっては、不条理そのものだ。
文平の手紙「ある時は日本人と呼ばれ、ある時は朝鮮人と軽蔑され、ある時は軍人としてもちあげられ、ある時は軍属として辱めれながらも、日本に尽くしてきた過去・・・それが、私たちにとって最も苦しい思い出となって、私たちを苦しめます(略)(p105)
春吉 誰のせいにしたら、いい!・・・誰、憎めばいい!・・・祖国は解放されて、喜びにあふれてるはずだ・・・なのに、なんで、おれはここにいる!? なんで、日本人として裁かれる!? なんで、死刑になる?(略)教えてくれ・・・誰か、教えてくれ!・・・(朝鮮語で)ウェニャグ? ウェー!(なんでだ!p122)
日本人にしても、「上官の命令は事のいかんを問わず無条件服従するのが、日本の軍隊や。誰が好き好んで、喜んで捕虜、虐待するか・・・(p107)という言い訳はある。
しかし、黒田はさらに次元を一段階上げて「反省」する。少し長くなるが重要なところなので、山形との問答を書き写す(p128)
黒田 わしが殺したんは、一人、二人やない・・・おまえさんら、アジアの民の何千、何万を殺した。五族協和じゃ、八紘一宇じゃちゅうて、太鼓叩いて、笛吹いて・・・結局、欧米列強から解放するどころか、むしりとるだけむしりとって・・・。
山形 われわれは台湾、朝鮮、そのほか植民地ば単純に搾取したわけやなか。情熱ばそそぎ、教育ばほどこし、橋ばかけて、線路ば敷いて、共存共栄ば目指したばい。
黒田 あげく無理やり戦争に駆りだして、無駄死にさせたんやないか。
山形 大東亜共栄圏建設のために、われわれは必死で戦うてきた。殺人やなか、聖戦ばい、聖戦 (略)
黒田 嘘っぱちや! なんもかんも嘘っぱちや! わしらは大本営の大嘘に踊らされて、無駄に命奪うて、無駄に命落として・・・あのニューギニアの地獄に、どんな大義名分がある? あのむごたらしい、あのおぞましい・・・あれを聖戦と呼べるんか!
 (注 ニューギニア戦線はとくに兵隊や軍属で餓死した人が多い地域だ。死んだ兵の人肉を食べた話は奥崎謙三「ヤマザキ、天皇を撃て!(新泉社1987)で知った。 原一男の「ゆきゆきて、神軍(1987)という映画もあった)
山形 ・・・
黒田 大本営こそが、大戦犯や。大本営の元締めは誰や? ほんまに裁かれなならんのは誰や?
山形 不敬ばい! 取り消さんね、今ん言葉!
黒田 いくらでも言うたる! 泰緬鉄道建設のために、連合軍捕虜一万三千人とアジア人労働者数万人の命を奪うたのは誰や? それだけやない、大東亜戦争で散ってった三百十万のわしら日本人死者と、三千万のアジア人の死者と・・・その命は誰が償うんや
まさに「植民地責任」を問うわたしたちと、「自虐主義」と嘲笑する日本会議などヘイト勢力との問答そのままのようだ。シナリオの末尾に内海愛子「キムはなぜ裁かれたのか」(朝日新聞出版 2008)、樽本重治「ある戦犯の手記――泰緬鉄道建設と戦犯裁判」(現代史料出版1999)など10冊あまりの書籍リストが参考資料として掲載されているので、史実にしっかり基づいているようだ。「太鼓叩いて、笛吹いて」は井上ひさしの林芙美子を主人公にした戯曲のタイトルそのものだ。
そして、黒田は南星の足元にひれ伏す(p128)
(略)
南星 なんの真似だよ
黒田 許してくれ・・・。
南星 なんでおれに謝んだ? お門違いだろ。おれはもうすぐ死ぬんだぞ。
黒田 そやから、なおさら許してほしい。
(略)
南星 おっさんが死んだら・・・あの世で、ゆるしてやらぁ。
南星 死んじまったら、もう日本人も朝鮮人もねぇからな・・・。(p129)
こんなに重い芝居だが、舞台は南国だ。「バタビアからスラバヤに向かう汽車の中から見た風景は、まるで天国だ・・・田んぼに緑の稲穂が揺れて、その間に、赤瓦の家がぽつんぽつんと見えて・・・ゆっくり、ゆっくり、汽車は田んぼの真ん中走ってって・・・」。(p109)
ブンガワンソロや「赤道直下マーシャル群島 ヤシの木陰でテクテク踊る」の「酋長の娘」の歌、ジャワの思い出として「スラバヤの市場には見たことのない果物が並んで・・・バナナは山ほどどっさり、果物の王様ドリアン、女王マンゴスチン、マンゴー、パパイヤ(p109)というセリフもあり、意外に明るくギャグも出てくる。鄭のシナリオならではだろう。

シナリオ上の工夫としては、「マクベス」の引用がある。会場ロビーで、鄭・平田・池内の鼎談のビデオを流していた。そのなかで鄭は「マクベスは王を殺さなくてもよかったのに、なぜ殺したのか」、「南星は、芝居のなかで驚くべき回答を出した」と語っていた。
その回答とは、
南星 女房にそそのかされたからか?・・・ちがう・・・理由はひとつだ・・・自分で破滅の道を選んだ・・・そう、選んだんだ、自分で。(p126)
南星 おれも自分で自分を死刑台に送る道、選んだってわけだ・・・(笑って)笑っちゃうよな・・・自分は、自分だけは公平で、正しいつもりで・・・けど、結局、結局だ、鉄道隊の言いなりに、捕虜を差し出した・・・そいつは事実だ。言い訳できない・・・それで、それでだ、差し出した捕虜が死んじまったことに責任ないなんて、知ったこっちゃないって、そんなわけにいかねぇよな。悪いことした覚えがないっつったって、そいつは所詮女の言い訳だ。悪いことしちまったんだ。自分ですすんで、殺人のお先棒かついだんだ(p126)
マクベスは、高校生のとき英文のダイジェスト版、学生のとき文庫本で読んだはずだが、大釜の前の3人の魔女の会話、バーナムの森が動く場面、「女から生まれたものには殺されない」というマクベスが「帝王切開で生まれた」という男(マクダフ)に殺されるシーンしか覚えていない。ネット検索で「マクベスを読む」というサイトをみつけ、斜め読みすると、たしかに南星の幻のセリフも、マクダフ夫人と息子の「鳥」や「謀反人は絞首刑になる」というセリフ(p125 第四幕第二場 ファイフ。マクダフの居城)もそのままあった。
南星の「ポッポー。シュッシュッポッポッ」という汽車のマネ、とくに死刑台への道を「驀進する」掛け声は哀切だった。
新国立劇場書き下ろし三部作の時代設定は『焼肉ドラゴン(2008年)は1970年ごろ、『パーマ屋スミレ(2012年)は1963年ごろ、『たとえば野に咲く花のように-アンドロマケ(2007年)は1951年ごろだが、この芝居はさらに前の1947年ごろの話で、一方、鄭は1957年7月生まれなのでだんだんリアリティがなくなっている。逆に理論というか理屈はどんどん純粋化、高度化が進んでいるようにみえる。たとえば、マクベスを劇中劇でやるのもそうなのだが、いままでは在日朝鮮人のみを扱っていたが、この芝居では朝鮮半島の朝鮮人、植民地朝鮮と日本の問題へと踏み込んでいる。
このテーマでの芝居では、わたくしは平田オリザの「ソウル市民」五部作のうち三部作をみたことがある。

役者が男性のみの芝居は宝塚の男性版だが、それほどむさくるしいとは感じなかった。
役者としては平田と池内が中心のはずだが、尾上、浅野も好演し、木津、丸山も熱演していた。
また刑務官・ナラヤナン(チョウヨンホ)と2人の看守(岩男海史中西良介)の3人は新国立劇場演劇研修所出身だが、今後期待が持てそうだった。
それにしても、役者全員が男性の芝居ははじめてみた。近いのは、昔のつかこうへい事務所の「ストリッパー物語(1975年初演)だが、根岸季衣が主演ということもあり、やはりちょっと違う。「木の上の軍隊(2013年)は3人しか俳優がおらず、1人が語る女・片平なぎさだったので存在感が大きかった。演技のレベルと質がそろっていたので、鄭の演出の成果、あるいは6人のチームワークがよほどよかったのかもしれない。
南星と黒田は役の上では30歳の年齢差だが、実年齢でも23歳差なので、黒田が池内を「親父のかわりに抱きしめて」も不自然ではなかった。
なお前述のビデオで「鄭の実父が朝鮮人憲兵だったこと」を初めて知った。 
「2006年まで厳しい環境だった」と言っており、なんのことかわからなかったが、この年に韓国政府が朝鮮人BC級戦犯を「日帝強占下強制動員被害者」と認定し、名誉回復したことをパンフの鄭と宮田慶子の対談で知った。
『たとえば野に咲く花のように』には、「日本のお先棒ばかついだ憲兵」「あんたが憲兵やっとったおかげで、村八分たい。もう向こうには帰れん。帰ったら、石ば投げられる」という家族のセリフがでてくるが、これも体験からきているのかもしれない。
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