新国立劇場の小劇場で「エンジェルス・イン・アメリカ」第1部を観た。作・トニー・クシュナー、翻訳・小田島創志、演出・上村聡史、2部6幕あり、第1部「ミレニアム迫る」の上演時間3時間半、第2部「ペレストロイカ」4時間という大作である。両方は見られないと思い、今回は第1部のみ観た。
登場する役者は男優5人、女優3人の8人だけだが登場人物は21人、つまり1人2役ならぬ最大5役の俳優もいる。しかもストーリーも深く入り組んでいるので、新国立劇場のサイトから第1部のあらすじを転載する。
1985年ニューヨーク。
青年ルイスは同棲中の恋人プライアーからエイズ感染を告白され、自身も感染することへの怯えからプライアーを一人残して逃げてしまう。モルモン教徒で裁判所書記官のジョーは、情緒不安定で薬物依存の妻ハーパーと暮らしている。彼は、師と仰ぐ大物弁護士のロイ・コーンから司法省への栄転を持ちかけられる。やがてハーパーは幻覚の中で夫がゲイであることを告げられ、ロイ・コーンは医者からエイズであると診断されてしまう。
職場で出会ったルイスとジョーが交流を深めていく一方で、ルイスに捨てられたプライアーは天使から自分が預言者だと告げられ......
5人の他、主要登場人物はモルモン教の聖都ソルトレークシティに住む母、元ドラァグクイーンの黒人看護師、アメリカ大陸・権天使を入れて8人だ。
アメリカでの初演は1991年、83年ころ発見されたエイズ・ウィルスの死者は87年に1万3000人だったのが急上昇していた時期、80年代に長期政権を続けたレーガンが88年に退陣し同じ共和党のブッシュに引き継いだころ、一方、85年に南極上空のオゾン層保護のためのウィーン条約が採択され、地球環境問題が注目された時期だった。
この作品は演劇界のトニー賞、ピュリッツアー賞戯曲部門、テレビ界のエミー賞を受賞しただけでなく、映画界のアカデミー賞、音楽界のグラミー賞にもノミネートされ、トニー・クシュナーの出世作となった。そういえば早稲田の演劇博物館の現代演劇年表でもタイトルが挙げられていた。
さて、芝居をみた感想。まず長い芝居だった。1幕 悪い知らせ(85年10-11月)、2幕 試験管の中で(85年12月)、3幕 まだ無意識の中、夜明けへと前進(85年12月)の各幕は9場、10場、7場から構成されるが深刻なシーンが多く疲れた。幕間に各15分休憩があり、一息つくことができたが全部で3時間半の長さだ。
セリフにも理屈っぽい言葉やシリアスな対話がところどころ差しはさまれる。たとえば、こんな具合だ。
ハーパー オゾン層を見るとね、外から、宇宙船から(略)頭上30マイルのところに、酸素原子3個からなる分子の薄い層、光合成の産物、これでなぜ細かいところにこだわる植物が可視光線を好んで、暗い光や放射性物質を拒否するか分かるわね。外界からの危険。これ一種の贈り物なの、神様からの、世界の創造の最後を飾るワンタッチ。守護の天使が手をつないで、球の形のネットを作ってるのね、(略)でもどこでもかしこでも、いろんなものが崩壊してくわ。嘘が表に出てくる。防御のシステムが破れて・・・だからよ、ジョー、だからあたしをひとりほっといちゃいけないの。
あたし旅に出たいな。(1幕3場 p30)
ジョー 彼女ほんとにひどい家(うち)で育ったんです(略)空が落ちてくるとか、ナイフ持った人がソファの下にいるとか。怪物ですよ。モルモン教徒。みんな、モルモン教徒の家はそんなもんじゃないって思ってるでしょう。ぼくらがそんなことするわけがないって。でもするんです。(略)みんな、神の厳格な基準にかなうように一生懸命努力してるんです。(略)
その基準にかなわないとすごい打撃なんです。善くありたいっていう強い希望があるんで、うまくいかないと、善からひどく遠くなってしまったと感じるんです。(2幕4場 p95-96)
ルイス アメリカは(略)世界のどの国とも違うんだ、ありとあらゆる人種がいて、どうしたって・・・究極的にはこの国を定義するのは人種じゃなくて政治なんだ。(3幕2場p162)
この国は本当に、本当に、信じられないくらい人種差別的な国だけど、(p163)
究極的にはここでは人種は政治問題なんだ、そうだろ?(略)人種差別論者はここでの人種を政治闘争の道具に使おうとしてるだけだ。(p164)
ここには神々なんかいない、アメリカには幽霊も心霊もいやしない、アメリカにはエンジェルもいない(p165)
なお訳文は小田島創志による新訳が使われているが、現時点では出版されていないので、1994年の吉田美枝・訳(文藝春秋 1994.10)を使用している。ページ数もこの本のページを示す。
加えて、ルイス・ファラカーン、エド・コッチ、ジェシー・ジャクソン、リリアン・ヘルマンなど聞いた名前や知らない名前、ヤコブ、ラザロ、カイン、イスカリオテのユダなど聖書の人物名も出てくる。
この芝居を理解するには、アメリカにおける民主党と共和党の歴史や社会への影響、アメリカのユダヤ人、そしてキリスト教のなかのモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)の立脚位置など、さらにアメリカの90年代のゲイやレズの立場、富裕層と貧困者の生活状況、抽象的だが文化・宗教・社会を知らないと深くはわからない(自分のことだが)。アメリカのユダヤは、ウディ・アレンの映画を通して少し知っていたように思っていたが、考えるとほとんどわかっていない。
蛇足だが、ロイ・コーン弁護士は実在の人物だそうだ。ユダヤ系アメリカ人、24歳のとき副検事で、ローゼンバーク事件の実績がフーヴァーFBI長官の目に留まり、マッカーシーの主任顧問としてマッカーシズムを推進し、マフィアやトランプの相談役の弁護士として活動、1986年に本当にエイズで死亡した。芝居の悪役の人生そのものを歩んだ人物だ。
公演パンフと文藝春秋社の単行本(右 1994.10)
それで芝居を観てから、図書館で訳書(ただし1部のみで2部は未刊)を借りて斜め読みし、さらにDVDを見た。
DVDではアル・パチーノがロイ・コーン役、メリル・ストリープがハンナ役、エマ・トンプソンが天使役、パトリック・ウィルソンがジョー役、ジェフリー・ライトが黒人看護師役という豪華なキャストで、監督が「卒業」のマイク・ニコルズなので、迫力ある作品になっていた。
これで少し理解できたが、やはりバックグラウンドに関して知識不足なので、深いことはわからない。
単行本巻末の「作者は語る――日本語版に寄せて」で、クシュナーは「タイトルにアメリカと銘打ってはいても、非常に普遍的なものがあるんだと思う。愛や裏切りは誰もが経験することだし、(略)近い将来死ぬと分かっているような病人を世話する問題は、この時代に生きている人間にとっては避けて通れない」(p228)と述べている。だから観客がみじろぎもせず長い芝居をじっくり観たのだ。平日昼の12時開演という変則的な時間だったが、客席は8-9割埋まっていた。
アメリカでの初演から32年後、3年間の新型コロナ・パンデミックの後、LGBTや地球温暖化が注目され、格差社会の日本で、しかも大軍拡・入管問題・原発推進への政策再転換、マイナンバーなどDX法案が国会で成立間際の時期に日本で上演されるのは意義深い(なお日本では、1994年11月の銀座セゾン劇場を皮切りに3回上演された)。
第2部もDVDで部分的に見た。セントラルパークの天使の彫像があるベセスダ噴水に数年ぶりにみんなが集まり、また歩みだす、平和でなごやかなラストシーンが忘れられない。
新国立劇場の情報誌「ジ・アトレ」より
なお役者ではハンナ役の那須佐代子と女装した岩永達也の演技が光っていた。上村聡志の演出は初めて観た。2分割した舞台、たとえば1幕5場家にいるジョーとハーパー 墓地のラビとルイス、3幕7場 プライアーがアパート ルイスが公園は、岩永の演出かと思ったら、クシュナーのシナリオにそう書かれていた。ただ、シナリオの密度が高いことが大きいが、間延びすることも、破綻することもなく、しかも各幕をきっちり1時間でまとめるのは並々ならぬ手腕だと思う。
スタッフでは、音楽・国広和毅、音響・加藤温がいい舞台をつくり出していた。
☆訳者の小田島創志氏だが、「小田島」という姓と名の「志」から連想するのは、シェークスピア全集(白水社)訳の小田島雄志さんとその息子・小田島恒志さん(バーナード・ショーの「ピグマリオン」(新訳)やトム・ストッパード「アルカディア」などを訳)である。なにかの縁戚の方か、ひょっとすると恒志さんの弟さんと思ったら、なんと恒志さんの息子が創志さんだった。政治家以外でも能・狂言など伝統芸能で2代続きということはあるが、3代目の英文学者だった。
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