11月12日(水)夜、「大江・岩波沖縄戦裁判」大阪高裁判決報告会が文京区民センターで開催された(主催:大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会、大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会(大阪)、沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会(沖縄) 参加100人)。この高裁判決は、出版差し止めや謝罪広告掲載、慰謝料支払い請求を棄却するだけでなく、表現の自由、民主主義社会の存続の基盤、言論の過程の保障にまで言及するものだった。3月の一審判決に続く完全勝訴である。しかし文科省は確定判決ではないことを理由に、いまだに検定意見を撤回していない。一刻も早い最高裁での判決確定が望まれる。まだまだ闘いは続く。
●弁護団からの報告 近藤卓史弁護士
高裁の口頭弁論は2回だけだったが、その間の進行協議などを通して、小田耕治裁判長は細かいことに気づく非常にていねいな裁判官であることがわかった。フタを開けると判決文は全文289pに及び、目配りの利いたしっかりした判決だった。
一審以降、原告、梅澤・赤松側が提出した新証拠に対する裁判所の評価を、判決要旨の「証拠上の判断」を利用し次のような説明があった。
二審で「本部壕の外で、梅澤隊長が自決してはならないと話すのを聞いた」という宮平秀幸新証言(出廷はしていない)について、1992年にビデオドキュメントで語ったのと内容が異なることなどから「明らかに虚言であると断じざるを得ず」と判決にある。普通「信用できない」と書くところだがそれをはるかに越える表現である。
また一審の最後のほうで出た「援護法適用のために,赤松大尉に依頼して自決命令を出したことにしてもらい,サインなどを得て命令書(?)を摸造した」という照屋昇雄証言について、赤松大尉の生前の手記などと細かく照合し「話の内容は全く信用できず」と評価している。
座間味の助役の弟・宮村幸延が1988年に作成した「集団自決命令は隊長でなく助役が出した」という梅澤隊長あて親書は、宮村自身が「私しが書いた文面でわありません」との証言を残しいていることなどから「評価できない」。「梅澤はこの親書の作成経緯を意識的に隠しているものと考えざるをえない」とした。
これらのことから集団自決については「軍官民共生共死の一体化」の大方針の下で日本軍がこれに深く関わっていることは否定でき」ない。しかし「直接的な隊長命令の有無」を断定することはできない。ただ命令が「なかった」と断定しているわけでもない。
沖縄戦大江岩波裁判は、発刊当時は真実性や真実相当性が認められ、長年にわたり出版を継続してきたが、後に新しい資料の出現によりその真実性等が揺らいだ場合の名誉毀損訴訟である。この判決では、まず真実性の揺らぎはあっても真実でないことが明白とまではいえないこと、そして原告が「別の目的もあった」ことを認めていたため「重大な不利益を受け続けているとは認められない」とした。
この判断の前提として、新しい資料の出現が直ちにそれだけで違法になるわけではないとしている。「そうでないと結局は言論を委縮させることにつながるおそれがある」からである。さらに「表現の自由、とりわけ公共的事項に関する表現の自由の持つ憲法上の価値の重要性等に鑑み」「事実についてその時点の資料に基づくある主張がなされ、それに対して別の資料や論拠に基づき批判がなされ(略)そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる」としている。そして「梅澤及び赤松大尉は日本国憲法下における公務員に相当する地位」にあったのでなおさらそのような過程を保障する「必要性が高い」としている。
このように表現の自由、民主主義社会の存続の基盤、言論の過程の保障にまで言及する格調の高い判決であることに注目すべきである。
●岩波書店からの発言 岡本厚さん(訴訟担当)
判決文で、集団自決について、ただの関与ではなく「日本軍が深く関わっていることは否定できず」と「深い関与」を認めた意義は大きい。
また宮平証言を虚言と断じ「これを無批判に採用し評価する意見書、報道、雑誌論考等関連証拠も含めて到底採用できない」とする。これは藤岡信勝氏の意見書、「正論」2008年4月号、「Will」2008年8月号を指す。また梅澤命令説、赤松命令説が援護法適用のため後からつくられたという主張も「全く信用できず」「報道、雑誌論考等関連証拠も含めて到底採用できない」とある。藤岡意見書は妄想に近いものだが、それを真実といい教科書まで変えさせた。許すことはできない。小林よりのり、藤岡信勝、曽野綾子らの歴史観を問うべきである。歴史修正主義者の無能が証明された判決だといえる。
●判決を読んで 中村政則さん(一橋大学名誉教授)
証言重視の判決だった。判決文で座間味、渡嘉敷の集団自決への32軍の関与を示唆している。イギリスのビルマ戦線のオーラルヒストリーにも、大本営の命令で「1発は敵に、1発は自決用」と同じことが出てくる。この問題は、今後沖縄だけでなくアジアの中という視点に広げて研究したほうがよい。
オーラルヒストリーでは、人によっていうことが違うのが普通だ。そこで村全体のなかでその発言はどの位置にあるかコンステレーション(constellation=星座)のなかに位置づけることが重要になる。比較するためには最低3例必要だ。それを宮平証言1つで裁判をひっくり返せると思ったのは愚かである。オーラルヒストリーの方法を使うなら、「もっと勉強して出直してこい」といいたい
歴史学では、A説とB説の両説があるときそれをアウフヘーベンしてC説が生まれる、その後20-30年の間に新証拠などが発見されD説になるというのが普通だ。そして少し違うa説、b説、c説が数多く乱立するのは戦国時代で学問の低迷期を意味する。高裁判決の「新しい資料が発見されたから書籍出版が違法になるとういうことなら言論を委縮されることになる」という部分は学問の自由に関係することで、重要な指摘である。
なお原告は最高裁への上告理由を「名誉毀損の判断がこれまでの最高裁判決と異なる」としている。これに対し理論武装すべきである。
●大阪から 平井美津子さん(大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会)
2005年10月、修学旅行の引率で沖縄にいき、元ひめゆり学徒隊の宮城喜久子さんから「ただガマや平和の礎(いしじ)をみるだけでは沖縄をわかったことにはならない」といわれた。そこで06年4月の修学旅行に向けて準備や学習を始めた。
3月の地裁判決に続き、10月の高裁判決でも旗出しをした。3月は春休みの間なのでまだ年休を取りやすかった。しかし10月はちょうど京都への遠足当日に当たったので校長に「一生に一度の大切なこと」といって午後半休を取らせてもらった。同僚も気持ちよく送り出してくれ、クラスの生徒も「いい子にしている」「ガンバってきてな!」と手を振ってくれた。また卒業生から「先生おめでとう。やっとここまで時代が動いた。教科書に真実が書かれる日がまたきた」という手紙が届いた。
●今後の取り組みについて 石山久男さん(沖縄戦首都圏の会・呼びかけ人)
文科省は「確定判決ではないから」と言ってまだ教科書の記述を変えない。彼らは地裁判決が出る前に検定意見を出したにもかかわらずそう言う。そこで最高裁へ「直ちに上告人らの請求を棄却し、第二審判決を維持されるよう」求める要請書を提出する。地裁・高裁に提出した2万筆を上回る多数の署名をお願いしたい。要請書の「直ちに棄却」という文言はこうした意味を込めている。
また検定意見はまだ厳然として存在している。教科書の書き換えという点では、彼らは成功している。この高裁判決を踏まえ、文科省への検定意見撤回要請行動を起こす。
また教科書会社が再訂正申請を提出しない。自由な言論を守ろうとする姿勢が見られない。再訂正申請を出せば文科省は受け付けないとは言えないだろう。
そして、わたしたちの学習を進め、より多くの人にこの問題を知らせることも続けたい。
●閉会のあいさつ 寺川徹さん(沖縄戦首都圏の会事務局長)
この裁判は、名誉毀損裁判から始まり、高校歴史教科書の記述問題に発展し、ついに表現の自由という憲法問題に結びつくことになった。歴史に残る裁判に立ち会っていることをひしひしと感じる。この判決のもつ意義を広めていきたい。
いま私たちに問われているのは、歴史を歪曲する勢力を許すか、歴史の真実を語り継ぐかという問題である。
●弁護団からの報告 近藤卓史弁護士
高裁の口頭弁論は2回だけだったが、その間の進行協議などを通して、小田耕治裁判長は細かいことに気づく非常にていねいな裁判官であることがわかった。フタを開けると判決文は全文289pに及び、目配りの利いたしっかりした判決だった。
一審以降、原告、梅澤・赤松側が提出した新証拠に対する裁判所の評価を、判決要旨の「証拠上の判断」を利用し次のような説明があった。
二審で「本部壕の外で、梅澤隊長が自決してはならないと話すのを聞いた」という宮平秀幸新証言(出廷はしていない)について、1992年にビデオドキュメントで語ったのと内容が異なることなどから「明らかに虚言であると断じざるを得ず」と判決にある。普通「信用できない」と書くところだがそれをはるかに越える表現である。
また一審の最後のほうで出た「援護法適用のために,赤松大尉に依頼して自決命令を出したことにしてもらい,サインなどを得て命令書(?)を摸造した」という照屋昇雄証言について、赤松大尉の生前の手記などと細かく照合し「話の内容は全く信用できず」と評価している。
座間味の助役の弟・宮村幸延が1988年に作成した「集団自決命令は隊長でなく助役が出した」という梅澤隊長あて親書は、宮村自身が「私しが書いた文面でわありません」との証言を残しいていることなどから「評価できない」。「梅澤はこの親書の作成経緯を意識的に隠しているものと考えざるをえない」とした。
これらのことから集団自決については「軍官民共生共死の一体化」の大方針の下で日本軍がこれに深く関わっていることは否定でき」ない。しかし「直接的な隊長命令の有無」を断定することはできない。ただ命令が「なかった」と断定しているわけでもない。
沖縄戦大江岩波裁判は、発刊当時は真実性や真実相当性が認められ、長年にわたり出版を継続してきたが、後に新しい資料の出現によりその真実性等が揺らいだ場合の名誉毀損訴訟である。この判決では、まず真実性の揺らぎはあっても真実でないことが明白とまではいえないこと、そして原告が「別の目的もあった」ことを認めていたため「重大な不利益を受け続けているとは認められない」とした。
この判断の前提として、新しい資料の出現が直ちにそれだけで違法になるわけではないとしている。「そうでないと結局は言論を委縮させることにつながるおそれがある」からである。さらに「表現の自由、とりわけ公共的事項に関する表現の自由の持つ憲法上の価値の重要性等に鑑み」「事実についてその時点の資料に基づくある主張がなされ、それに対して別の資料や論拠に基づき批判がなされ(略)そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる」としている。そして「梅澤及び赤松大尉は日本国憲法下における公務員に相当する地位」にあったのでなおさらそのような過程を保障する「必要性が高い」としている。
このように表現の自由、民主主義社会の存続の基盤、言論の過程の保障にまで言及する格調の高い判決であることに注目すべきである。
●岩波書店からの発言 岡本厚さん(訴訟担当)
判決文で、集団自決について、ただの関与ではなく「日本軍が深く関わっていることは否定できず」と「深い関与」を認めた意義は大きい。
また宮平証言を虚言と断じ「これを無批判に採用し評価する意見書、報道、雑誌論考等関連証拠も含めて到底採用できない」とする。これは藤岡信勝氏の意見書、「正論」2008年4月号、「Will」2008年8月号を指す。また梅澤命令説、赤松命令説が援護法適用のため後からつくられたという主張も「全く信用できず」「報道、雑誌論考等関連証拠も含めて到底採用できない」とある。藤岡意見書は妄想に近いものだが、それを真実といい教科書まで変えさせた。許すことはできない。小林よりのり、藤岡信勝、曽野綾子らの歴史観を問うべきである。歴史修正主義者の無能が証明された判決だといえる。
●判決を読んで 中村政則さん(一橋大学名誉教授)
証言重視の判決だった。判決文で座間味、渡嘉敷の集団自決への32軍の関与を示唆している。イギリスのビルマ戦線のオーラルヒストリーにも、大本営の命令で「1発は敵に、1発は自決用」と同じことが出てくる。この問題は、今後沖縄だけでなくアジアの中という視点に広げて研究したほうがよい。
オーラルヒストリーでは、人によっていうことが違うのが普通だ。そこで村全体のなかでその発言はどの位置にあるかコンステレーション(constellation=星座)のなかに位置づけることが重要になる。比較するためには最低3例必要だ。それを宮平証言1つで裁判をひっくり返せると思ったのは愚かである。オーラルヒストリーの方法を使うなら、「もっと勉強して出直してこい」といいたい
歴史学では、A説とB説の両説があるときそれをアウフヘーベンしてC説が生まれる、その後20-30年の間に新証拠などが発見されD説になるというのが普通だ。そして少し違うa説、b説、c説が数多く乱立するのは戦国時代で学問の低迷期を意味する。高裁判決の「新しい資料が発見されたから書籍出版が違法になるとういうことなら言論を委縮されることになる」という部分は学問の自由に関係することで、重要な指摘である。
なお原告は最高裁への上告理由を「名誉毀損の判断がこれまでの最高裁判決と異なる」としている。これに対し理論武装すべきである。
●大阪から 平井美津子さん(大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会)
2005年10月、修学旅行の引率で沖縄にいき、元ひめゆり学徒隊の宮城喜久子さんから「ただガマや平和の礎(いしじ)をみるだけでは沖縄をわかったことにはならない」といわれた。そこで06年4月の修学旅行に向けて準備や学習を始めた。
3月の地裁判決に続き、10月の高裁判決でも旗出しをした。3月は春休みの間なのでまだ年休を取りやすかった。しかし10月はちょうど京都への遠足当日に当たったので校長に「一生に一度の大切なこと」といって午後半休を取らせてもらった。同僚も気持ちよく送り出してくれ、クラスの生徒も「いい子にしている」「ガンバってきてな!」と手を振ってくれた。また卒業生から「先生おめでとう。やっとここまで時代が動いた。教科書に真実が書かれる日がまたきた」という手紙が届いた。
●今後の取り組みについて 石山久男さん(沖縄戦首都圏の会・呼びかけ人)
文科省は「確定判決ではないから」と言ってまだ教科書の記述を変えない。彼らは地裁判決が出る前に検定意見を出したにもかかわらずそう言う。そこで最高裁へ「直ちに上告人らの請求を棄却し、第二審判決を維持されるよう」求める要請書を提出する。地裁・高裁に提出した2万筆を上回る多数の署名をお願いしたい。要請書の「直ちに棄却」という文言はこうした意味を込めている。
また検定意見はまだ厳然として存在している。教科書の書き換えという点では、彼らは成功している。この高裁判決を踏まえ、文科省への検定意見撤回要請行動を起こす。
また教科書会社が再訂正申請を提出しない。自由な言論を守ろうとする姿勢が見られない。再訂正申請を出せば文科省は受け付けないとは言えないだろう。
そして、わたしたちの学習を進め、より多くの人にこの問題を知らせることも続けたい。
●閉会のあいさつ 寺川徹さん(沖縄戦首都圏の会事務局長)
この裁判は、名誉毀損裁判から始まり、高校歴史教科書の記述問題に発展し、ついに表現の自由という憲法問題に結びつくことになった。歴史に残る裁判に立ち会っていることをひしひしと感じる。この判決のもつ意義を広めていきたい。
いま私たちに問われているのは、歴史を歪曲する勢力を許すか、歴史の真実を語り継ぐかという問題である。