7月5日(日)午後、文京シビックホールで高田馬場管弦楽団の第74回定期演奏会が行われた。梅雨空だったが、なんとか雨は降らずにすんだ。
指揮は、この楽団生え抜きの森山崇氏である。
●この日のプログラム
R.シュトラウス/楽劇「サロメ」より「サロメの踊り」
グリーグ/「ペールギュント」第1組曲、第2組曲
チャイコフスキー/交響曲第4番 へ短調
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/29/41f66cc5b32155287cdb6aae47cde528.jpg)
この日のメインはチャイコフスキー、いわゆるチャイ4である。下記はプログラムからのダイジェストである。
1874年モスクワ音楽院の講師をしていたチャイコフスキー(1840-1893)は学生アントニーナから「会ってくれなければ自殺する」という一方的な手紙を受け取り2か月でスピード結婚する。ところが新妻はたいへんな悪妻で、彼は結婚2か月後に川で自殺を図りスピード破局する羽目となる。そのころチャイコフスキーを援助していたのが大富豪の未亡人メック夫人だった。1877年療養先のイタリアでこの曲を完成させ「わが親愛なる友に」とスコアに書き夫人に献呈した。夫人への手紙に「この交響曲を書いていた冬の間中、私はひどく落ち込んでいましたが、この曲はそのとき私が直面していたことの忠実な“エコー”なのです」と書いている。
一番有名な4楽章について作曲家は「この楽章は民衆がお祭りを楽しんでいる場面です。あなたは何とか自分を忘れようと、彼らにつられてはしゃいでいると、運命が執念深くその存在を誇示します。人びとは、そんなあなたの孤独や悲哀には気付かない」と解説する。
合奏でちょっと不満な部分もあったが、森山さんの指揮のフィナーレの最後の2分の盛り上げは、いつもながら見事で、拍手が鳴りやまなかった。各パートのトップと握手をし、最後はコントラバスのところまで小走りに走っていって握手していた。人柄がよく表れていた。ティンパニーが好演だった。
わたくしにとって、4楽章の思い出の演奏は(吹奏楽で申し訳ないが)1968年の福岡電波高等学校吹奏楽部(指揮:藤野富治)のものである。たぶんいまテープを聴いても感動すると思う。
●
1曲目の「サロメの踊り」ははじめて聞いた。打楽器がカスタネット、トライアングル、大小の太鼓、タンブリンなど7人、ハープ2本という大編成の曲で、馬場管向きの曲だった。オーボエがソロで大活躍する。
ヘロド王の娘サロメは、父の求めに応じて舞を踊り、「望むものはなんでも与えよう」という父の言葉に「銀の皿に載るヨカナーン(ヨハネ)の首を所望する」と答える、有名な話だ。
これもプログラムの引用だが、ソプラノのうち最も太く強い声を持ち、激しいバレエを踊り、7枚のベールを脱いで最後は裸になり、続いてアリアを歌う、むずかしい役柄のため、めったに上演されないそうだ。
わたしにとっての見所は、森山さんの指揮である。腕や指など上半身より、むしろ足である。昔のようにジャンプはしなくなったが、指揮台の上でステップを踏んだり足を踏み鳴らす。
静かな曲では足を動員することはないが、音楽に「乗ってくる」と熱演のあまり、ひとりでに足が動き出すようだ。この日は「山の魔王の宮殿にて」で、わずか10センチほどだがジャンプし横っ飛びするのを目撃した。久々で感動した(いったいなんのために演奏会を聞きにいっているのだか・・・)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ad/7d3481454c712bca393203444a8c24e9.jpg)
☆文京シビックホールは、水道橋から向かうと、場外馬券売り場のウインズ、ボクシングや格闘技の後楽園ホール、野球の東京ドーム、巨大ジェットコースターがあるLaQua、柔道の講道館の隣にある。いままで気づかなかったが、有数のエンタテインメント施設集積地(歓楽街)であった。
北東側斜め前が、反天連の集会があるとウヨクと公安が大挙して押し寄せる文京区民センターである。この点は、エンタテインメントとまったく関連がない。
指揮は、この楽団生え抜きの森山崇氏である。
●この日のプログラム
R.シュトラウス/楽劇「サロメ」より「サロメの踊り」
グリーグ/「ペールギュント」第1組曲、第2組曲
チャイコフスキー/交響曲第4番 へ短調
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この日のメインはチャイコフスキー、いわゆるチャイ4である。下記はプログラムからのダイジェストである。
1874年モスクワ音楽院の講師をしていたチャイコフスキー(1840-1893)は学生アントニーナから「会ってくれなければ自殺する」という一方的な手紙を受け取り2か月でスピード結婚する。ところが新妻はたいへんな悪妻で、彼は結婚2か月後に川で自殺を図りスピード破局する羽目となる。そのころチャイコフスキーを援助していたのが大富豪の未亡人メック夫人だった。1877年療養先のイタリアでこの曲を完成させ「わが親愛なる友に」とスコアに書き夫人に献呈した。夫人への手紙に「この交響曲を書いていた冬の間中、私はひどく落ち込んでいましたが、この曲はそのとき私が直面していたことの忠実な“エコー”なのです」と書いている。
一番有名な4楽章について作曲家は「この楽章は民衆がお祭りを楽しんでいる場面です。あなたは何とか自分を忘れようと、彼らにつられてはしゃいでいると、運命が執念深くその存在を誇示します。人びとは、そんなあなたの孤独や悲哀には気付かない」と解説する。
合奏でちょっと不満な部分もあったが、森山さんの指揮のフィナーレの最後の2分の盛り上げは、いつもながら見事で、拍手が鳴りやまなかった。各パートのトップと握手をし、最後はコントラバスのところまで小走りに走っていって握手していた。人柄がよく表れていた。ティンパニーが好演だった。
わたくしにとって、4楽章の思い出の演奏は(吹奏楽で申し訳ないが)1968年の福岡電波高等学校吹奏楽部(指揮:藤野富治)のものである。たぶんいまテープを聴いても感動すると思う。
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1曲目の「サロメの踊り」ははじめて聞いた。打楽器がカスタネット、トライアングル、大小の太鼓、タンブリンなど7人、ハープ2本という大編成の曲で、馬場管向きの曲だった。オーボエがソロで大活躍する。
ヘロド王の娘サロメは、父の求めに応じて舞を踊り、「望むものはなんでも与えよう」という父の言葉に「銀の皿に載るヨカナーン(ヨハネ)の首を所望する」と答える、有名な話だ。
これもプログラムの引用だが、ソプラノのうち最も太く強い声を持ち、激しいバレエを踊り、7枚のベールを脱いで最後は裸になり、続いてアリアを歌う、むずかしい役柄のため、めったに上演されないそうだ。
わたしにとっての見所は、森山さんの指揮である。腕や指など上半身より、むしろ足である。昔のようにジャンプはしなくなったが、指揮台の上でステップを踏んだり足を踏み鳴らす。
静かな曲では足を動員することはないが、音楽に「乗ってくる」と熱演のあまり、ひとりでに足が動き出すようだ。この日は「山の魔王の宮殿にて」で、わずか10センチほどだがジャンプし横っ飛びするのを目撃した。久々で感動した(いったいなんのために演奏会を聞きにいっているのだか・・・)。
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☆文京シビックホールは、水道橋から向かうと、場外馬券売り場のウインズ、ボクシングや格闘技の後楽園ホール、野球の東京ドーム、巨大ジェットコースターがあるLaQua、柔道の講道館の隣にある。いままで気づかなかったが、有数のエンタテインメント施設集積地(歓楽街)であった。
北東側斜め前が、反天連の集会があるとウヨクと公安が大挙して押し寄せる文京区民センターである。この点は、エンタテインメントとまったく関連がない。