こどものころ、虎が飛び出し白象が歩いたり、時計がぐにゃりと枝にぶら下がるサルバドール・ダリの刺激的な絵が好きだった。大人になってからはポール・デルヴォーの、夜の街を裸の女性が歩く妖しい絵が好きになった。シュルレアリスムは絵画や詩が有名だが、「シュルレアリスムと写真」展を恵比寿の東京都写真美術館でみた。「痙攣する美」という一風変わったサブタイトルはブルトンの「ナジャ」の最終行「美は痙攣的なものだろう。さもなくば存在しないだろう」を引用したもので、リヨン駅で身もだえしながら、飛び跳ねながらも、けして発車しない汽車のことだそうだ。
この展覧会は「都市に向かう視線」「都市のなかのオブジェ」「ボディ」「細部に注がれた視線」の4ブロックから構成されている。有名なアジェの「日蝕の間」(1912)、「マルドロールの歌」を引用したマン・レイ「解剖台上のミシンとこうもり傘の出会いのように美しい」(1924)、「アングルのヴァイオリン」(1924)が展示されていた。「アングルのヴァイオリン」は想像以上にサイズが小さかった。
絵画作品に比べ、奇抜さや迫力は不足していた。ひとつには印画紙への引き伸ばしが手仕事だったので、サイズの限界という技術的な問題もある。
わたくしはブラッサイの「吸血こうもり」「森の中の亀」、メトロノームに目を付けた「マン・レイの「不滅のオブジェ」、植田正治の「鳥取砂丘」(1952-53)、『アンダルシアの犬』(1928年)の冒頭の豚の目をカミソリで切り裂くシーンそっくりのモーリス・タバール「目・海」、藤田敏八の「妹」で林隆三がギロッとにらむシーンを思い出させるヘルベルト・バイヤーの「義眼」、不思議の国のアリスのような岡上淑子「月夜」(1951)を興味深くみた。
わたくしが訪れた日に、シンポジウム「シュルレアリスムの宇宙」が開催された。わたくしは理論についてはまったく知らないので興味深かった。2つの講演の一部を紹介する。
遠近法―的―空間について 林 道郎(上智大学国際教養学部教授)
シュルレアリスムの画家のなかでダリやエルンストなどイリュージョニスティックな画家は遠近法的空間を使っていて(アヴァンギャルドと対照的に)保守的だと言われてきた。しかし彼らの遠近法は古典的・伝統的遠近法に書き換えの操作を加えている。キリコの絵は誇張された遠近法を採用している。
遠近法は生活世界に根ざし「親密な空間」を提示する。シュルレアリストはそこに不穏・不安・不気味さを介入させる。unheimlich(=不気味な)の原義は、室内空間に、だれかが侵入したかもしれない不気味なものということだ。シュルレアリストは、まず親密な空間を遠近法で提示し、しかし他者的なものの侵入を見る人に感じさせる。そこで「影」も重要だ。またダリやイヴ・タンギーの空にみられる限定のない空間も重要である。
メディウムからメディアへ――シュルレアリスムと写真の社会的射程を探る 塚原 史(早稲田大学法学部教授)
シュルレアリスムの1924年の定義は、理性に管理されない書き取り、オートマティズム(自動記述)だった。都市やインテリアや身体が客体化され断片化された。写真は、心的オートマティズムを作動させる霊媒(medium)だった。カメラは目をつぶっていても撮影できる。写真は、世界を断片化する非理性的な試みともいえる。写真は、現実をリプロダクションするという意味で、人間は逆に現実から解放された。また人間のかわりに機械が描写するという意味で、主体から解放された。写真は二重の意味で「革命」だった。
また古くから言われているように複製芸術の側面がある。ブーアスティンは、ゴーギャン展の観客が(自分が見たカラー写真の原画と比較し)「絵がきたない」と言ったエピソードを引き合いに、オリジナルを超えるコピー、すなわちオリジナルとコピーの逆転を唱えた。
パリ・ソワール紙はそれまで発行部数5万部だったが、フランス陸軍の写真を掲載し始めて1937年に170万部に急伸した。写真とマスメディア(media メディウムの複数形)が結合し写真ジャーナリズムが誕生した。
また1960年代のコマーシャル(宣伝)写真には、「アラン・ドロン」を記号として使ったりパンストの広告で、シュルレアリスムの絵と構図がよく似ているものが散見される。ファッションへのシュルレアリスムの波及もみられる。シュルレアリスムが文化になり、生活を変える革命になったということもできる。
東京都写真美術館
住所:東京都目黒区三田一丁目13番3号
電話:03-3280-0099
開館日:火曜~日曜
開館時間:10:00~18:00 (木・金は20:00まで)
入館料:展覧会・上映会によって異なる
☆シュルレアリスム運動は1924年の「シュルレアリスム宣言」(ブルトン)に始まる。日本でも1929年に飛行船ツェッペリンが舞う「海」を古賀春江(1895年6月18日―1933年9月10日)が描き、1937年には北脇昇(1901年6月4日―1951年12月18日)が「独活」(うど)を発表した。日本のダダ、村山知義は彼らの絵をどのようにみていたのだろうか。村山の関心が舞台美術から演劇へと移っていく時期であることは確かだが・・・。
☆恵比寿ガーデンプレイスには最近も来ているが、久しぶりに駅東口を歩いてみて驚いた。谷底のようなところに猥雑だが活気が満ちた店が並んでいたのが一掃されていた。跡に残るのは、五反田・大崎・品川などと似た特徴のないビル街だった。「さいき」のある西口の渋谷駅方向の一角はそのまま残っているのを確認し、ほっとした。油断していると、なつかしい一角はいつなくなってしまうかわからない時代になった。 渋谷も再開発が進行中だ。道玄坂は1丁目と2丁目がマークシティで分断され、すっかりさびれて風俗街になり、地上げのヤクザが闊歩する。宮益坂の地元の人は「道玄坂に学べ」を合言葉にしているという。
この展覧会は「都市に向かう視線」「都市のなかのオブジェ」「ボディ」「細部に注がれた視線」の4ブロックから構成されている。有名なアジェの「日蝕の間」(1912)、「マルドロールの歌」を引用したマン・レイ「解剖台上のミシンとこうもり傘の出会いのように美しい」(1924)、「アングルのヴァイオリン」(1924)が展示されていた。「アングルのヴァイオリン」は想像以上にサイズが小さかった。
絵画作品に比べ、奇抜さや迫力は不足していた。ひとつには印画紙への引き伸ばしが手仕事だったので、サイズの限界という技術的な問題もある。
わたくしはブラッサイの「吸血こうもり」「森の中の亀」、メトロノームに目を付けた「マン・レイの「不滅のオブジェ」、植田正治の「鳥取砂丘」(1952-53)、『アンダルシアの犬』(1928年)の冒頭の豚の目をカミソリで切り裂くシーンそっくりのモーリス・タバール「目・海」、藤田敏八の「妹」で林隆三がギロッとにらむシーンを思い出させるヘルベルト・バイヤーの「義眼」、不思議の国のアリスのような岡上淑子「月夜」(1951)を興味深くみた。
わたくしが訪れた日に、シンポジウム「シュルレアリスムの宇宙」が開催された。わたくしは理論についてはまったく知らないので興味深かった。2つの講演の一部を紹介する。
遠近法―的―空間について 林 道郎(上智大学国際教養学部教授)
シュルレアリスムの画家のなかでダリやエルンストなどイリュージョニスティックな画家は遠近法的空間を使っていて(アヴァンギャルドと対照的に)保守的だと言われてきた。しかし彼らの遠近法は古典的・伝統的遠近法に書き換えの操作を加えている。キリコの絵は誇張された遠近法を採用している。
遠近法は生活世界に根ざし「親密な空間」を提示する。シュルレアリストはそこに不穏・不安・不気味さを介入させる。unheimlich(=不気味な)の原義は、室内空間に、だれかが侵入したかもしれない不気味なものということだ。シュルレアリストは、まず親密な空間を遠近法で提示し、しかし他者的なものの侵入を見る人に感じさせる。そこで「影」も重要だ。またダリやイヴ・タンギーの空にみられる限定のない空間も重要である。
メディウムからメディアへ――シュルレアリスムと写真の社会的射程を探る 塚原 史(早稲田大学法学部教授)
シュルレアリスムの1924年の定義は、理性に管理されない書き取り、オートマティズム(自動記述)だった。都市やインテリアや身体が客体化され断片化された。写真は、心的オートマティズムを作動させる霊媒(medium)だった。カメラは目をつぶっていても撮影できる。写真は、世界を断片化する非理性的な試みともいえる。写真は、現実をリプロダクションするという意味で、人間は逆に現実から解放された。また人間のかわりに機械が描写するという意味で、主体から解放された。写真は二重の意味で「革命」だった。
また古くから言われているように複製芸術の側面がある。ブーアスティンは、ゴーギャン展の観客が(自分が見たカラー写真の原画と比較し)「絵がきたない」と言ったエピソードを引き合いに、オリジナルを超えるコピー、すなわちオリジナルとコピーの逆転を唱えた。
パリ・ソワール紙はそれまで発行部数5万部だったが、フランス陸軍の写真を掲載し始めて1937年に170万部に急伸した。写真とマスメディア(media メディウムの複数形)が結合し写真ジャーナリズムが誕生した。
また1960年代のコマーシャル(宣伝)写真には、「アラン・ドロン」を記号として使ったりパンストの広告で、シュルレアリスムの絵と構図がよく似ているものが散見される。ファッションへのシュルレアリスムの波及もみられる。シュルレアリスムが文化になり、生活を変える革命になったということもできる。
東京都写真美術館
住所:東京都目黒区三田一丁目13番3号
電話:03-3280-0099
開館日:火曜~日曜
開館時間:10:00~18:00 (木・金は20:00まで)
入館料:展覧会・上映会によって異なる
☆シュルレアリスム運動は1924年の「シュルレアリスム宣言」(ブルトン)に始まる。日本でも1929年に飛行船ツェッペリンが舞う「海」を古賀春江(1895年6月18日―1933年9月10日)が描き、1937年には北脇昇(1901年6月4日―1951年12月18日)が「独活」(うど)を発表した。日本のダダ、村山知義は彼らの絵をどのようにみていたのだろうか。村山の関心が舞台美術から演劇へと移っていく時期であることは確かだが・・・。
☆恵比寿ガーデンプレイスには最近も来ているが、久しぶりに駅東口を歩いてみて驚いた。谷底のようなところに猥雑だが活気が満ちた店が並んでいたのが一掃されていた。跡に残るのは、五反田・大崎・品川などと似た特徴のないビル街だった。「さいき」のある西口の渋谷駅方向の一角はそのまま残っているのを確認し、ほっとした。油断していると、なつかしい一角はいつなくなってしまうかわからない時代になった。 渋谷も再開発が進行中だ。道玄坂は1丁目と2丁目がマークシティで分断され、すっかりさびれて風俗街になり、地上げのヤクザが闊歩する。宮益坂の地元の人は「道玄坂に学べ」を合言葉にしているという。