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100点の写真でみる韓国併合100年の歴史

2010年07月25日 | 日記
7月18日(日)江東区立総合区民センター展示室で「韓国併合100年写真展」が開催された(主催:平和をつくる会・江東 共催:韓国併合100年市民ネットワーク)。この写真展は、京都、我孫子、高岡、渋谷など全国各地で開催されているが、なかなか日程が合わず、わたしは7月になってやっと西大島の会場で見ることができた。梅雨明け宣言が出て気温は一気に31度と真夏の気候になった。
展示されている写真は100点あまり、韓国・独立記念館や麻布の在日韓人歴史資料館提供のものが多い。1875(明治8)年の雲揚の江華島襲撃から2009年の高知県幡多地区9校の高校生たちの津賀ダム平和祈念碑除幕まで足かけ3世紀の日本の侵略と在日の生活の歴史を、写真で見ることができる。

日清戦争で、日本陸軍は王宮を武力で占領し大鳥公使が国王に清国軍を駆逐する任を日本に委託することを強要した。そして1895年には明成皇后(閔妃)を殺害し、1905年には第二次日韓協約で外交権を奪い、ついに1910年に韓国を日本の植民地にした。これに対し韓国人は抵抗し、1890年代に初期義兵闘争を蜂起し1909年安重根がハルビン駅頭で初代統監・伊藤博文を射殺した。幸徳秋水は「舎生取義 殺身成仁 安君一挙 天地皆震」(仁と義のため自分を犠牲にしたその行動は皆を励ました)という漢詩をつくった。幸徳自身もわずか2年後の1911年に大逆事件で処刑された。
写真の解説を読んでいて、いままで点だった知識が線につながった部分があった。
たとえば韓国併合の10年ほどあと、まず1919年2月8日に神田の在日朝鮮キリスト教青年会で独立宣言が発表され、ここに出席した多くの学生が韓国に戻り1か月足らずで3・1運動を始めた。そして16歳の柳寛順らが参加した。その後も間島惨変など東北部での武装闘争が続く。
大韓帝国を植民地にしてから、日本は、土地を奪い、米を奪い、労働力を奪い、朝鮮語や朝鮮の文化を奪った。米や金属類の供出、徴用の写真があった。徴兵制度実施感謝参拝という残酷な神社参拝の「強要」写真まであった。
敗戦まぢかに大本営を長野県松代に疎開させるため地下で建設工事が進んでいた話は知っていた。動員された朝鮮人は7000人、日本人の3000人より多かったことまでは知らなかった。
敗戦後も在日韓国朝鮮人の苦難は続く。死者まで出た阪神教育闘争、日立就職差別、指紋押捺拒否問題などだ。
最後は高知県幡多地区の高校生の活動である。幡多地区9校の高校生は1983年ゼミナールを設立し、韓国訪問や韓国高校生の高知訪問受け入れを行っている。2009年8月には、戦時中に朝鮮人労働者の犠牲者を出した津賀ダム平和祈念碑除幕を行った。

歴史的写真から学ぶ点も多いが、わたしはそれ以上に図版が興味深かった。たとえば「併合記念画報」(大阪新報 1910年9月28日)は真中に大きく明治天皇の肖像、その右下に李王(純宗)、左下に李太王(高宗)と三角形に配置され、右側に西郷隆盛、副島種臣、板垣退助など32人の写真、右側には伊藤博文、山縣有朋、陸奥宗光など日本人27人、朝鮮人18人の写真が並び、下には韓国の13州の地図と日韓年表が記載されている。
「日韓併合記念絵葉書」(1910年8月 光彩堂)の1枚は日本の版図と明治天皇、純宗の写真、もう1枚は伊藤、寺内、曽根荒助(2代統監)の写真とピンクの桜と白いムクゲが囲む統監府の建物の図柄だった。
翌年の正月「併合記念朝鮮双六」(京都日出新聞 1911年1月1日の付録)がつくられた。ふりだしは朝鮮の地下大将軍である。これは悪霊を防ぐ道祖神で、西武線高麗駅前に天下大将軍とセットで立っている(ただし名前は地下女将軍)。上がりは併合の詔勅を持つ寺内正毅、上がりのひとつ手前は、伊藤博文、神功皇后、豊臣秀吉の3人の絵が並ぶ。その間に、長煙管(きせる)、温突(オンドル)、初砧(はつぎぬた)、釜山、平壌、論語を伝えた王仁(わに)、加藤清正、小西行長など16のコマが並ぶ。明治末期の庶民の韓国に関する知識のレベルが推測でき興味深い。

1937年に日中戦争が起こり朝鮮人の動員体制は本格化した。朝鮮総督を総裁とする国民精神総動員朝鮮連盟が1938年に発足し、その後40年に国民総力朝鮮連盟となる。青年特別練成所では1年間に600時間以上の日本語教育を行った。
「立派な兵隊を出すために国語生活を実行しよう!」というポスターが掲示されていた。軍隊で言葉が通じなければ指揮命令が成立せず致命的だからだ。「立派」「兵隊」「国語生活」、そして「!」は赤文字で目立たせてある。また「日の丸毎朝皇居ヲ遥拝致シマセウ」というポスターもあった。ごていねいにも右隅に「ヨクミエルカベエハツテクダサイ」という文字があった。
「慰安婦」金順徳の「連れて行かれる」という絵には胸を衝かれた。青い川のような画面の左側には白やピンクの花が咲いている。黒っぽい国民服のような衣服の男に左手をつかまれた少女の顔には恐怖の表情が浮かんでいる。金さんは「日本で女工として働ける」とだまされ、中国で4年間「慰安婦」を強いられた。

韓国併合条約が調印された8月22日には豊島公会堂で日韓市民共同宣言大会が開催される。また8月27-29日に韓国でも同様の大会が開催される。
総合区民センターの外に出ると、炎天下なのに制服警官が並んでいた。街宣右翼に対する警備のようだった。最近は、反天連や朝鮮学校教科書無償除外反対のデモなどで、街宣右翼だけでなく、在特会や主権回復を目指す会の妨害活動が目立つ。排外主義一辺倒の主張を繰り返すだけでなく、ときには侵略された民族の側に立って100年の歴史を振り返ってほしいものである。

      7月26日一部修正
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