7月3日(土)夜、池袋の東京芸術劇場でNODA・MAPの「ザ・キャラクター」を観た。NODA・MAPの芝居は料金が高いのでめったに観にいけない。これまで、シアター・コクーンの当日売りの立見席か低料金の新国立劇場で何度かみた。今回は野田秀樹が東京芸術劇場芸術監督に就任したというので、奮発して9500円のチケットを予約した。池袋で観劇というのも、ずいぶん昔、シアターグリーンや舞台芸術学院のアトリエで見て以来のことである。
地上6階くらいの高さにある東京芸術劇場大劇場には何度かオーケストラを聞きにきたことがあるが、左側の短いエスカレーターを上るのは初めてだ。当日券は必ず発売される。しかも料金は変わらない。並んでいる人は10人くらいで、トイレに並ぶ女性客のほうがはるかに多かった。わたしはチケット売出し日の14時くらいに予約したにもかかわらず後ろから4列目の右端から2番目という悪い席だった。これなら当日券でもよかったかもしれない。
舞台の上には「俤」(おもかげ)、「儚」(はかない)、そして白紙の半紙の3枚が掲げられている。
「サイレンが街中に鳴り響くたび、しがみついてきた幼い弟の俤・・・俤の中にいるのは弟。儚さの中にあるのは夢。弟の俤は夢で儚く、ただ見えてくるのは、しがみつく弟の夢」とマドロミ(宮沢りえ)の抒情的なセリフで幕が開く(セリフは「新潮」8月号より引用)。
舞台は町はずれの書道教室、失踪した子どもを探す母(大熊母子ははこ 銀粉蝶)と弟を探すマドロミが訪ねて来た。
ドラマの序盤では、「救」いの中には「求」めがある、その救われたい「魂」の中に「鬼」が棲む、鬼が住みついた魂に「肝」が付くと魂胆が生まれる、など野田の演劇独特の語呂合わせが連発される。野田の初期の芝居では「なすがまま? なすのままがあるぐらいなら、キュウリのパパだってあるぞ」(二万七千光年の旅)、「女からこの世に生まれた私が必ずしも女ではなかったように、たった今お釜から生まれた私もおかまとは限らない」(怪盗乱魔)といった言葉遊びがよく出てきた。
中盤ではゼウス(家元 古田新太)、ヘーラー(家元夫人 野田秀樹)、会計(ヘルメス 藤井隆)、古神(クロノス 橋爪功)、アプロディーテー(マドロミ)、月桂樹に変身するダプネー(美波)、ダプネーを追うアポローン(チョウソンハ)、百の目で監視するアルゴスなどギリシャ神話の世界が展開される。これも夢の遊眠社のころによく出て来た、2つの世界を往還するストーリー展開である。
しかし、書道教室の仲間内の殺人、遺書を書かせ飛び降り自殺にみせかけた殺人が発生し、殺害場面をわざと見せて共犯に仕立てたり、スパイとみなされた2人に殺し合いを強いたり、狂気の度合いが徐々にエスカレートしていく。結末は警察の強制捜査への先制攻撃として、外部のリュカーオーン(狼に変えられた人間)を、本来の狼にまとめてチェインジさせるため「筆1本で世界を焼き尽くせ」と家元に命令された弟が、サリンの入ったビニール袋を「筆」(傘)で突く。屋外ではサイレンがけたたましく鳴り響く。ソンミ村虐殺事件の実況放送をプロレスのリングサイドで行った「ロープ」(2006年)にちょっと似た展開だ。
ジャーナリズム(報道)もひとつのテーマになっている。マドロミの弟は、文字を書いて人を救い、筆1本で世界を変えることができるジャーナリストを目指していた。
一方、えせジャーナリストの代表は、テレビのワイドショーで「お騒がせ集団」と家元を嘲笑するコメンテーターたちである。
アポローン的な理性主義は家元のディオニソス(狂的なもの)に敗北する。「もはや筆で書いていてはだめだ。筆で突け」「穴を大きくすると書いて『突』く」「突くは限りなく『空』に近い」「われわれの空は、そのビニール袋に入れておいた」と、弟は家元たちに洗脳され、大量殺人へ追い込まれる。しかし家元たちのディオニソスも結局マスコミに敗れ去る。
「おまえたちは、筆一本で空を突き刺したつもりだったの?・・・死んだ者たちの祈りは、届かなかった。けれども、こうして生きている者たちの祈りは、なおさら届かない」「だったら、生きとし生ける者たちは、忘れるために祈るのか」「それとも忘れないために祈るの?」
「もちろん、忘れるために祈るのよ。でもね、それでも忘れきれないものがのこるでしょう。そのことを忘れないために私は祈るしかない、起きたばかりのまどろみの中で」
芝居はマドロミの祈りのセリフで幕を閉じる。
きれいにまとまったシナリオである。しかし「冷やかしとまやかし」のえせジャーナリストの勝利は何を意味するのか、また家元はじつは何を企んだのか、そうした本質的な理由は明らかにされず、問題は何一つ解決されないまま暗欝な芝居が終わる。観客はカタルシスを得ることなく宙づりのままである。野田は、稽古初日のあいさつで「こんな救いのない物語を書いて良かったのか自問し続けました」と述べたという(稽古場レポート 尾上そら)。
現実のほうでも、麻原彰晃とその弟子たちのオウム真理教事件は解明されたとはいえない。現実を反映しているのだろうか。
野田の古くからの盟友、高都幸男の効果音が秀逸だった。ダプネーとアポローンが現れる場面の「おじいさんののっぽの古時計」のコチコチいう音、アプロディーテーという名の命名式で鳴る「ボーン」という寺の鐘のような音、会計が遺書を書かされるため4階に上がるエレベータの音、街に響き渡るサイレンの不安な音、演劇における効果音の重要な役割に改めて気づかせてくれるほど質の高い仕事だった。初期のころから野田といっしょにやっていた高都が、かつて生ギターで「三ツ矢サイダー!」と歌っていた姿を思い出す。
役者で印象が強かったのはチョウソンハだった。若いころの上杉祥三のように張りのある発声だった。「新人」役・田中哲司も好演していた。
宮沢りえは「ロープ」や「透明人間の蒸気」の役柄のようなフワッとした感じでなく、どちらかというと松たか子のようなカッチリした演技をしていた。はじめ違う人かと思ったほどだ。
また練習中に肋骨を骨折しながら7月1日に復活した銀粉蝶も、宮本信子風で別人のように感じた。しっかりした演技であることは確かだが、わたしは「竜二」(金子正次 1983年)の薬物中毒のボーッとした女性役が忘れられない。
☆かつて夢の遊眠社という劇団があった。1980年前後に上智や駒場小劇場で公演をみるためフリフリスカートのお嬢さんたちが校庭に並んでいた。赤テントや演劇団の観客の女性とは明らかに異質な客層だった。この日、大勢中年女性がNODA・MAPを見に来ていた。そしてわたしと同じタイミングで笑ったり、驚いたりしていた。30年後の彼女たちの姿 残影?をみたように思った。もちろん向こうも同様に「変なオヤジが野田の芝居を見に来ていた」と思っていたのだろうが・・・
☆6月29日の日経夕刊で内田洋一記者は「異形にして、過激。野田秀樹の新作が演劇界を揺るがす衝撃の舞台であることは疑いない」「宮沢りえの演技は語り草になろう」と激賞している。
内田氏は、昨年「野田秀樹」(白水社 2009年11月)を出版した。また長い間遊眠社のプロデューサーだった高萩宏は「僕と演劇と夢の遊眠社」(日本経済新聞出版社 2009年7月)を発刊した。「野田秀樹」には野田の幡代小・代々木中・教育大付属駒場時代の珍しい話が紹介され、「僕と演劇と夢の遊眠社」は高萩が活躍した83年以降の遊眠社が中心である。観客にとっては、その間の駒場や上智で公演していた77年から82年の時期が、毎回東京ディズニーランドに来ているように楽しかった。榊原とつ、三枝きわみ、常田景子らが常連として出演していた。この時期の遊眠社のことをだれか書いてくれないものか。
地上6階くらいの高さにある東京芸術劇場大劇場には何度かオーケストラを聞きにきたことがあるが、左側の短いエスカレーターを上るのは初めてだ。当日券は必ず発売される。しかも料金は変わらない。並んでいる人は10人くらいで、トイレに並ぶ女性客のほうがはるかに多かった。わたしはチケット売出し日の14時くらいに予約したにもかかわらず後ろから4列目の右端から2番目という悪い席だった。これなら当日券でもよかったかもしれない。
舞台の上には「俤」(おもかげ)、「儚」(はかない)、そして白紙の半紙の3枚が掲げられている。
「サイレンが街中に鳴り響くたび、しがみついてきた幼い弟の俤・・・俤の中にいるのは弟。儚さの中にあるのは夢。弟の俤は夢で儚く、ただ見えてくるのは、しがみつく弟の夢」とマドロミ(宮沢りえ)の抒情的なセリフで幕が開く(セリフは「新潮」8月号より引用)。
舞台は町はずれの書道教室、失踪した子どもを探す母(大熊母子ははこ 銀粉蝶)と弟を探すマドロミが訪ねて来た。
ドラマの序盤では、「救」いの中には「求」めがある、その救われたい「魂」の中に「鬼」が棲む、鬼が住みついた魂に「肝」が付くと魂胆が生まれる、など野田の演劇独特の語呂合わせが連発される。野田の初期の芝居では「なすがまま? なすのままがあるぐらいなら、キュウリのパパだってあるぞ」(二万七千光年の旅)、「女からこの世に生まれた私が必ずしも女ではなかったように、たった今お釜から生まれた私もおかまとは限らない」(怪盗乱魔)といった言葉遊びがよく出てきた。
中盤ではゼウス(家元 古田新太)、ヘーラー(家元夫人 野田秀樹)、会計(ヘルメス 藤井隆)、古神(クロノス 橋爪功)、アプロディーテー(マドロミ)、月桂樹に変身するダプネー(美波)、ダプネーを追うアポローン(チョウソンハ)、百の目で監視するアルゴスなどギリシャ神話の世界が展開される。これも夢の遊眠社のころによく出て来た、2つの世界を往還するストーリー展開である。
しかし、書道教室の仲間内の殺人、遺書を書かせ飛び降り自殺にみせかけた殺人が発生し、殺害場面をわざと見せて共犯に仕立てたり、スパイとみなされた2人に殺し合いを強いたり、狂気の度合いが徐々にエスカレートしていく。結末は警察の強制捜査への先制攻撃として、外部のリュカーオーン(狼に変えられた人間)を、本来の狼にまとめてチェインジさせるため「筆1本で世界を焼き尽くせ」と家元に命令された弟が、サリンの入ったビニール袋を「筆」(傘)で突く。屋外ではサイレンがけたたましく鳴り響く。ソンミ村虐殺事件の実況放送をプロレスのリングサイドで行った「ロープ」(2006年)にちょっと似た展開だ。
ジャーナリズム(報道)もひとつのテーマになっている。マドロミの弟は、文字を書いて人を救い、筆1本で世界を変えることができるジャーナリストを目指していた。
一方、えせジャーナリストの代表は、テレビのワイドショーで「お騒がせ集団」と家元を嘲笑するコメンテーターたちである。
アポローン的な理性主義は家元のディオニソス(狂的なもの)に敗北する。「もはや筆で書いていてはだめだ。筆で突け」「穴を大きくすると書いて『突』く」「突くは限りなく『空』に近い」「われわれの空は、そのビニール袋に入れておいた」と、弟は家元たちに洗脳され、大量殺人へ追い込まれる。しかし家元たちのディオニソスも結局マスコミに敗れ去る。
「おまえたちは、筆一本で空を突き刺したつもりだったの?・・・死んだ者たちの祈りは、届かなかった。けれども、こうして生きている者たちの祈りは、なおさら届かない」「だったら、生きとし生ける者たちは、忘れるために祈るのか」「それとも忘れないために祈るの?」
「もちろん、忘れるために祈るのよ。でもね、それでも忘れきれないものがのこるでしょう。そのことを忘れないために私は祈るしかない、起きたばかりのまどろみの中で」
芝居はマドロミの祈りのセリフで幕を閉じる。
きれいにまとまったシナリオである。しかし「冷やかしとまやかし」のえせジャーナリストの勝利は何を意味するのか、また家元はじつは何を企んだのか、そうした本質的な理由は明らかにされず、問題は何一つ解決されないまま暗欝な芝居が終わる。観客はカタルシスを得ることなく宙づりのままである。野田は、稽古初日のあいさつで「こんな救いのない物語を書いて良かったのか自問し続けました」と述べたという(稽古場レポート 尾上そら)。
現実のほうでも、麻原彰晃とその弟子たちのオウム真理教事件は解明されたとはいえない。現実を反映しているのだろうか。
野田の古くからの盟友、高都幸男の効果音が秀逸だった。ダプネーとアポローンが現れる場面の「おじいさんののっぽの古時計」のコチコチいう音、アプロディーテーという名の命名式で鳴る「ボーン」という寺の鐘のような音、会計が遺書を書かされるため4階に上がるエレベータの音、街に響き渡るサイレンの不安な音、演劇における効果音の重要な役割に改めて気づかせてくれるほど質の高い仕事だった。初期のころから野田といっしょにやっていた高都が、かつて生ギターで「三ツ矢サイダー!」と歌っていた姿を思い出す。
役者で印象が強かったのはチョウソンハだった。若いころの上杉祥三のように張りのある発声だった。「新人」役・田中哲司も好演していた。
宮沢りえは「ロープ」や「透明人間の蒸気」の役柄のようなフワッとした感じでなく、どちらかというと松たか子のようなカッチリした演技をしていた。はじめ違う人かと思ったほどだ。
また練習中に肋骨を骨折しながら7月1日に復活した銀粉蝶も、宮本信子風で別人のように感じた。しっかりした演技であることは確かだが、わたしは「竜二」(金子正次 1983年)の薬物中毒のボーッとした女性役が忘れられない。
☆かつて夢の遊眠社という劇団があった。1980年前後に上智や駒場小劇場で公演をみるためフリフリスカートのお嬢さんたちが校庭に並んでいた。赤テントや演劇団の観客の女性とは明らかに異質な客層だった。この日、大勢中年女性がNODA・MAPを見に来ていた。そしてわたしと同じタイミングで笑ったり、驚いたりしていた。30年後の彼女たちの姿 残影?をみたように思った。もちろん向こうも同様に「変なオヤジが野田の芝居を見に来ていた」と思っていたのだろうが・・・
☆6月29日の日経夕刊で内田洋一記者は「異形にして、過激。野田秀樹の新作が演劇界を揺るがす衝撃の舞台であることは疑いない」「宮沢りえの演技は語り草になろう」と激賞している。
内田氏は、昨年「野田秀樹」(白水社 2009年11月)を出版した。また長い間遊眠社のプロデューサーだった高萩宏は「僕と演劇と夢の遊眠社」(日本経済新聞出版社 2009年7月)を発刊した。「野田秀樹」には野田の幡代小・代々木中・教育大付属駒場時代の珍しい話が紹介され、「僕と演劇と夢の遊眠社」は高萩が活躍した83年以降の遊眠社が中心である。観客にとっては、その間の駒場や上智で公演していた77年から82年の時期が、毎回東京ディズニーランドに来ているように楽しかった。榊原とつ、三枝きわみ、常田景子らが常連として出演していた。この時期の遊眠社のことをだれか書いてくれないものか。