4月23日(土)夕方、こまばアゴラ劇場で青年団92回公演「S高原から」(作・演出 平田オリザ)をみた。
舞台は高原のサナトリウムの面会室。正面には、木製9段の本棚、単行本や文庫がギッシリというほどでなく、適度なスペースを保って入っている。端のほうには観葉植物の鉢もいくつかある。その手前にガラスの天板のローテーブルとそれを囲む4本の赤い長椅子、本棚の脇にやや背の高い観葉植物の鉢植えが3つある。天井にはレトロな扇風器、ただしリモコンで操作するようになっている。いつものような青年団の舞台だ。
登場人物は、入院患者7人、面会人6人、スタッフである医師と看護人3人の合計16人。 面会人といっても30分から2時間程度のふつうの病院の面会とは違う。サナトリウムか、高原下のホテルに2-3泊はしていく避暑のような面会である。
チラシ、上演台本、パンフなど
会話も
村西:まぁ、どうも。いらっしゃい。
大島 どうも
村西 遠かったでしょう。
大島 ん、まぁ・・・・
村西 あぁ、この人ね、西岡さんって、ここの人。
大島 どうも、
西岡 どうも、
村西 友達。
西岡 あぁ、
といった具合に淡々と進む点も、他の作品と同じだ。
全体的に静謐さとゆったりしたテンポが保持されるのも、変わらない。
ただ違うのは、舞台が死と隣り合った高原のサナトリウムであることだ。
「18号室の安永さんさぁ、いよいよダメみたいだよ」
「今年、何人目だっけ?」「三人目か?」(p2 以下、ページ数はすべて上演台本)
「あの子、ここでけっこう人気あんだけどさ、」「あと1年くらいで死ぬんだよ、たぶん。」(略)「本人は知ってんの?」「知らないと思うよ。宣告契約してないはずだから、彼女は。」(p12)
「でも、結構悪いんじゃないかな。」「なんか、あの人ここで死ぬみたいよ。」(p44)
など、会話のところどころに「死」に関連する話題が潜んでいる。しかも自分自身の死や親しい人の死だから、まさに切実である。
ラストは、入院患者の一人が長椅子で横になっていて、寝ているのか意識があるのかわからない状態が長く続く。「長椅子の上で死んだように眠る。」(十秒後に暗転)と、本当に急死して終わっていてもおかしくない終わり方だった。
そういう高原の「場所」なので、「下」の俗世間とは時間の流れ方も異なる。
「半年とか、やっぱり長いですからねぇ、私たちの歳だと。・・・特に女は。」(p40)
「さっき、半年は長いとか言ってましたけど、」「こっちいるとね、あんまり長く感じないんですよね、」「ずっとおんなじことの繰り返しの生活なんですけど、全然長いとか感じなくなっちゃうんですよね」「だからなんにも考えないんですよ」(p41-42)、
「たいてい、みんな、昼寝すんだ。」「あぁ」「まぁ、食ってるか、寝てるかだよね、」「うん、」「お相撲さんみたいだね」(p12)。
「こー、時間がつーって流れてくでしょ。」「そいで、なんか、ずーとそれ眺めてるって感じ、」(p28)。
最後のセリフは「今日、飯、何かな」「あぁ」
(西岡、前島、上手に退場)、である。
感情の起伏もほとんどない。ただ何カ所か激しい場面がある。
ひとつは、テーブルの上のベルで何度も呼び出された給仕役の看護人・川上が「間違って押した」といわれ、ついに「まいったなぁ」とつぶやきながら、ベルを「チーン」「チンチン」「チン、チン、チン」・・・「チン、チン、チン、チン、チン、チン、チン、チン、チン」と鳴らし続ける場面だ(p41)。内心、激しく怒っているのがよくわかる。
また婚約解消を、本人からでなく本人の友達から告げられ
「なんで、僕に直接言わないんですかね、彼女、」
「別に、村西さんのこと嫌いになったってわけでもないみたいなんですけどねぇ。」
(男は首をひねり、自分の頬を右手、次に左手で叩き、3度目はかなり強く両手で殴り)
「それで、話っていうのは?」「いえ、これだけですけど」
「(彼女が泊まっている)ホテル行きますよ、これから、」
「あぁ、もう、会わない方がいいんじゃないかって言ってましたけど、」「それはー、ちょっと、勝手でしょう。」「えぇ、でも、しょうがないですからねぇ、」(p40-41)
男女のことも、基本的に病人と下の世界の人とはすれ違いがある。上記の婚約解消カップルもその一組だが。ほかにも元婚約者カップル、片思いカップル、2人とも患者だが、妹を思いやる兄などが登場する。
この芝居のキーワードとして「風立ちぬ、いざ生きめやも」という「風立ちぬ」(堀辰雄)の一節(じつはヴァレリーの詩の引用)がある。「やも」が反語なので解釈がむずかしい。シナリオのなかでは「風が吹きました、さぁ、生きようか、いや生きないってなっちゃうんだよね、」(p43)と書かれている。初演パンフ(91年12月 晩聲社168ページ 晩聲社は後ほど説明)で平田は知人の国文学者の説として「やも」は語調を整える必要からと考えるのが適切と紹介し、その後「魔の山」と「風立ちぬ」を比較し、「なぜ日本文学はかくも暗いのか」「私自身がそのような暗さの中からしか出発できないだろう」「そのような内向的な事柄を、どうにかして現代の言葉に定着させ、さらに役者の肉声を通じて世界へと開いていくこと・・・」と展開している。
今回のプログラムにマンの「魔の山」、堀辰雄「風立ちぬ」のほかに「当時、大きな社会課題だったHIV(エイズ)の問題を遠景に置き」と書かれている。そうか、この芝居の初演は1992年12月、薬害エイズ訴訟の提訴が89年、地裁の和解案(原告1人当たり4500万円)提示が95年10月だった。ここ2年は新型コロナ・パンデミックだが、当時はそういう時代だった。
平田の芝居のなかで、わたしはこの演目をみるのは初めてだ。それで事前に95年5月発刊の平田オリザ戯曲集〈1〉「東京ノート・S高原から」(晩聲社)を図書館で借りだして読んでいた。すると、記憶だけだが、いくつか95年版と違う箇所があった。この日、上演台本を購入したので比較した(違いに気づいた箇所は主として記憶に基づくので不完全なものだ。pは上演台本、ページは95年の晩聲社版の位置、比較しやすいよう茶色で示す。( )内はト書きを示す)。
「川上さん、相変わらず、いいお尻してますね。」「いやぁ、最近、たれぎみで。」(2p)
「最近、太ったんですよ、また。」(111ページ)
これは役者が変わり、体形や年齢が違うからだろう。今回は島田曜蔵だった。
結構重要な書き足しもあった。クルージングのエピソードの補充記述だ。
p28「なに、それ?」「クルージングのガイド、豪華船とか。」
そのあとに追加で「9月に家族で、旅行に行くから」「え、どこ?」「タンパ、」(略)「どこ、それ?」「フロリダ、」「へえ、」「だから、西岡さんも(略)一緒にアメリカ行ったらどうかと思って。」「フロリダねぇ、」「うん。そのあと、クルージング、」「じゃあ、ここにいてもおんなじだもんねぇ」(p28下~29)。
下界に住む女性が、海外にクルージング旅行に行けるような裕福な階層所属であることが説明される。
さらにエンディング前(p52)の
(机の上の、クルージングのガイドを手にとって、パラパラとめくる)
p52-53追加「それ、なに?」「わかんない、置いてあった。」「あ、そう」「俺の遺骨かな。」「やめてよ」と、死後の世界への言及へと続く。
166ページ「なんか、死んでるみたい。」「うーん、いい顔してるねぇ」が「笑ってるのかな、」「うーん、いい顔してるねぇ」(p53)に変わったのも、深刻さを増すための改稿だろう。
「21世紀のマチスとか呼ばれてたんだよ」(略)「あれ、マチス? モネ?」(略)「プッチーニ?」「それ、作曲家だから、」「山下清?」(略)「そいで、天才、天才って言われてたら、病気になっちゃったのねぇ、」(5p)
「20世紀最後の天才とか言われてたんだよ」(略)「そいで、21世紀になったら病気になっちゃったのね」「うるさいなぁ、」「21世紀最初の悲劇の天才画家?」「ばーか」(114ページ)
これは、明らかに95年版のほうが面白いが、時間が経過し21世紀になったので仕方がない。
42p「遅いでんがな、」「ごめん。友子がお化粧なおすの時間かかんだもん。」「ちがうでしょう。」「そんなの汗かいたら、同じでしょう。」「だから、違うって、」
154ページ「遅いでんがな、」「ごめんでんがな、」「待っちゃったよ、」「だから、ごめんって、」「でんでん」。
これは95年当時、俳優・でんでんが、いまよりメジャーだったからかもしれない(これは、まったくテキトー)。
「~みたいだよ」が「みたいだね」に変わったのは、語調の問題だと思う。
その他、医師・松本の名が松木、逆に面会人・鈴木が鈴本に変更された理由は思いつかない。
読者には推測不可能な改訂もあるだろうが、探偵ごっこのようで、少し楽しい。
シナリオを読み、セリフだけでなく、眼差しによる演技やト書きの演技が重要であることに、改めて気づいた。
先の看護人が鳴らすベルもト書きには「(近づいてきて、机の上のベルを数回ならす)」(p41)としか書かれていない。また婚約解消を通告された男が自分の頬をビンタする場面も、ト書きには「(首をひねったり、顔を叩いたりしている)」としか書かれていない。どう表現するかが、まさに演出だ。
全体的な感想としては、青年団観劇後に感じる特別な「感動」や「興奮」を、今回は感じなかった。演出・平田オリザとなっているが、熱の入れ方がこれまでの演劇と比べるとちょっと下がっているのではないかと感じた。プログラムに、18年ぶりの再演、「これからの劇団の十年を支える若手とともにリニューアル」と書かれている。もしかすると「統制」が強すぎたのかもしれない。あるいはこのドラマの静謐さを強調したかったのか、どうか・・・。
カーテンコールは、最後に舞台にいた3人だけだった。なぜ全員出てこないのか、意図がわからなかった。
94年12月追加公演用パンフに「現代演劇において、死を直接的に演ずることは不可能だが、ではそれを、どのように表現していくのか。これは大きな問題で、一つの作品の中だけで、解決策を示せるものではありません。ただ、この作品を通じて、その糸口は示せたのではないかと自負しています」(晩聲社170ページ)と書かれている。「おんなじことの繰り返しの生活なんですけど、全然長いとか感じなくなっちゃう」とかそれが進む先に、寝ているのか死んでいるのかわからない状態になるのが、「糸口」なのかもしれないが、わたしにはもうひとつピンと来なかった。
平田がこの芝居を書いたのは29歳のとき、いま59歳なので、おそらくいまなら死をテーマにした作品でもさらに厚みを加え、もっとメリハリを効かせたものができると思う。
ただ、いくつか印象的なシーンやアイディアがあった。
ひとつは、ブニュエルの映画に出てきそうなシュールレアリスティックな幻視エピソードである。3カ所紹介する。
●「狸がいたんですけど、目があっちゃって、」(p10)
●兄妹が「もうちょっとでキスしそうな感じ」で抱き合っているのを2人が目撃する。(p47) そのあともう一人が確認にいくが、誰もいなかった。「夢でも見たんじゃないの。」「だって、二人で同じ夢見るわけないでしょ」(p48)
●「最初青いビニール傘持ってたんですけど、なんか、ここの駅に着いて、目が醒めたら、ビニール傘が、紳士用の大きな傘に変わってたんですよ」「だから、変な話だって、言ったでしょ」(p50)
また、「これ、下から見ると面白いんだよ。」
(ガラス天板のテーブルの下にもぐって、福島の顔を見る。)ギャハハハハ、」
「近くで見るとすごい顔だね」(p17)
一体何をしているのか、と意外な行動に驚かされた。この部分は、サナトリウム周辺は冬に雪が積もり、昔はここらでスキーができたという話のなかで、外国のスキー場でリフトから落ち、それも顔面から突っ込んだ男のエピソードを語った部分だが、なんと43行、半ページも追加している部分のなかにある。
もうひとつ、女性患者がバカでかいスリッパをはいている。3本の黄色いヒヅメが付いた巨大なスリッパ、「ガーオ、ガーオ」とか「バオー」と怪獣のような音が出る。
「あれ、調子のいいときはなるんだよ」(p13)というセリフもある。キュキュッというような床とスリッパの摩擦音ならわかるが、こんな鳴り方をするスリッパが世の中にあるものなのか。
役者では、南風盛(はえもり)もえ(前島明子役)、串尾一輝(鈴本春男役)が個性を感じさせる演技をしていた。また倉島聡(本間役)、松井壮大(吉沢茂樹役)の眼光や迫力はただならぬものがあったので、今後注目してみてみたい。
☆92年初演のときの医師役は平田よーこ、94年のときは志賀廣太郎、2人とも好きな役者だった。平田は2011年退団、志賀は2020年4月71歳で亡くなった。
劇団創設40年、わたしが観始めて26年にもなるので、いろいろあって仕方がない。
ところで、こまばアゴラ劇場は駅の南側だが、北側駅前には東大駒場キャンパスが広がる。時間があったので、校内に入ってみた。まだ4月なので、入部勧誘の立て看が林立していた。国立大学最大の学生数なのでサークル数も多いのだろう。
矢内原門という裏口を抜けると踏切の先の石段の下は東大前商店街だ。
帰りは久しぶりに渋谷まで歩いてみた。山手通りがずいぶん立派に整備されていた。渋谷駅は、東急東横西館がなくなり、地下鉄への昇降口がどこにあるのか迷った。地下鉄乗り場から渋谷の街を見下ろそうとすると、まだ大きなクレーンが立ち、完成予定は27年度とのことなので、しばらく時間がかかるようだ。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。