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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

はじめての歌舞伎座

2016年12月01日 | 観劇など
現在の歌舞伎座は2013年4月開場の5代目である。だからすでに3年半になるが、わたくしがこの建物に入るのは初めてだ。
歌舞伎座の正面からの姿は4代目と変わらないが、バックに29階建てのオフィスビル・歌舞伎座タワーを背負っているところが大きな違いだ。
歌舞伎は人に誘われ、1970年代後半に歌舞伎座や国立劇場に何度か行ったことがあるが、もう40年近くみていないので、歌舞伎見物自体もはじめてのようなものだ。
歌舞伎座では幕見しか見たことがないはずだが、(三代目)猿之助の宙吊りをみた記憶がある。

11月は顔見世の月で、1年のうちこのときだけ正面に櫓(やぐら)が上がる。櫓はもともとは幕府の上演許可の印であった。「木挽町きゃうげんつくり」(狂言づくり)と書かれている。梵天と槍が上に伸びている。梵天は神がおりるため、やりは魔除けの意味とのこと。なお京都の南座は11月ではなく12月だそうだ。旧暦の11月だからかもしれない。
地下2階は木挽町広場と称して、チケット売り場、土産物・食品売り場がある。ここは地下鉄東銀座駅とつながっているので、だれでも入れる。3階には吉兆と花篭という懐石料理の店がある。入場料が600円するが、歌舞伎座ギャラリーという博物館のような施設もある。

現在の料金は1階、2階は19000円か15000円(桟敷席は21000円)でかつてはそこまでは高くなかったように思う。調べてみるとやはり新ビルになって値上げしたようだ。
いまは幕見は4階で、昔は3階だったか、もう少し下だったように思った。しかし役者の顔までわりによく見える。いろいろ考えて設計されているようだ。3階の後ろのほうとほとんど変わらない。そのせいか3階席の料金は4000円と、通しで幕見でみる合計料金より少し安い価格に設定されている。

わたくしが幕見で見たのは「元禄忠臣蔵」の御浜御殿綱豊卿。仮名手本忠臣蔵とは異なり、真山青果が明治になって書いた作品で新歌舞伎という。だから鎌倉時代の話ではなく歴史どおり江戸の話になっている。
「新」の意味は新しいということではなく、文学作品とか戯曲という意味なのだそうだ。そこでワンピースなどは新作歌舞伎と称するそうだ。
舞台は甲府徳川家の下屋敷(現在の浜離宮)、その主人は徳川綱豊(のちの6代将軍・家宣)。中臈のお喜世に今夜のお浜遊びを「隙見」でよいので見させてほしいと頼み込むのは赤穂浪士の富森助右衛門、2人は義理の兄妹だった。綱豊は助右衛門に、仇討の心があるかどうか、また山科で放蕩を尽くす大石の真意を探ろうとする。そしてお家再興と仇討とは両立しないと諭す。助右衛門は、客として吉良上野介が来訪したのを知り、槍で襲い掛かるが簡単に素手でひねられる。面をとるとそれは吉良ではなくなんと綱豊だった。「大たわけ、道理がわからぬか」と綱豊は諭し笑いながら去っていく。
この綱豊と助右衛門との言葉による探り合いは歌舞伎の世界のものではなく、西洋の近代演劇の心理劇に近い特徴だそうだ。ちなみにお浜御殿の初演は1940年である。

歌舞伎は役者でみるものだそうだが、残念ながらわたしにはわからない。しかし主役の綱豊(仁左衛門)、富森助右衛門(染五郎)、江島(時蔵)、お喜世(梅枝)などはなかなかよいと思えた。とくに仁左衛門と時藏がよかった。染五郎の槍を相手に仁左衛門が素手で取り押さえるチャンバラはなかなか見事だった。「成駒屋!」の掛け声が飛んだ。仁左衛門ファンならきっともっと感動しただろう。あとで聞いた話だが、仁左衛門の綱豊は定評があり、現在綱豊役では第一人者だとのことだ。観ることができてラッキーだった。
ストーリーは、セリフを聞き取れない部分があり少しわからないところもあった。
文楽の場合、床本(ゆかほん)集という名の台本がパンフに挟み込まれていた。歌舞伎はパンフを「筋書」と呼ぶようだが、幕見の料金(1200円)より高かったが、あらすじしかなくディテールがわからなかった。たとえば綱豊が助右衛門をからかって何度も大笑いするのだが、詳細がわからなかった。

今回は10月に続き橋之助の8代目芝翫の襲名興行だが、その3人息子である国生、宗生、宜生がそれぞれ同時に4代目橋之助、3代目福之助、4代目歌之助を襲名した。
初代芝翫は文化文政期の1818年に芝翫を名乗ったが、翌年歌右衛門に復帰した。4代目は1860年に襲名し大芝翫と呼ばれた名優、5代目から7代目は女形だが、5代目は大日本俳優協会の初代会長、6・7代目も俳優協会会長を務めた。7代目は1972年に襲名し、2011年に死去した。
襲名は半年くらい前に発表される一大イベントである。浅草お練り、パーティ、記念展、口上、などさまざまなことが繰り広げられる。以前聞いた話だが、あいさつ回りが結構大変だそうだ。というのも事前にアポをとることは、相手に迷惑をかけるので突然訪ねていくことになっているそうなのだ。そのときにお手伝いさんなり家人がいれば言付けてすむが、もし留守なら出直しになる。同じ方面に何人も訪ねるべき人がいればよいが、そうでないときは悲劇である。旅公演に出ているときはもちろんはずし、「この人は●曜日の●時ごろなら在宅している可能性が高いはず」と当たりを付けて訪問するそうだ。

佐藤可士和・作のポップな祝幕
祝い幕は、いまは襲名時だが、明治大正のころにはたとえば團十郎が助六を演ずるときには新調の幕を贈る風習があったそうだ。それも新橋、新吉原、柳橋など花柳界から役者へ贈ることが多かった。贈り物なので、●●から●●さんへという文字が左右にあり、真ん中に家紋や紋や役柄にひっかけたデザインで、右端にのし飾りが付いている幕もあった。今回は佐藤可士和・作のポップなデザインだった。

歌舞伎のことはまだわからないが、「柝」(き)の音やにぎやかな下座音楽、着物の色、ふすま絵などの大道具、小道具の様式美はすばらしいと思った。
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