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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

ジブリの絵職人・男鹿和雄展

2010年01月19日 | 博物館など
兵庫県立美術館で男鹿和雄展をみた。この展覧会は2007年夏、東京都現代美術館で開催され29万人を集客、その後、08年に名古屋、札幌、角館、松山、09年に長崎、長野、新潟と全国を巡回し神戸に回ってきたものだ。いまでは累計100万人近くになっているそうだ。たしかに現代美術館がすごく混んでいたときがあったが、それがこれだったのかと思い当たった。
わたくしは男鹿和雄という人のことはまったく知らなかった。しかし展覧会のチラシの「となりのトトロ」のクスの大木と古い社をみて、この人だったのかとわかった。

男鹿和雄は1952年2月生まれ、1972年小林プロダクションに入社し背景画の技術を学び「ガンバの冒険」「あしたのジョー2」などのアニメ制作に参加、その後80年代初めにマッドハウスに移籍し「幻魔大戦」「はだしのゲン」「妖獣都市」などで美術を担当する。87年宮崎駿に誘われ「となりのトトロ」「魔女の宅急便」などに参画した。
アニメは手数がかかるので多数の人が共同制作することは知っていた。しかし、アニメ制作に無知なこともあり、キャラクターはアニメーターが描き、背景は美術部が描き、特殊効果やCGはそれぞれ専門スタッフがつくる分業システムになっていることは知らなかった。たとえば宮崎駿監督の「もののけ姫」では、宮崎自身が描いた絵コンテの横に「バキバキ」「ボキ」といった効果音やカメラワーク、演出上の注意点が書かれている。絵コンテをもとに大勢のスタッフがチームごとに作業する。男鹿は背景を描く美術部の人だが、これも一人で描くわけではない。まず美術設定という鉛筆によるモノクロスケッチを描き、次に美術ボードというカラーの絵を描いて美術スタッフの間でイメージを統一し、はじめて背景画制作という段取りになる。数多くの美術ボードや背景画が展示されていた。
展示は3つのブロックに分かれていた。まず「第1章背景:テレビから映画へ」。ジブリ以前の「侍ジャイアンツ」「ガンバの冒険」「あしたのジョー2 」や「幻魔大戦」「カムイの剣」「はだしのゲン」などが展示されていた。「カムイの剣」の氷と雪の世界、「はだしのゲン」の黒い雲や火が印象的だった。
第2章投影:ジブリ作品に想いを映す」は、スタジオジブリでの作品でメインの部屋である。「となりのトトロ(88年)の夏の白雲や草原が美しい。「魔女の宅急便(89年)では雲や夜の森が、「おもひでぽろぽろ(91年)では60年代の小学校や商店街、そして80年代の山形駅、「平成狸合戦ぽんぽこ(94年)では、桜や田園、夜の森、「耳をすませば」では聖蹟桜ヶ丘の美術ボードや背景画が展示されていた。
男鹿は色彩と構図の人だと思う。四季や時間による雲の変化、山や森や草原の緑の微妙な変化が感動的に表現されていた。とくに森は朝・昼・夜により表情が大きく変化する。わたしは「もののけ姫」(97年)までしか見ていないし、好きなのは「おもひでぽろぽろ」(91年)までである。それでもジブリのアニメは、キャラクターやストーリーだけでなく、色調やカラーが欠くことのできない要素となっていること、そしてそれは男鹿が作り上げたものであることがよくわかった。だから男鹿がジブリの絵職人と呼ばれるのだろう。
このあとスタジオジブリを退職するがフリーのスタッフとして「もののけ姫(97年)、「千と千尋の神隠し」(2001年)、「ハウルの動く城」(04年)、「ゲド戦記」(06年)、「崖の上のポニョ」(08年)にも参加し、作品が展示されていた。何作も美術監督を務めた人が、後輩の下で一スタッフとして参加しているとは立派な姿勢である。
第3章反映:映画を離れて」はアニメ以外の作品の展示。3000本もの映画を興行した前田幸恒という人の「映画興行師」の挿絵、家の光の雑誌のイラストや吉永小百合の原爆詩朗読会「第二楽章」の挿絵、絵本「ねずてん」などが展示されていた。ただ、同じ人がアニメと同じようなテーマで書いているのに、魂が入っていないように思った。逆にいえば男鹿にとって宮崎監督や高畑監督の作品上の世界観や絵コンテが、いかに大きい存在だったかということでもある。

最後に解説コーナーがあり、石鎚山の絵の制作プロセスをビデオで放映していた。まずBか2Bの鉛筆で下絵を描く。準備作業として色の調合を行う。水張りをし、高峰を描くのでホワイトを全面に地塗りし、次に霧の感じを出すためフレンチブルーとブルーセレストを塗り、遠景の山、中景の岩山、手前の植生を描く。そして乾燥してから仕上げに移り、明るい色と暗い色、岩の質感や灌木の輪郭を描き足す。絵職人の職人技から生まれた合理的な手順なのだろう。
その他、アニメのテクニックもいくつか紹介されていた。海沿いの道を「魔女の宅急便」のトンボとキキが自転車で疾走するシーンの「フォロー&パン」、「もののけ姫」でアシタカを乗せたヤックルとタタリ神が森の中を駆け抜けるシーンの「密着マルチ」などである。ちょっとみただけではよくわからなかったが、手がこんだ大変な作業であることは理解できた。

会場を出たところで、企画展の付録なのか、絵本「3びきのくま(作:トルストイ、絵:バスネツォフ)を立体化した展覧会をやっていた。ふだんは三鷹の森ジブリ美術館で展示されているものだ。大きなテーブルと3種類の大きさのイス、そしてテーブルの上には3つの大きさのスープ皿があり、ちゃんと食べ物も入っている。これらは座ったり触ってよいことになっていた。そして目が丸く、白い歯をした、巨大なお父さんぐま、中ぐらいのお母さんぐま、小さな子ぐまの3匹の熊の人形も展示されていた。

☆わたしは、じつは常設展の椎原治(1905-1974)安井仲治1903-1942)の写真の作品をみたくて来たのだが、残念ながらいまは展示されていなかった。
常設展では、吉原治良の鮮烈な色彩の「作品」がいちばん好きだった。また阪神神戸大震災の時期なので「震災と美術」という部屋があり作品が16点展示されていた。そのなかでは福田美蘭「淡路島北淡町のハクモクレン」が好きだった。瓦礫のなかに立つ1本の木の枝に、「この木を残してやってください」と段ボールに書きポリ袋に入れて吊るしてある朝日新聞の写真が下のほうにある。その写真の木に花をたくさん描き足しているのだが、とても見事なピンクの花だった。

また小企画・山本六三展を開催中だった。山本六三
(やまもとむつみ 1940-2001)は神戸市長田区生まれ、神港高校を卒業した地元出身の版画家である。1970年に生田耕作に出会い、バタイユの「大天使のように」の装丁や「眼球譚」の挿絵を描いた。企画展のサブタイトルは「幻想とエロス」で、かなり妖しい油彩画も並んでいた。
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1 コメント

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こんばんわ! (竜眼寺文蔵)
2010-04-28 22:54:02

いいですね~行けて♪
ボクもジブリ大好きなので
行きたかったなぁ・・・。

今、自分の部屋を「小ジブリ美術館」
にしようとしています(笑)

よかったら、ブログに見に来てくださいね♪
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