12月1日(土)、日本青年館で開催された「東京・教育の自由裁判をすすめる会」の集会に参加した。斎藤貴男さんの講演「貧困、愛国、そして『教育』・・・」を紹介する。先月はアメリカと沖縄に2回出張したという。この日も和歌山県の講演の帰りという忙しい日程のなかの講演だった。
昨年12月教育基本法が「改正」された。2条「教育の目的」には多くの徳目が列挙されているが、第3項に「正義と責任」がある。それぞれの人の価値観に基づく「正義」と、国が考える「正義」は異なる。正義という言葉ひとつとっても、使いようでどうにでも言えてしまう。第5項の「愛国心」(我が国と郷土を愛する態度)も同様である。
また旧・教育基本法で「能力」という言葉は3条「教育の機会均等」に1か所あっただけだが、4か所に増えた。「能力」がないと国にみなされれば、教育する必要がないということになりかねない。
格差社会で、教育がどのような役割を担わされているか、考える必要がある。
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1995年5月、戦後50年の節目に旧・日経連が「新時代の日本的経営」を発表した。日本は人件費が高い、それで国際競争力が低い、だから日本はダメになったと、バブル時代の放漫経営など経営者の責任を棚に上げ、すべてを人件費のせいにした。
国際競争力を高める方策として、製造業は生産拠点を賃金が相対的に低い海外に移転し、国内に残さざるをえない業務やサービス業など移転できない業種は、労働者を、(1)管理職・総合職コースの長期蓄積能力活用型グループ、(2)企画、研究開発など専門職コースの高度専門能力活用型グループ、(3)一般職コースの雇用柔軟型グループの3グループに階層化することを提言した。長期蓄積能力活用型のみ終身雇用で、その他は有期雇用である。
高度専門能力活用型はプロ野球選手のようなきわめて専門能力が高い人物向けだが、問題は雇用柔軟型である。かつては非正規雇用は学生アルバイトや主婦のパートが主だったが、一家の大黒柱まで非正規雇用に転換するものである。非正規雇用の場合、事業主の安全配慮義務は適用されないし、女性の場合セクハラを受けやすく、受けても泣き寝入りになりがちだ。つまり人間としての「身分格差社会」につながる。いまは途中段階なので非正規雇用は3割にとどまるが、最終的には7-8割に引き上げるつもりだ。
この流れは教育政策にも大きく関係する。企業社会を不平等な差別社会にするのに合わせ、財界は、学校も企業に合わせ、一握りのエリート育成と「おとなしく服従する」のみの大部分の生徒の選別を要請した。具体的手法は、習熟度別クラス編成、学校評価、全国学テなどである。ゆとり教育もエリート以外の大部分の生徒向けの施策である。
教育改革だけでなく小泉・安倍の時代には、医療改革、司法制度改革、三位一体改革など、多くの「改革」が実行された。これらは「限られた資源を、効率が高いと思われる層に集中して配分する」点で共通である。
「みんなでいっしょに貧しくなる」というならまだ筋が通っている。しかし、これらの「改革」はエリートが全部取り、それ以外はただ働きしろというものだ。「改革」のキーワードは競争原理と自己責任だった。「競争」というからにはスタートラインが同じでないといけない。スタートが同じでないなら少しでも狭めるようにするのが政治のはずだ。ところが、スタートラインがすでに100m違うのに、いまの政治は、もっと広げようとしている。安倍首相は「再チャレンジ」を唱えたが、「はじめ」がないのに「再チャレンジ」などあろうはずがない。逆進性の消費税をアップし格差をますます広げようとする、これが格差社会のカラクリだ。「格差はもともとある」ということとはまったく話が異なる。
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在日米軍再編計画は、普天間や辺野古など沖縄の問題に矮小化してはいけない。国道16号線沿いの日米連携の状況をみてほしい。
米海軍横須賀基地ではキティホークの退役に伴い、後継として原子力空母ジョージ・ワシントンを配備することになっており、空軍では航空自衛隊航空総隊司令部を米軍横田飛行場(福生市、立川市など5市1町)に移転し、第5空軍司令部と併置して一体運用することになっている。陸軍では、アメリカ陸軍第1軍団(米ワシントン州)をキャンプ座間(相模原市、座間市)へ改編・移転し、陸上自衛隊中央即応集団司令部を朝霞駐屯地から移転することになっている。
太平洋(東シナ海・北朝鮮・台湾海峡)からインド洋、中東(北アフリカ・カフカス含む)まで管轄する米軍の最前線基地を、自衛隊と一体運用しようとしているのだ。
自民党は2005年10月、憲法9条2項「戦力及び交戦権の否認」を廃止し、自衛軍の創設と「国際社会の平和と安全を確保するため」なら戦争ををしてもよいと変更する新憲法草案を発表した。政府が決めればいつでも戦争できる。国連決議の歯止めすら必要としない。日本がアメリカの戦争に付き合わないと変だということになると、司令部は日本にあるのでアメリカは自国の国土を汚さず戦争ができる。
戦争はアメリカ追従のためだけではない。企業は、従来は海外進出する前にフィジビリティスタディという調査をしてリスクを算定した。しかし、今後は多少のリスクがあっても何かあれば軍隊に守ってもらえる保障ができる。「守る」と「攻める」の線引きが難しいことは、アメリカの戦争がすべて「権益を守る」ことを理由にしているのをみれば明らかである。
また徴兵制がなくても、兵士を調達できれば問題はない。アメリカには「落ちこぼれゼロ法」というものがある。学校に補助金を出す代わりに生徒の個人情報を連邦政府に提供しろというもので、成績、健康状況、両親の情報から携帯電話番号まで含んでいる。これらの情報を軍に横流ししきわめて効率よくリクルート対象を選別し、携帯電話で一本釣りできる仕組みだ。
いま起こっている状況はすべて地続きでつながっている。背景にはグローバル経済がある。事態は深刻だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/86/cf88f819e6315e1cd9a45dbe7c011f9d.jpg)
昨年12月教育基本法が「改正」された。2条「教育の目的」には多くの徳目が列挙されているが、第3項に「正義と責任」がある。それぞれの人の価値観に基づく「正義」と、国が考える「正義」は異なる。正義という言葉ひとつとっても、使いようでどうにでも言えてしまう。第5項の「愛国心」(我が国と郷土を愛する態度)も同様である。
また旧・教育基本法で「能力」という言葉は3条「教育の機会均等」に1か所あっただけだが、4か所に増えた。「能力」がないと国にみなされれば、教育する必要がないということになりかねない。
格差社会で、教育がどのような役割を担わされているか、考える必要がある。
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1995年5月、戦後50年の節目に旧・日経連が「新時代の日本的経営」を発表した。日本は人件費が高い、それで国際競争力が低い、だから日本はダメになったと、バブル時代の放漫経営など経営者の責任を棚に上げ、すべてを人件費のせいにした。
国際競争力を高める方策として、製造業は生産拠点を賃金が相対的に低い海外に移転し、国内に残さざるをえない業務やサービス業など移転できない業種は、労働者を、(1)管理職・総合職コースの長期蓄積能力活用型グループ、(2)企画、研究開発など専門職コースの高度専門能力活用型グループ、(3)一般職コースの雇用柔軟型グループの3グループに階層化することを提言した。長期蓄積能力活用型のみ終身雇用で、その他は有期雇用である。
高度専門能力活用型はプロ野球選手のようなきわめて専門能力が高い人物向けだが、問題は雇用柔軟型である。かつては非正規雇用は学生アルバイトや主婦のパートが主だったが、一家の大黒柱まで非正規雇用に転換するものである。非正規雇用の場合、事業主の安全配慮義務は適用されないし、女性の場合セクハラを受けやすく、受けても泣き寝入りになりがちだ。つまり人間としての「身分格差社会」につながる。いまは途中段階なので非正規雇用は3割にとどまるが、最終的には7-8割に引き上げるつもりだ。
この流れは教育政策にも大きく関係する。企業社会を不平等な差別社会にするのに合わせ、財界は、学校も企業に合わせ、一握りのエリート育成と「おとなしく服従する」のみの大部分の生徒の選別を要請した。具体的手法は、習熟度別クラス編成、学校評価、全国学テなどである。ゆとり教育もエリート以外の大部分の生徒向けの施策である。
教育改革だけでなく小泉・安倍の時代には、医療改革、司法制度改革、三位一体改革など、多くの「改革」が実行された。これらは「限られた資源を、効率が高いと思われる層に集中して配分する」点で共通である。
「みんなでいっしょに貧しくなる」というならまだ筋が通っている。しかし、これらの「改革」はエリートが全部取り、それ以外はただ働きしろというものだ。「改革」のキーワードは競争原理と自己責任だった。「競争」というからにはスタートラインが同じでないといけない。スタートが同じでないなら少しでも狭めるようにするのが政治のはずだ。ところが、スタートラインがすでに100m違うのに、いまの政治は、もっと広げようとしている。安倍首相は「再チャレンジ」を唱えたが、「はじめ」がないのに「再チャレンジ」などあろうはずがない。逆進性の消費税をアップし格差をますます広げようとする、これが格差社会のカラクリだ。「格差はもともとある」ということとはまったく話が異なる。
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在日米軍再編計画は、普天間や辺野古など沖縄の問題に矮小化してはいけない。国道16号線沿いの日米連携の状況をみてほしい。
米海軍横須賀基地ではキティホークの退役に伴い、後継として原子力空母ジョージ・ワシントンを配備することになっており、空軍では航空自衛隊航空総隊司令部を米軍横田飛行場(福生市、立川市など5市1町)に移転し、第5空軍司令部と併置して一体運用することになっている。陸軍では、アメリカ陸軍第1軍団(米ワシントン州)をキャンプ座間(相模原市、座間市)へ改編・移転し、陸上自衛隊中央即応集団司令部を朝霞駐屯地から移転することになっている。
太平洋(東シナ海・北朝鮮・台湾海峡)からインド洋、中東(北アフリカ・カフカス含む)まで管轄する米軍の最前線基地を、自衛隊と一体運用しようとしているのだ。
自民党は2005年10月、憲法9条2項「戦力及び交戦権の否認」を廃止し、自衛軍の創設と「国際社会の平和と安全を確保するため」なら戦争ををしてもよいと変更する新憲法草案を発表した。政府が決めればいつでも戦争できる。国連決議の歯止めすら必要としない。日本がアメリカの戦争に付き合わないと変だということになると、司令部は日本にあるのでアメリカは自国の国土を汚さず戦争ができる。
戦争はアメリカ追従のためだけではない。企業は、従来は海外進出する前にフィジビリティスタディという調査をしてリスクを算定した。しかし、今後は多少のリスクがあっても何かあれば軍隊に守ってもらえる保障ができる。「守る」と「攻める」の線引きが難しいことは、アメリカの戦争がすべて「権益を守る」ことを理由にしているのをみれば明らかである。
また徴兵制がなくても、兵士を調達できれば問題はない。アメリカには「落ちこぼれゼロ法」というものがある。学校に補助金を出す代わりに生徒の個人情報を連邦政府に提供しろというもので、成績、健康状況、両親の情報から携帯電話番号まで含んでいる。これらの情報を軍に横流ししきわめて効率よくリクルート対象を選別し、携帯電話で一本釣りできる仕組みだ。
いま起こっている状況はすべて地続きでつながっている。背景にはグローバル経済がある。事態は深刻だ。